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テーマ:心の病(7312)
カテゴリ:聖書のことば
49:3 わたしに言われた/あなたはわたしの僕、イスラエル/あなたによってわたしの輝きは現れる、と。
イザヤ書49章には、第2の僕(しもべ)が出てくるところです。この僕は、イザヤでもとれるし、イスラエルの民のうちの信仰の正しい人々でもとれるし、イエス・キリストを示しているように取れるし、またキリストを信じる人々、クリスチャンの多くの人々に当てられた名前であるようにも取れます。多くの場合、聖書の預言のなされる方法が、このような方法をよっていくつにも意味が重なっているように預言されます。聖書の預言の時間的連続性、時間的普遍性と言えます。イザヤはいろいろなことで悩んだり、苦しんだり、悲しんだりしたことでしょう。4節でそれを言います。それはどんなに神のことばを取り次ぎ、人々に叫んでも何一つ変わらない無力感です。きっとイザヤは、何度も現実の壁にぶつかり、またこれから起こるであろうイスラエルの悲劇を予想するとき、自分の無力感に深く悩んだことでしょう。でもそこから、彼は、自分の無力感から、神のほうへと目を向けます。これが大切です。後半から、イザヤは、5節に神の力の無限なこと、神の計画に信頼します。これは、誰にでも当てはまる真理です。イスラエルの民の帰還のときを、キリストのゲッセマネの祈りを、キリストの弟子の働きを、私たちの人生からも理解できます。神のことばは、私たちの生の人生を通して語られるものです。あなたの一つ一つの痛み悲しみが、神様の愛によって人々への希望のメッセージに変えられます。どんなときがその身におころうとも、どんなことが待ち受けても、神様はあなたと共にいて、世界の国々の光として、「神様は決してあなたを見放さない」「必ずその労苦の報いを受け取ることができる日が来る」というメッセージを地の果てまで届けることでできるのです。これが、神様の救いのメッセージ、福音です。
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Last updated
2006.06.18 20:09:12
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