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テーマ:心の病(7312)
カテゴリ:聖書のことば
わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。」
聖書のメッセージは、あらゆる束縛からの開放のメッセージがその中心です。それは、あがなうと言うことば、身代金を支払って奴隷を自由にするということです。捕らわれたものを自由にするためには、その代価を支払う必要があります。病が癒されること、罪が許されること、罪を犯したものが、神の前にたつ事ができるためには、みなその代価が支払われる必要があると言うことです。このことは、意外とよく理解されていません。現実の世界では、物を買うためにはその対価が支払われます。支払わないで物をとってしまうことは許されません。なぜなら、物を作るためにはその労働が行われているからです。しかし、宗教的なことと現実の世界とまったく違う世界にあると考えがちなところがあります。たとえば、神は超越した存在だから、無秩序に何でもできる、悪いことも良いことも含めて、論理的に矛盾があってもかまわないようなところがあります。古代の人々には、その考え方が普通でした。しかし、聖書の世界では、決してそうではないのです。この紀元前数千年という古代の時代から一貫して今日に至るまで、倫理的にも論理的にも高い水準で神のメッセージがあると言うことは奇跡的なことです。人が自由になるためにはその代価が払われねばならない。その代価を支払う救世主メシアが登場するというのが神から与えられた約束でした。キリストは、全人類の罪を背負い、罪から人類を自由にし、すべての造られたものが神の前に出て、神の裁きを受けることができるように道を開いてくださったことがもっともおおきな出来事でした。もちろん、ただ出ることができただけでは、神の国に入ることができません。ここで自分の正しさを示さねばなりません。正しいもののみ神の国に入ることができます。イエスを信じる信仰の正しさ、そのことによってわたしたちは、神の国に入ることができるのです。これが、新約聖書の示している神の恵み、恩恵です。
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Last updated
2006.06.12 10:39:00
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