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こんにちは。 半年以上もご無沙汰したのに、オイラのことを覚えていてくれる人たちがたくさんいてうれしいです。 それにしても、久しぶりに楽天ブログで更新してみると、ワードの文書や写真の貼り付けなど細かい部分のストレスをあまり感じられなくなりました。 いわゆる使い勝手が良くなったような。 でも、昔のような賑やかさが薄れてしまった感が無きにしも非ず。 地方の昔栄えた商店街みたいに、閉まったシャッターばかりの店舗にならなければいいのですが…。 …と、自分のことを棚にあげて、考える今日この頃。 もっとも、そんなことを言う資格はオイラにはないのでした。 今日は、前回の駅伝ハイクの続きです。 官ノ倉山の頂上に立ったオイラは、遠くから見るとフタコブラクダの背中のようになっている石尊山へ向かいます。 こちらも多少手こずりましたが、ほどなく山頂へ。 ![]() 標高はなんと、344.2メートルですと…。 官ノ倉山が344.7メートルだから、50センチしか高さが違わないのですね。 今までいた官ノ倉山の山頂がよく見えました。 山頂から降りようとすると、急な岩場。しかも、今度は急斜面にクサリ場までありまする。 ![]() これは、箱根駅伝の下りの6区より難所かも。 もちろん、角度だけですが…。 クサリをつかんで下りるのですな。真冬なので素手で触ると痛いっす。 登りのときはあまり感じなかったのですが、降りるときは若い頃に比べてスピードが大分落ちているのに気づきました。 体力面は仕方ないですけど、なにげに、年相応に慎重になったと言いますか。 年齢的に、足を骨折すると寝たきりにつながりかねませんからね。 それに比べて、若い頃は、今思い出しても無鉄砲さに背筋が寒くなりまする。 20代の頃、筑波山へ行ったとき、ノンストップで山頂から駆け下りたのですよ。 ノンストップと言っても、途中で転んで何度も止まりましたが。 感覚でいえば、パチンコ玉がピンに当たりながら落ちていくような。 ピンの役目を果たしたのが、山道の途中に生えている木です。 駆け下りていくとき、木をつかんだり、離したりしてスピードを調節したのですが、たまに大木に体当たりして転倒してしまったのです。 一応、無事に下山はできたものの、おかげで、一週間くらい膝がガクガクしてうまく歩けませんでしたね。 それに引き換え、今はものすごく慎重になったのは、やはり若い頃、怖い目にあって懲りたからでしょうか。 下りも杉林の山道を延々と歩き、小川町の市街へ。 このハイキングコースは標識が整備されていて、迷う心配がほとんどありませぬ。 その分、ストレスなく風景を堪能できる点がいいですな。 途中、急な石段の上にある北向不動尊にお参りをしたり、のどかな田園風景を眺めたりで、なかなか楽しかったです。 コースの途中にある八幡神社は、小川町の鎮守様として慕われているらしい。 ![]() うちの近所にも八幡神社がありますが、住宅街のなかに埋もれるようで、たびたび場所を探すのが大変なときもあります。 こちらは広々としていて、神様も気持ち良さそう。 神社のすぐ近くにあるのが、穴八幡古墳。 ほとんど予備知識がなく訪れたのですが、最初は、小振りな円墳に横穴が開いているだけなのかなと思っていました。 ところが、どうしてどうして、立派な古墳じゃあ~りませんか。 ![]() しかも、珍しい方墳なのだとか。 一辺の長さが約28メートル、高さがおよそ6メートル。古墳のまわりには二重の周溝がめぐっていたそうな。 石室の長さは約8メートルだそうですが、こんな存在感のある玄関?があるのも珍しいっす。 ![]() 鉄柵のすき間から、中をのぞいて見たら、エメラルドグリーンの石がピシッと組み合わされている。 この石は、緑泥片岩と言って、古墳の石室に使われるのは珍しいそうですね。 エメラルドの石室の伝説ですか。 ![]() 石室の入り口から、ザ・テンプターズの名曲「エメラルドの伝説」を中に向かって唄いたい心境になりましたが、また、野鳥が逃げるといけないので、ここはぐっと我慢しました。 駅伝ハイクも楽しかったし、立派な古墳も見れたしで、あとは小川町駅から帰るだけ。 住宅街をテクテク歩いていると、「仙覚律師跡・中城跡」という標識が目につきました。 「仙覚律師跡」って、お寺の跡っすか? 気になったのは、後に記された「中城跡」という3文字。 矢印の方向は、住宅街の狭い路地につながっている。 こんな住宅街の真ん中に、城跡なんてあるんですかね。 崖の下に、仙覚遺跡という石柱がありました。 ![]() ここに古いお寺でもあったのでしょうか。 もう遅いから行こうかと思ったのですが、何となく地形が気になったので、台地の上に行ってみることにしました。 坂道を登ると、そこはテニスコート。 その先にあるのは、もしかして、土塁っすか。 しばらく歩くと、思いのほか、立派な城跡が眠っていたのでした。 もう、こんなすごいところがあるなら、早く言ってくれ~!!! 危うく、通りすぎるところじゃ。 それにしても、仙覚律師跡という紛らわしい表示は一体何? 解説板を読んでみると、仙覚律師は鎌倉時代の天台宗のお坊さんで、「万葉集」の注釈書である「万葉集注釈」という本を、この場所で著した人らしい。 詳しいことは不明だそうですが、この中城と呼ばれる城は、鎌倉時代は猿尾太郎種直、室町時代の初期は斎藤六郎尉重範の居館だったとか。 現在残っている遺構は、戦国時代のもののようですね。 現在の城跡が出来る前に、仙覚律師がここにおられたようですが、オイラ的には小川町が誇る城跡として、もっときちんと表示してほしい。 せめて、縄張り図があるといいと思いますよ。 城跡の本郭と思われるあたりは、テニスコートがでんと鎮座しておりまする。 それでも、この土塁の残り方は、関東地方の城としてはAクラスでしょうね。 ![]() 喜んだオイラは、土塁を登ったり、下りたり、下りたり、登ったり、そしてまた下りたり、登ったり…。 雪が降って、庭を駆け回る犬のように、城跡を歩き回ったのでした。 土塁の下に、陣屋沼という池があり、これは当時の堀の一部かなとも考えたのですが、あとで調べたらどうやら違うようで。 ![]() でも、陣屋というネーミングは、戦国時代の戦か、もと城跡だったという痕跡なのでしょうか。 ちなみに、この沼もエメラルドグリーンっすか。 それはともかく、あとで調べたら、小川町には戦国時代の城跡がたくさんあるのですね。 以前、近くの仙元山にあった青山城に行きましたが、このほかにも、腰越城や高見城という山城もあるらしい。 来年こそは、駅伝ハイクでビジベン大学は初優勝を遂げるとともに、山城も攻略して二冠に輝きたいものだと大きな目標を立てたのでした。
時々、JRの階段を、無茶な登り方や降り方をする若者に出会います。
よく、段を踏み外さないな~と、感心しております。 こういう古墳があるのも、本州ならでは、なのでしょうか。 秘境、あるいは神秘的と言えますね。 ビジベンさんは、おいくつなのでしょうか??(2012/01/21 07:36:42 PM)
そうです、下り坂は膝に来るんですよね・・・
ゆっくり下ったほうがいいですよ。 山だけでなく、古墳や城址も楽しめて一粒で3度美味しいウォーキングでしたね!(2012/01/22 05:27:47 PM)
お久しぶりです。
古墳は少し位の高い方なのでしょうか。ビシビシ伝わってきてます。 このところ楽天ブログのほうも寂れてきてますよね。。。アメーバに心変わりしそうです(笑)(2012/02/04 02:39:10 PM) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |
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