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カテゴリ:経済・ビジネス
1か月ほど前、あるテレビ番組で「シュガー社員」という言葉を初めて聞いた。
この若手社員たちは、ろくに仕事もできないのに、とっても甘ったれ。 周囲に迷惑をかけているのに、そのことに気付くということが全くない。 そして、いつも、自分本位に物事を考え、行動している。 その番組では、「シュガー社員」の実体をドラマ風に再現していたが、 その元になっていたのが、本著で紹介されている事例だと、後に知った。 その実体は、「ヘリ親依存型」「俺リスペクト型」「プリズンブレイク型」に、 「ワンルームキャパシティ型」「私生活延長型」等々、実に様々なタイプがある。 そして、本著では「シュガー社員」と呼ばれる若手社員の驚愕の事例を紹介するだけでなく、 彼ら、彼女らへの対処法についても、タイプ別にそれぞれ言及してくれている。 しかし、本著を読み終えて、私が辿り着いた「シュガー社員」への対処法は、 極論を言えば、次の一文に集約されている。 学校は子供を選べませんが、企業には採用の自由があります。 ただし、個人レベルの話をすれば、中間職にいる人達は部下を選べず、 誰にも相談できずに、ストレスを抱えてしまうことがままあります。 経営者の皆様は、どうか気をしっかりともって、 現場の声にも耳を傾けながら採用にあたってください。 *** 本著では、「シュガー社員」が発生した背景を、 「好景気を甘受してきた親」「偏差値重視の末に迷走した学校教育」 「ITによるコミュニケーション不全」「能力主義に伴う転職志向」の4点に求めている。 それらが奇妙に合致した結果、皮肉にも生み出された不可思議な存在が、「シュガー社員」である。 中でも、「シュガー社員の家庭環境(p.20~)」の記述は、 当を得たものであり、たいへん興味深い。 我が子が学校でいじめられている噂を聞けば、 血相を変えて担任の先生に怒鳴り込みます。 子供が何か悪さをしたと呼び出されたのなら、 「ウチの子がそんなことをするわけがない。 同じクラスの○○ちゃんに無理矢理させられたに違いない」 「○○ちゃんと遊んだから自分の子が悪くなった」と、 我が子の性格を客観的に見ることができず、 人のせいにしてしまうのもこの世代の親の特徴です。 たとえ、そのステージが、「学校」から「会社」になっても、 こうした親の立ち位置は何ら変わりません。 過大評価を受けて育った子供は、外の世界でよほど痛い目に合わないかぎり 自分のことを過大評価したまま大人になるのは当然の帰結でしょう。 「私は人とは違う特別な存在」と勘違いしてしまっても、おかしくはありません。 (中略) 彼らがそのまま大人になり、社会という大海に出て現実に直面したときにようやく、 世の中には自分より優秀な人間がいっぱいいることに気がつくのです。 そして、人とは違う特別な存在であるはずの自分に、 明確な人生の目標がなかったことにも気づかされます。 これは、親が教えてくれなかった現実です。 (中略) そのときに、親の甘い言葉を一身に受けて自己を過大評価しながら成長してきた人ほど、 現実と直面することに耐えられず、逃避を繰り返すのではないでしょうか。 *** 学校の教室における「生徒」と「教師」の力関係の変化、バランスの崩壊が、 職場における「社員」と「上司」の関係に、いよいよ本格的に持ち込まれ始めた。 「教室内の力学」の変化というものに鈍感だった世の中や企業が、 これまでの社員とはあまりにも違う、彼ら彼女らの異質ぶりに、今頃になって驚いている。 しかし、「シュガー社員」と呼ばれている年代の、若者の異質さ加減というものは、 実は、まだまだ序の口である。 今後、社会人としてデビューしていくであろう「生まれたときからケータイ世代」は、 さらに、世の中や企業を愕然とさせると思われる。 この現実には、その「生徒」や「社員」の「保護者」「親」が大きく関わってくる。 この「保護者」「親」の意識の変化こそが、「シュガー社員」を生み出した根源であろう。 だが、その「保護者」「親」の「教師」や「上司」に対する意識の変化を急速に促したのは、 現代社会における「個の有り様」や「社会や人との繋がり」の捉え方の変化である。 我々の社会が求めてきた「個性の尊重」という考え方が、大きく歪んだ形で現れたのが、 「シュガー社員」と言えるのではないだろうか。 そして、この歪みを正すには、「社会」「家庭」「学校」が協調して、 「教育」や「子育て」において、本当に必要なものは何なのかを問いなおし、 それを取り戻すべく、三者が一体となって、真剣に取り組んでいくしかないだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.04.26 12:58:02
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