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カテゴリ:osho@spiritual.earth
「英知の辞典」 <9> 人間 MAN バラの茂みは存在(being)であり、トラも存在であり、イヌも存在だが、人間は存在ではない。人間は生成(becoming)だ。存在であるとは、固定したプログラムを持ってこの世界にやって来たということだ。バラの茂みからはバラしか育たない---それは内蔵されたプログラムがある---そこからはハスやマリーゴールドは育たない。それはありえない。その機会は開かれていない。それは直線的であり、ただひとつの方向にしか動くことができない。その運命は定められているので、バラの茂みはひとつの存在としてある。 人間はひとつの機会にすぎず、多次元的だ。彼はチンギス・ハーンになることもできるし、老子になることができる---まさに対極に。彼はチムールになることができるし、ゴータマ・ブッダになることができる。これら二人には何ひとつとして共通したものがない---彼らには橋を架けようがない。どちらも人間だが、彼らは異なった方向に進んでいった。 人間は白紙の状態でやって来る。彼はそこに自分の運命を書かなければならない。彼は自分が何になりたいのかを決めなければならない。彼には自由が、絶対的な自由がある。彼はプログラムなしでやって来る。彼はバラの花になることができるし、マリーゴールドになることができるし、ハスの花になることができるし、あるいはまったく成長しないことに決めるかもしれない。彼は知恵遅れのままに、子どもっぽいままにとどまり、成長の機会をそっくり見逃してしまうかもしれない・・・・。 だから人間は、自分自身を無意識な、機械的な、ロボットのようなやり方で作りあげることもできる。それこそ無数の人々がやっていることだ。彼らはヒンドゥー教徒に、イスラム教徒に、キリスト教徒に、仏教徒になるが、仏陀、キリスト、クリシュナ、マホメットにはならない。彼らは模倣者に、偽もの、まがいものに、もどきになる。彼らの一生は長い悲劇にほかならないものになる。彼らは当てもなくあちこちをさまいよい歩く。彼らは波風に翻弄される流木になる。彼らは意識的に自らの存在をつくりだそうとはしていない。 サニヤスはまさにそのためにある---それは自らの魂をつくりだそうとする意識的な決断、自らに一定の姿と形を与えようとする、自分自身の台本を書こうとする意識的な努力だ。あなたは白紙の状態でやってきて、いまやそれに自らの署名をしなければならない。人間は生成、プロセス、機会、はしご、橋だ・・・・・。 人間ははしごであり、高みと深みに向けて成長してゆかあなたないかぎり、刻一刻と自己実現のエベレストに向けて成長してゆかないかぎり、あなたは人間ではない。あなたは機会を見逃しているし、挑戦を受けて立っていない。あなたは冒険を受け入れず、どこかに隠れている---あなたは臆病者だ。人間は用意ができていなければならない。未知なるものと知りえないものへの船旅の準備がつねにできていなければならない。人間は準備を整えて、<永遠なるもの>の呼びかけ、海図のない海の呼びかけにつねに準備を整えておかなければならない。 人間は動物から神への巡礼の旅だ。 OSHO ZEN: ZEST, ZIP, ZAP, AND ZING p449 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.12.10 22:53:13
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