|
全て
| 目次
| 2nd ライフ
| ネットワーク社会と未来
| マルチチュード
| アガルタ
| シンギュラリタリアン
| 地球人スピリット
| マーケットプレイス
| ブログ・ジャーナリズム
| OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2
| mandala-integral
| レムリア
| スピノザ
| ブッダ達の心理学1.0
| シンギュラリティ
| agarta-david
| アンソロポロジー
| バック・ヤード
| チェロキー
| 環境心理学
| osho@spiritual.earth
| スピリット・オブ・エクスタシー
| 22番目のカテゴリー
カテゴリ:osho@spiritual.earth
「英知の辞典」 <6> 東洋/西洋 EAST/WEST 西洋が半分であるように、東洋もまた半分だ。両者は実に長いあいだ別々に生きてきた。あなた方は出会いの場になる! 東洋と西洋が出会って初めて人間は全体になる。私のサニヤシンは”統合”にならなければいけない。東洋の素晴らしいものすべてと西洋のすばらしいものすべてを吸収しなさい。西半球と東半球は多くのことに貢献したが、醜いものもまた多くあり、醜いものは捨て去られねばならない。両方が分かれていたままでいるかぎり、醜いものを捨てることはできない。これは理解されるべきことだ。 西洋は基本的に科学的、唯物的、客観的だ。科学的であることに何ひとつ間違いはないが、科学で終わりだと考えることは間違っている。物質の秘密を知ることは間違ってはいないが、物質を知ることで知る価値のあるすべてのことを知り尽くしたと考えるなら、それは絶対に間違いだ。だが、西洋が西洋のままでいるかぎり、この唯物論的、客観的、科学的な姿勢(アプローチ)という古い考え方は続いてゆくだろう。 東洋は物質以上の何かを信じ、またそれを体験してきたが、それ以上の何かに夢中になるあまり、物質にはまったく無関心になってしまった。これもまた間違っている。 東洋がこれほど貧困、飢餓、病気に苦しんでいるのはそのためだ---理由は明らかに、東洋がすべての仕事を精神霊的(スピリチュアル)なものに向けて、物質的なものを無視してしまったからだ。東洋は宗教的であり、神秘的であり、主観的だが、科学的な姿勢を犠牲にしている。東洋は科学を超えてゆくが、科学もまた必要であり、なくてはならぬものだ。 歌とひとかけらのパンとのあいだには大きな違いがある---実際、ほとんどつながりはないように見える。だが、空腹になれば、歌はどこかに消えてしまう。空腹でないとき、肉体が満足しているとき、初めて歌が生まれてくる。そのとき初めて、より高い満足が可能になる。 東洋は西洋の唯物主義と科学的姿勢を学ばなければならないし、西洋は東洋の神秘主義と主観的姿勢を学ばなければならない。そこで初めて全体的な人間がつくりだされる。 私の観察(ビジョン)では、今日まで全体的な人間は存在しなかった。彼はまだ現れていない。私のサニヤシンは新しい人間、全体的な人間の先駆けにならなければけない。OSHO EIGHTY-FOUR THOUSAND POEMS p430 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.12.06 22:16:24
コメント(0) | コメントを書く
[osho@spiritual.earth] カテゴリの最新記事
|
|