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カテゴリ:スピリット・オブ・エクスタシー
レクサスつながりで読みなおしてみたものの、本には読むタイミングがあり、この本とはどうも相性がいまいちよくないようだ。著者はピューリッツァー賞を二度も受賞したことのある作家ということだが、逆に、そのような賞狙いの本の作り方というものには、本当のこと言って、私はすこしうんざりしている。 中立性や資料性、あるいは速報性などが加味されて、どことなく入り組んでいて、婉曲な言いまわしが多くて、支線ばかりがやたらと目立つ。著者には「フラット化する世界」がある。 レクサスにグローバルを象徴化させ、オリーブにローカリズムを象徴化させたプラットフォームの中で、世界のさまざまな現象を図表化しようという試みだが、瞬間的な読み取りだけでは、世界の本当のダイナミズムを理解することはできない。 先日、ネットの中で、Oshoのロールスロイスに触れた書籍があることを発見し、アメリカの出版元から取り寄せた。その時、緩衝材として「ウォールストリート・ジャーナル」の最近号が挟まれていた。引き伸ばして眺めていると、そこにレクサスの宣伝があった。 その宣伝には、アメリカナイズされたコピーがあったものの、レクサスが日本の企業による商品だとは、どこからも連想することはできない。いや、レクサスという言葉すら見ることができない。あるのは、一枚のレクサスの写真とマークだけだ。そして「The pursuit of perfection」のコピー。 アメリカにおいては、このレクサスの無国籍性がヒットした。レクサスがグローバリゼーションの中で、よりレクサス化している、と言ってよい。ところが、このレクサスが日本に帰ってくると、レクサスはグローバリゼーションの象徴とはみなされない。むしろ、レクサスは、日本に帰ってくることによって、その「オリーブの木」性が求められている。 世界戦略商品でありながら、オリーブの木であることを求められるのは、レクサスにとっては、過酷な試練と言わざるを得ない。そして、それをレクサスに求めるのは、日本の社会がまだ成熟していないから、かも知れない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.07.08 23:15:23
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