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2006.09.17
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カテゴリ:仕事考
       川崎和男流   名古屋大学大学院芸術工学研究科教授
               大阪大学大学院阪大フロンティア研究機構特認教授
               01~03年度グッドデザイン賞審査委員長
               著書「デザインの極道論」


前回、ゴミだらけの世を突き進む「きれいごと」の力の続き

※※「企画」と「計画」はどこが違うのか※※


 デザインするという行為には、企画と計画という2つのフェースがある。
   企画の企という字は、人が足を開いて立ち、遠くを見ている姿だ。
   対する計画は、そもそも計画と書いた。経とはタテ線の意味である。
 ぼんやりした夢とか理想の世界に構造を与えるのが企画であり、
   その企画にタテ線を入れてアクションプランに落とし込んでいくのが計画だ。
      いわば、戦略と戦術である。


 やりたいことが思うようにいかない、という事態は、
   企画ではなく、計画の段階で起こってくる。
 企画は青臭く、計画は泥臭い、そんなふうにも言えるのかもしれない。
 「青臭い」とは、向こう見ずでひたすらに純粋で、なおかつ果敢でありたい情熱だ。
 「泥臭い」には、それなりに損得勘定もできる小賢さが働いている。
 企画を計画に落とし込むときに現実の醜さが見えてくる。
 「この道を進もう」と勇んで踏み出せば、足元にはゴミが撒き散らされていたりする。
    企画が大きいほどゴミの量も多い。そんなゴミのなかを何を頼りに進めばよいのか。


 私の場合は「道理」である。これが、きれいごとの出発点だ。
   「筋」や「理屈」や、そして「論理」と言ってもいい。
     道理に合わないもの、筋、理屈、論理の通っていないモノゴトは、美しくない。
 道理を曲げれば曲げるほどものごとは複雑になり、
     ひずみが溜まっていつか噴出する。


      人を自由にするための「仕掛け」として、
                   そのデザインが、不幸を引き込む装置になってしまうのだ。


ビジネス月刊誌「PRESIDENT」から





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最終更新日  2008.09.21 15:06:09
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