<7>よりつづく
「OSHO:アメリカへの道」 <8>
マックス・ブレッカー /「Osho:アメリカへの道」プロジェクト 2005/10
「禅宣言」を読み進めていて、どうもきになった部分があったので、こちらを読んでみた。なるほど、たしかに怪しい動きがあったことは間違いない。
ジョン・ウェイン・ハーンが「トーマス・マクマレンとC・バック」からラジニーシプーラムのトレーラーをいくつか吹っ飛ばして欲しいと懇願されていたとき、ドン・スチュアートにはもっと大きな仕事、ラジニーシ本人を暗殺して欲しいという依頼が持ちかけられていた。「おれたちは軍仕様の性能を有するC/4プラスチック爆弾5ポンド(約2キロ)を使うつもりだった。これは政府の人間でないと手に入らないものだ」スチュアートは私に話した。これはデラウェアのデュポン・ケミカル社が製造しているものだった。「たとえおれがそいつを買いたいと思っても、買えはしないよ。盗むなんてことは、まず不可能だな」
スチュアートはこの事案における重要参考人であって、彼の信頼性が問われるのはまず間違いないから、ここで彼の人物像を手短に紹介しておく必要がある。彼は身長ほぼ6フィート(約180センチ)、眼鏡をかけ、体重は約27ポンド(約125キロ)あった。話しぶりはゆっくりとして、慎重で、明瞭だ。言うことの半分は率直にいって信憑性に欠けるが、その他の部分には随所に真実の響きが感じられる。p261
この「アメリカへの道」についてなにごとかメモしてからはや3ヶ月近く経過して、自分でもなにをメモしていたのか、忘れてしまっていたが、このアメリカのコミューンにおける出来事をジャーナリストの目で記録を残してあるというのは、とても重要なことであると、思える。
一連のアメリカにおけるコミューンつぶし、Osho追放、のキャンペーンの中で、アメリカ本国はともかくとして、日本語の文献として、信憑性の高い資料はきわめて少ない。そのような意味では、まだまだこの「アメリカへの道」は、多方面から検証される必要があるだろう。
スチュアートが私に語ったところによると、暗殺はラジニーシがドライブバイしているときに行われることになっていた。爆発によってたとえサニヤシンが2、3百人死んだとしても、「それは容認できる範囲内だ」と資金を出す者たちは言っていたという。「おれたちをあそこに入り込ませて、やつらの弾薬庫を吹っ飛ばして、州兵を派遣せざるをえなくなるような混乱を引き起こすという、別の計画もいくつかあった」p263
最近チベットで起きている暴虐のことも考えるとき、人間というものは、かくも非人間的になれるものか、と胸が痛む。
<9>につづく