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カテゴリ:スピノザ
このタイトルからでは、スピノザを連想するのは難しい。しかし、しっかりと表紙に掲げられているのはスピノザの肖像だ。いくらうろうろばかりしている私でもそれはわかるようになった。そして、それにしても、その後ろから背後霊のように覆いかぶろうとしているのは、いったいだれだろう。どうやらそれは、本書の文脈から考えても、その風貌からも、ジル・ドゥルーズであると判断できそうだ。 ここまでスピノザを追っかけてきているのに、「エチカ」一冊すら読みきれず(1頁も、1行さえも)、いまだにスピノザのなんたるかは、理解できない。本も読み、カテゴリをひとつ作っても、ほとんど効果はなさそうだ。にもかかわらず、あちこちでスピノザを取り上げている本も多くなってきた。 ふと考えてみる。スピノザが言っている内容自体はともかくとして、彼がやった仕事とは、春の苗代に田植えをするために、たて横の線を引いているような、始まりにしなくてはいけない座標軸の設定ではなかろうか、と思うようになった。それは、あるい意味では、やがてはLinuxとしてネット社会へオープンソースの大きな波を生み出したリーナス・トーバルスの仕事に比肩されるかもしれないし、あるいは、現在進行形の3D世界セカンドライフのバーチャル空間での地図作りにさもにているかもしれない。 OSとしての形をなす前のカーネルの部分における原初的なもの、それをスピノザは思想や哲学という世界でやっていたのではないか。だからこそ、数百年間、それを理解する人も決して多くなかった。むしろ、次第に人があつまってきて、それにいろいろは周辺ソフトを貼り付けていったとき、初めて、その意味を持ち始めてきた、と言えるのかもしれない。スピノザをプラットホームとして、さまざまなアプリケーションが開発されてくればこそ、ようやく一般ユーザー(私のような)にもその利用方法がわかってくるのかもしれない。
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Last updated
2008.03.12 18:51:37
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