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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2008.11.19
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カテゴリ:mandala-integral

<1>よりつづく

「ユングとチベット密教」 こころと魂の癒し<2>
ラドミラ・モアカニン /定方昭夫 2001/07 ビイング・ネット・プレス /星雲社 単行本 219p

 集合的無意識
 ユングの心理学に対する最大の貢献は、集合的無意識の理論であった。ユングは、この概念は思索上の観念でもなければ哲学的な仮定でもなく、経験によって証明されるものである、と述べている。彼は集合的無意識をこころの一部であると定義した。それはもっぱら遺伝によって受け継がれるものであり、いったん意識の上で経験され、その後意識から消えていく個人的経験とは違う。ユングは後者を個人的無意識と呼び、個人が、故意にあるいは意図せずに、単に忘れ去ったか抑圧したものであるとした。このように、ユングは、主観的こころと、客観的こころである集合的無意識を区別した。そして、彼は客観的こころを、非個人的(イン・パーソナル)な、超個的(トランス・パーソナル)な、集合的無意識であるとした。彼はこの集合的無意識を、自分や患者の夢やヴィジョンを通して発見した。そのなかには、分裂病的な妄想も含まれていた。彼は、これらの素材は、しばしば神話的モチーフや宗教的象徴を含んでいる、と述べている。
p67

 Osho、社会、自分の三つのカテゴリを統一していこうとすると、次第次第に「集合的無意識」というテーマが、当ブログのひとつのプラットフォームになってきた。

 6年間にわたる無意識の闇とのすさまじい格闘の後、ユングは一筋の光明を見出した。マンダラである。マンダラはサンスクリット語で「円」を意味し、自然のあらゆる要素に見出される円のパターンを表しており、歴史を通じてすべての民族の絵画や舞踏で表現されている。それは人間のこころの奥深くに住まうイメージであり、さまざまなかたちで、おのずとあらわれてくるものであって、構築され得ない内なるカオスに形を与え、調和と秩序を回復する自然の理法なのである。
 ユングは、経験を通じて、自分の描くマンダラが、その度ごとの自分の内面の状態の表現になっていることを発見した。彼のこころの状態が変わるごとに、マンダラも変化し、ユングはそれを自然とスケッチしていた。彼はマンダラが「形を造ったり形を変えたり、つまり永遠なる意味の永遠なる遊び」を表現しているという結論に達した。と同時に、ユングは、いわゆる彼の人格No.1にうながされた意識的な努力の背後で、もっと強い力が彼を別の方向へ駆り立てていることを理解した。言い換えれば、彼は目標を選ぶことはできなかった。目標のほうが彼を選んだのである。
p63

 マンダラ、そしてチベット密教のなかにユングは、その命題のヒントを求め続けていくのであるが、そのある意味ハイリスクな旅には、さまざまな点に留意していく必要がある。

 ユング同様チベット仏教も随伴する危険には気づいているので、適切な安全装置をかけるよう主張している。タントラの観想とほぼそれと比較しうるユングの能動的想像法においては、資格ある教師ないしは分析家の指導が必要とされる。そのうえ金剛乗の実践においては、あらゆる観想の初めと終わりに空の瞑想とイメージの溶解という作業がある。この作業が象徴との同一化が持続することを防ぐのである。瞑想者は仏がイマジネーションの産物であることを知らされる。p121

 このあたりで、当ブログも重要なポイントに差し掛かってきた。チベット密教に触れたとたんに、常に言われてきたことだが、導師、マスターが、ほぞ絶対的条件として提示されている。かならずしもその「修行」に足を踏み入れていなくても、一般に公開されているチベット密教の行法は本でよめる。もちろんそれは単に文字面だけのことであり、一歩足をふみだそうとすれば、必ず導師の存在を必要とされる。

 導師の存在、それは潅頂=イニシエーションの必要性、ということなのだろうが、当ブログは、後述するように、当ブログなりの立場を保ちながら、この旅をもうすこしつづけてみようと思っている。精神世界の旅において、ハイリスクハイリターンを求める気持ちは毛頭ないが、臆病になる必要はなにもないと思う。当ブログはノーマルリスク・ローマルリターンで、ごく普通の旅を続けようと思う。

 ここにきて「瞑想者は仏がイマジネーションの産物であることを知らされる」という一行は重い。

<3>につづく






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Last updated  2008.11.20 20:51:49
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