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カテゴリ:mandala-integral
「深層からの回帰」意識のトランスパーソナル・パラダイム どうもひねくれた性格で、感激屋さんの絶叫話とか、有無をいわさぬ強権的論旨とかには、ひややかに反論をしたくなってしまう。トランスパーソナルとやらの意味はわかるのだが、その紹介のされ方の流れにいまいち納得感がなかったので、いまだに、トランスパーソナルと聞くと斜に構える癖がついている。 フロイトやユングから始まった心理学の流れが、マズローあたりから第三の道としてトランスパーソナルという流れを造ろうとしてきたことは分かった。現代のその流れの代表はケン・ウィルバーとスタニフラフ・グロフである、というような紹介が多いことも分かった。しかし、21世紀の現在、ケン・ウィルバーはその流れからは距離を置いていることも分かった。 さてグロフは現在どのような地平にいるのか、まだ当ブログではうまくつかみかねているが、この本もまた原書1992年、日本語訳が1994年というちょっと古めの本である。問題は、これらの流れは1995年を経過して、どのようなところに現在いるのだろう、ということに関心がある。 グロフというと、薬物トリップ、過呼吸セラピー、そして「トランスパーソナル」という単語の羅列、というイメージがどうやらでき上ってしまっている。もし薬物効果がそれだけ凄いことだったとすれば、過去においても類似の薬物が存在したのであり、今後ももっともっと凄い薬物が開発される可能性があるのであり、いくら薬物効果をまとめ上げたとしても、所詮は外的に存在するものに依存しているのであり、そのものを理解したということにはならないだろうということだ。 つまり、かつての地球人が裸眼で星々を見ていた時代と、望遠鏡で星を観察した時代と、ロケットを発射して宇宙探査をやろうとしても、結局は宇宙そのものはなんにも変らないのだ。ただただ自分の知識が増えていくだけのことだ。人間そのものを理解しようとするときに、外的な存在に依存する傾向を強めてしまえば、そこから脱却するには、また同じくらい、あるいはそれ以上の逆のエネルギーが必要になるのではないか、と懸念する。 過呼吸セラピーにおいても、リバーシングとかブレスセラピーとかホロトロピックとか名前をどうつけようと、周辺のシステムをどう味付けしようと、人間は生まれて死ぬまで呼吸をし続けるのだし、かつての人間も未来の人間も生きているかぎりは常に呼吸をし続けている。その呼吸の在り方においてなにごとか起きるとすれば、過去においてほとんどすべてのことが起きてしまっているのであり、ここでなにごとか新しい発見のように提示するのは、どうなのかなぁ、と小首をかしげてしまう。 それに、なんでもかんでもトランスパーソナルという形容を使えば新しい感じがする、という時代はとうに過ぎていることだろう。ここでも、単語だけでは何の意味もない、とちょっとひねた言い方をしておこう。超個、という意味にそれだけ集中してまとわりつく必要もあるまいに、と思ってしまう。ごちゃごちゃ言いすぎていませんかね・・? 薬物体験、過呼吸治療、超個論議、この三題噺には、ちょっと飽きがきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.12.10 22:04:22
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