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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2009.01.01
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カテゴリ:agarta-david


「生は〈私が存在し〉て初めて真実となる」
ゲオルギー・イヴァノヴィチ・グルジェフ /浅井雅志 1993/08 平河出版社 単行本 277p
Vol.2 No.499 ★★★★☆

 

 某SNSで私は、家族のIDで別行動を始めたことがある。と言っても大したことではなくて、たんに家族のIDで、何人かの未知なる人に「友達」申請をしてみただけである。この試みは概して快く受け入れられ、ごく短期間に「友達」が増えていった。そのSNSでは、「友達」の登録は最大1000人までとなっていたのだが、それほど時間もかからず1000人まで達してしまった。

 しかし、友達が増えたからと言って、なにかが変わるものでもなければ、不都合なことが起きるわけではなかった。月に何回かは日記を書き、それなりに反応はあるものの、気にいらない書き込みには、こちらは返信しないでおいた。何人かの日記は興味を引いたが、かといって、そのことに深味が加わることもなかったので、次第にこちらの反応が無感動になることも多かった。

 私の興味は、1000人の「友達」そのものよりも、1000人の「友達」が「存在する」というほうに移って行った。1000人に達した「友人」を次第に入れ換え始めた。つまり男性には別れを告げ、女性だけの「友人」に限定し始めたのだ。もともと友達申請を受け入れてくれた人たちはオープンな人々で、来るものは拒まず去る者は追わずタイプの人々が多かった。

 それほど、時間がかからず私の1000人の友人は女性だけになった。しかし、それはネット上のSNS上だけのことだけであり、特段に私の人生に何事かの変化をもたらすことはなかった。私の関心は、もっともっと「友達」の種別を厳選する偏向した方向へと進んでいった。

 プロフィール画像がない人にはお別れをした。そして自分の人物像に関係ない画像をアップしている人にもお別れをした。だんだん1000人の顔つきプロフィールがそろいつつあったが、1000人の視線を向けられていることには、ごくごく短期間に疲労した。ひとりひとり、私に視線をむけている「友達」には別れを告げて、口元とか首元とか、足元をプロフィールにしている人たちだけが1000人残ることになっていった。

 参加している「グループ」も最初は内容を考えて参加していたが、とてもとても全部の書き込みを読むことはできないので、そのうち「参加」していることだけが楽しみになっていった。参加していることの証しは、その「グループ」のトップ画像が表示されることだった。「グループ」も1000個参加できるので、ひたすら興味ありそうなところを1000個登録した。

 閉鎖的にメンバーを選別しているグループもあったが、ほとんどのグループは好意的に参加させてくれた。そして、私の関心は、また偏向した方向へと向かい始めた。「グループ」のトップ画像が綺麗なブルー系のモノだけに限定しはじめたのである。探してみると実にブルー系は多く、私のようにブルー系だけのグループにしか参加していない人は、何人もいるようだった。

 やがて、私の「家族」のIDは、1000人の女性の体のプロフィール画像と、ブルー系の「グループ」トップ画像で満載になった。検索をし続けていると、数百人のメンバーがいるのに、管理人が不在となってしまっていて、管理人を募集している「空き家」グループが何個も存在していた。そこで私の「家族」のIDは、まんまといくつの「グループ」の管理人になりすましてしまうことができた。

 ここまでの作業の数か月の間、私は誰にも不利益を与えることもなかったし、不道徳に取られるような行動はなにもしなかった。もちろん、私が不利益を被ったこともなかったし、不道徳な事態に直面することはなにもなかった。

 そのままであれば、私は私の「家族」のまま、SNSというネット空間に漂っていることができただろう。それからさまざまな「偏向」的なひそかな実験を続けることは可能ではあったあろうが、じきに私の関心は、速やかに収縮していった。

 やがて、誰にも不利益もあたえず、誰をも不道徳な問題にまきこまず、私の「家族」のIDはもとに戻っていった。そして、私はそのIDを二度と操作することはなかった。私のひそやかな実験は、誰にも知られることなく、ごく短期間に終了した。

 「私」は、私のキャラクターをつくり出し、ネット上に「存在」することは可能ではあった。しかし、それは、「真実」にはならなかった。私はそこで生きることはできなかった。誰にも不利益を与えなかったが、もし不利益があったとするならば、それは唯一、私自身についてであっただろう。最初の「偏向的」な楽しみはそれほど長く継続することなく、「家族」になりすますことは、それほど長期にはできない、ということを悟ったのだった。

 さて、当ブログであるが、これは「私」が「存在」し、「真実」なものになっているだろうか。たしかに「家族」になりすましているわけでもなく、読み手を限定し、「偏向的」な情報を流し続けているわけではない。しかし、私は、偏向した「私」を書きつづけてはいないだろうか。私は、顔のない1000人の「友達」たちにメッセージを送りつづけている、ということはないだろうか。私は、単になんの意味もなく、ブルー系の表紙の本だけを選んで読みつづけている、ということはないだろうか。

 Life Is Real Only Then, When " I Am"

 私は、「私は存在した」というほど、リアルな人生を送っているだろうか・・・?






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Last updated  2009.01.01 18:51:08
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