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カテゴリ:agarta-david
そろそろ「当ブログが読んだ新刊本ベスト10」の下期分を発表する時期が近づいた。例年、夏至から冬至、冬至から夏至の間にでた本で、なおかつその時期に感動をともなった本をリストアップして、過去半年間を総括してきた。 今年もこの半年間で330冊ほどを読んできたが、残念ながら、この半年間の新刊本はわずかに一割。時代が要請し、執筆者が情熱を傾け、読者としてそれを受け入れる、という一連の作業がほぼ同時期に発生することはなかなか難しい。 当ブログは、必ずしも新刊だけを追いかけてはおらず、むしろ、過去に読み落としてきた本たちを拾い直そうというモードに入っており、新刊本どころか、戦後から20世紀末までの本にエネルギーをとられた、下半期だったと言える。 その30数冊の新刊本をみると、3分の2は、チベット関連本だった。残りはネット関連と、車関係がちょっぴりというところ。ネット関連は、特段に目新しいことはなかった。むしろ、ネガティブ情報の中から、いかにして前に進むか、というような内容が多かった。車は、個人的な趣味の範囲を出なかった。 例年、玉虫色に染まりやすいベスト10リストだが、今回はむしろ、チベット問題に絞り込んでベスト10を作ってみることにした。そうなってみれば、今年の後半は、そのほとんどを正木晃・本の巻末参考文献リストを追っかけてきた、と言っても過言ではない。「裸のチベット」にはじまり、「増補版チベット密教」、「マンダラとはなにか」、「密教的生活のすすめ」、という流れの一連を追いかけることに、ほとんどの読書生活が費やされた。 それ以前は、力道山や白洲次郎と正子やOshoのロールスロイス、Youtubeのビートルズを追っかけていたのだから、かなりの方向転換をしたと言っていいだろう。そして、チベット問題が一段落したあとの現在、玉川信明のOsho関連リストを追っかけ、次にはクリシュナムルティやグルジェフに関心が移りつつある。 今年の2008年8月8日夜8時8分(現地時間)に賭けた中国の北京オリンピックに対する世界の反応は様々であった。特に、チベット問題に関心を寄せる世界中のFREE-TIBETな人々の連帯意識はかなり大きなものとなった。 このエネルギーを背景として当ブログの読書も進んできたが、以前より読んできたチベット関連本が一挙に増大する結果となった。時代を背景として、いわゆる「チベット問題」の本も多数目につくようになった。必ずしも、街頭にでてデモンストレーションしようというところまで自分の情熱を高めることはできなかったが、内面的には、マントラ「オン・マニ・パドメ・フム」を唱える日々が続いた。ダライ・ラマ関連本の読書も、意図しているわけではないのだが、次第次第に増加していった。 そんな中にあって、この「日本人が知らなかったチベットの真実」は、新刊として登場してすぐリクエストしていたのだが、人気が高い本なので、私のところに廻ってくるのは、ちょうどこのこの時期になってしまった。ペマ・ギャルボには、「ドルジェのたび」 、「私のチベット」、「チベット入門・改訂新版」、「中国が隠し続けるチベットの真実」、「ならずもの国家 中国の本性 蹂躙されたチベット」などの著書、共書、訳書がある。 ここまで読み込んでしまったかぎり、日本人として「知らなかった」という記事は、この本の中にはそれほど多くなく、むしろ、当ブログの中においては、「FREE-TIBET2008ムーブメント」のしめくくりの位置にあるのがこの本であろう。この本、感動したとか、涙が出たとかいうレベルでは読むべき本ではない。むしろ、これはこれとして事実は事実として、しっかりと受け止め、「 この地上においていかに生きるか? 」を自らに問いかけるための一冊といえる。 チベットに生まれたペマ・ギャルポは、私とは同世代である。6歳でチベットを追われ、12歳で日本にやってきた。その数奇な人生を、自分の少年時代と並べ、この時代的背景に置き換えてみるとき、当然チベット寄りの発言が目立つものの、彼のなんとしても発言しなくてはならない、という気持ちに心から共感するものである。 「真言(マントラ)」とは仏さまの言葉 このオムマニペメフムという真言は「六字真言」とも呼ばれ、チベットの守護神である観音菩薩の真言である。六字ということから想像がつくように、本当はオム・マ・二・ペ・メ・フムという六字から構成されているが、発音に従って四つにわけてその意味するところを見てみれば、オムは私たちの身体、言葉、思考(身口意)および釈迦への呼びかけの言葉であり、マニは秩序や慈悲の世界へと導く宝石のような要素、ペメは知恵の本質である蓮、そしてフムはすべてが調和した境地を表している。 チベットでは、この真言を口に出して唱えるだけでなく、岩やマニ車に掘ったり描いたりしているものを多く見かける。 マニ車とは、円形のシリンダー状になったもので、胴の周りにオムマニペメフムの真言が繰り返し書きこまれている。観音の真言のほかに、パドマサンバヴァ、文殊菩薩、ターラー菩薩などの真言が書かれたものもある。このマニ車を一回転させれば、真言を一回唱えたことになるため、チベットでは人々が盛んにマニ車を回す姿が寺院などでよく見られる。寺院のマニ車は、大きいものでは直径が3~4メートル、高さが2~3メートルあるものがあり、それが堂廊にずらりと並ぶ光景は圧巻である。赤ちゃんがガラガラのように手に持って回すことができる小型のマニ車もあるし、水車や風車のように水力や風力で回るものもある。このように真言を唱えたり、マニ車を回したりして、チベットの人々は観音菩薩への熱心な帰依を表す。それほどチベット人にとって、観音菩薩は特別な存在なのである。観音菩薩は、この世の衆生を救済し、あまねく慈悲を行き渡らせることを目的とする仏の化身だといわれる。観音の「観」とは観ること、捉えることを表し、「音」とは救いを求める人々の音(声)である。観音菩薩は十一面観音として、あるいは千手千眼観音の姿で表現されることが多いが、それもこの世の人々を一人残さず救済するという誓願の表れである。 ご存じのように菩薩とは衆生を救うべく活動する一方で、悟りをj開いて如来になろうと修行に励む存在でもある。その観音菩薩の真言であるオムマニペメフムは、人々がそれを唱えることによって自らの不浄や悪行、苦しみの海から逃れられることに対する感謝の気持ちであるし、誓願を果たし、如来としての悟りを開くための菩薩自らの言葉でもある。 p248
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Last updated
2008.12.22 08:54:11
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