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カテゴリ:agarta-david
この本は一年前のフランスで出版されている。翻訳者は「Googleとの闘い」とおなじ佐々木勉だ。そんなこともあって、傾向性としては、フランス人のフランス人気質らしきものが、この二書からそれぞれに漂ってくる。かならずしも批判本ではないが、Yes-But本と考えていいのだろう。 ネットを積極的に、あるいは過剰なまでに過信してしまったかに見える韓国、オリジナリティのあるベンチャーを続けるアメリカ、政治家たちがこまかくネット情報を管理する中国、それぞれにお国柄が見えてくる。その中にあって、フランスはフランスらしい良心を発揮しているといえるだろうか。 もちろん、これに似たような論調は日本国内にもある。私なんぞは、このような論調が国内ででてくると、反動的と感じてしまうが、フランス人に、文化の香りを漂わせながら、こう主張されると、ついつい、うんうんもっともだ、と思ってしまう。単純なものだ。 ウィキペディアどころか、インターネットがでてくる前の社会を考えれば、現代は雲泥の差がある。新しきものには欠点もある。過剰な期待をしても、裏切られることは四六時中ある。しかし、ウィキペディアがなかった時代より、ある時代のほうが私は好きだ。可能性が増えている。それぞれの問題は、是々非々で解決できることがほとんどだ、と私は思う。 既存の百科事典はいらなくなるのか、いままでの百科事典の執筆者たちの生活はどうなるのか、という問題は、私にはお手上げである。車がでてきたら、馬車は消えていく。馬車がすきな人は、どこかの観光地で馬車でもひくことになるだろうか。アーミッシュの人々のように、時間の進化を止めることも可能かもしれない。でもそれは一部のひとにとどまるのではないだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.11.18 00:35:31
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