神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。
神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。
(創世記1:27)
神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。
そこで、人は、生きものになった。
(創世記2:7)
天地創造の箇所です。
この記述は、伝承部分ですので、かなり古くからの言い伝えなのでしょう。
洪水伝説が、ギルガメッシュ叙事詩の粘土板にも書かれているわけですが、この記述もメソポタミアの文化を受け継いでいると思われます。
ここで注目されることは、神による人の創造が、他の創造物と明らかに違うこと、「ご自身のかたち」に造られたことです。
あるいは、私たちの側で言えば、自分の身体や精神は、神の形に似ている、あるいは、自分を見ることによって神の姿を自分の中に発見することができると捉えなおすことができます。
詳しい創造の過程は、創世記2章にあります。
土はヘブル語でアダマーといい、人はアダムといいます。
土から取られたから、語源が一緒です。
息は、ルーアッハで、霊とか風ということばです。
霊魂、いのちの息が吹き込まれて初めて人となったということです。
霊的存在(スピリテュアルな存在)とはここからきています。
人類は、この創造者なる神と向かい合う歴史が始まります。
最近流行の霊能者が、テレビ等で人の守護霊をみたり、前世を見たりして、その人の運命を占っていますが、聖書の教えに反するものです。
人は、天地万物の創造者と向き合わなければならないのです。
人は、罪を犯し、神との交流を失いました。
さらに神との交流を失ったところに人類全体が背負った原罪があり、不幸の始まりとなりました。
「罪を犯す」ということばは、もともと「的をはずす」、「枠の中に入れない」の意味です。
「悔い改める」は、「元に戻る、方向を変えて正しい方向に向かう」の意味です。
あなたは、今日の聖書の箇所が、どんなに全能の神が、人類を愛し、あなたを愛し、その深い慈しみが、あなたに向けられているか、を知ることができるでしょうか。
あなたが、自分の弱さを知ったなら、その弱さの中から、全能なる神に目を向け、神の愛を十分に感じていただいてほしいと思います。
天の父なる神様。あなたの大きな豊かな愛を感謝し、その愛にそむく罪深い私を許してください。アーメン
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