ブログを作る※無料・簡単アフィリ    ブログトップ | 楽天市場
024353 ランダム
こだわり情報・バーズアイはロハス… (料理・食べ物)楽天ブログ 【ケータイで見る】 【ログイン】
こだわり情報・バーズアイはロハスな毎日と生活情報のブログ!
ホーム 日記 プロフィール オークション 掲示板 ブックマーク お買い物一覧

PR

最新競馬予想

カレンダー

2012年5月
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<前の月今月次の月>

楽天プロフィール

設定されていません

フリーページ

コメント新着

 ペット総合サイトアクセス記録ソフト無料 楽天 アクセス記録ソフト! ...
 ペット総合サイトアクセス記録ソフト無料 楽天 アクセス記録ソフト! ...
 江尻幸雄@今初めてホームページを見付けました。04年から「五代友厚公研究所」委員と...
 海のくまさん@チン型取られちゃったw http://onaona.mogmog55.net/c49f5...
 チリチリ@次は庭で全裸予定w http://kuri.backblack.net/grfjjv...

キーワードサーチ

お気に入りブログ

新米タクドラ記録… ウッディ66さん

ブログリンク

>お気に入りブログに追加
ブログが更新されると
メールでお知らせします

モバイル

>>ケータイに
このブログの
URLを送信!

 

広告するなら、こだわり情報誌・こだわり通販のバーズアイです。無料懸賞プレゼントと気が向けばつづるコラムを中心に書いております。無料懸賞プレゼントは当ショップが運営する『広告するなら、こだわり情報誌・懸賞プレゼント・こだわり通販のバーズアイ』のリンクページでご覧になれます。

ちかさん00の日記 [全46件]

2010.01.29楽天プロフィール Add to Google XML

スリランカと五代友厚公とのつながり  (1)

 

■明治維新、明治近代化のリーダー、商都大阪を築いた大恩人■


<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/30/0000887630/74/img473962fbzik6zj.gif" width="505" height="411" alt="01メイン画像">

昨年6月に発足した「社団法人スリランカ友好協会」の松本勝幸代表理事に、特別顧問をされている久保田彌一郎氏を紹介され、スリランカと五代友厚公とのつながりをお聞きしているうちに、胸が熱くなってきて、後日、梅田の「関西文化サロン」でお会いし、取材させていただくことができた。
五代友厚公は、明治維新のとき活躍した一人で、明治近代化のリーダーであったばかりか現代の商都大阪の基礎を創った大恩人であることがわかり、五代友厚公の研究をされてきた久保田さんのなみなみならない熱い想いとともに、21世紀の大阪再生のために、五代の志を引き継ぐ人材を輩出したいと言うことでお互いの想いが一致した。

スリランカ人ネルソン氏の
「五代友厚研究」
ーー 昨年、バーズアイで「中之島特集」を組んだ時、五代友厚公の銅像を見上げたことを思い出しましたが、こんなに早く五代友厚の話を聞くようになるとは思いませんでした。初めて久保田さんにお会いしたのに、前から知っているような感覚でお話に吸い込まれてしまいましたが、五代友厚という人物によっぽど惹かれたんでしょうね。久保田さんが「五代友厚公研究」を始められたいきさつからお話いただけませんか。
久保田 私も同じ想いですね。五代友厚公をもっと世に広めてゆきたい、いや、今こそ、五代が世界に、日本に、この大阪に必要なんだという気持ちと、バーズアイとの出会いがシンクロした、という感じがしてとてもうれしいですよ。
私がちょうど1973年ごろの高度成長の時期に、企業コンサルタントとして広島のある企業を訪問していた時、その会社の社長がお世話をしているスリランカの留学生の話を聞かされたのが始まりですね。
ネルソン・ウィターナゲというスリランカの若者が国費留学で広島大学に入って勉強して修士課程を終え、大阪大学で博士課程を勉強したいと言っているので、彼の大阪での後見人になってやってほしい、という依頼を引き受けてバトンタッチしたのです。ネルソン君は頭もいいけどテニスや運動神経も抜群で、後にスリランカ在関西名誉総領事として活躍することになるのです。
ーー スリランカ総領事館には行ったことがあるので、私が会っていた方と同一人物でしょう。奇遇ですね。
久保田 それは、やっぱりネルソン君が引き合わせてくれたんでしょう。
彼は阪大の大学院博士課程に入学してから、宮本又次教授に勧められて「五代友厚の研究」をテーマに卒業論文を書いたのです。
ーー その教授はネルソンさんに「五代友厚」の研究を勧められたんですか。
久保田 そこなんですがね。ネルソン君の育ったスリランカという国は非常に心豊かな国だったのに内紛でいっぺんに貧しい国になってしまったんです。逆に日本は、敗戦で貧しい国になったのに、みるみるうちに経済大国になっていった様子を見て、なぜこんなに自分の国と違うんだろう、そこが知りたい、と言う彼の国を思う気持ちから日本留学を志願して広島大学に入ったのです。
ーー 聞いただけで胸が熱くなります。

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/30/0000887630/92/img3032671dzik5zj.gif" width="300" height="451" alt="商工会議所前">


国を思う気持ちが日本留学へ
久保田 つまり彼は自分の国を何とか豊かな国にしたい、という一念で勉強していたから、教授が研究していた「五代友厚」を学んで欲しい、その志を引き継いでスリランカのために働いて欲しい、と言う、これまた教授の熱い想いをネルソン君に注いでくれたおかげなんですね。
ーー 想いが受け継がれたのですね。
久保田 きちんと目的を持って大学に入り、そのための研究をして、それを国や社会に還元する。これが学生と大学の在り方でしょう。
ネルソン君は「五大友厚の研究」に没頭して、それをスリランカの国のため、関西一円の人たちのためにはたらいたのです。それが認められて若くしてスリランカ日本大使館の名誉総領事として認証されたのです。その結果、関西在住のスリランカ人の支援も熱心にして非常に慕われていたのですよ。
それが2005年、インド洋津波で家族を失った子どもたちの支援のため母国に滞在中に急死したんです。日本の友人以上の付き合いでしたから、残念で全身の力がすっかりなくなってしまった感じでした。
ーー 友厚公の志をもっと生かしたかったでしょうに残念ですね。

<img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/30/0000887630/22/imga6ddbfefzik9zj.gif" width="200" height="145" alt="水夫">  

今、なぜ五代友厚公なのか
久保田 彼が亡くなって、膨大な研究資料だけが残り、それを眺めてばかりいました。その資料もネルソン君と一緒にイギリスまで行って調べてきたものもあり、それを見て彼の心残りのことを想うと胸が痛くなり、私はもう一度五代友厚公について勉強し直してみようと思ったのです。
ショックだったのは、日本人の中で「五代友厚」とう人物がどんなことを成し得たのか、ほとんど知る人がいないということが判り、これほどの人物を政府の高官すら全くと言っていいほど知らないのはなぜなのか、という疑問に突き当たったのです。
それで、五代友厚公のことを誰かに本に書いてもらうか、どのようにして世に知らせて行けばいいのか、寝ても覚めても頭にあるのは五代友厚公のことばかりでした。
そんな頃、今度は私自身の人生に大きな試練が次々に訪れてきて、それどころじゃない状況になってしまいました。体調を崩した上に交通事故で緊急入院するはめになって、何もかもあきらめかけていた頃、NHKの「その時歴史は動いた」という番組で五代友厚公のことが放映されたことを知ったのです。
それではじめてわれに返って、五大友厚公のことをもう一度考えようと思ってから元気になれました。そして、機会があって今年の10月から一年間の約束で「五代友厚公に学ぶ大阪活性化のために」という連載を書くことになったのです。
ようやく、遣り残したことに息を吹き返したところです。今年の9月は、五代友厚公が没して125年目、生誕175年なんです。いよいよ時が来たという感じを強くしているところです。

大阪を愛し、大阪で活躍し、大阪を近代化に導いた大恩人
ーー 久保田さんから頂いた資料をもとに「五代友厚」に関する情報を集めてみようと書店や図書館に行って調べて見ましたが、明治維新の志士たちの所にただ一行名前が書いてあるだけで、何にも情報が手にはいらなかったのですが、どうしてなんでしょうか。
久保田 そこが不思議なところですよ。薩摩藩の武士として西郷隆盛、勝海舟、大久保利通、坂本竜馬たちと共に激動の時代を駆け抜けた志士の一人だった彼が、明治政府樹立後は、政府高官の地位を辞し武士の地位も捨て、大阪復興のため、商人として活躍したためか、陽の目を見るようになったのは、実業家としての功績でしょう。
でも彼が大阪の中之島にある造幣局や商工会議所を創った人物であることや大阪製銅(住友金属)などの企業を起こしたことや鉱山王であったことを知る人は少ないですね。ましてや大阪を東洋のマンチェスターにと、都市づくりに尽力したのになぜなんだろうと思って追求しました。
彼はあれだけの大事業をやりながら名も金も残さなくていい、ただただ日本のために、という人だった。それで私なりの納得がいったのです。
ーー 五代友厚を書き表した著書で「士魂商才」(佐江衆一著・新人物往来社刊)をお借りしたのを読んでみて、五代の熱い気持ちが伝わってくる箇所がありますね。新政府の中枢にいた五代が大阪に造幣局を創り電信事業を手がけ、大阪湾を近代港へと建設してゆく。その五代が上司の小松帯刀に話すくだりが五代の心意気を表しています。
「小松さぁ、俺は奔放不羈じゃっで、宮仕えはむきもはん。性に合わんとじゃ。この際、官を辞めせい商人になる腹ばきめもした。幸い大阪の商人が慕ってくれもす。俺は武士もやめせえ、こん大阪を東洋にマンチェスターにしとうごわす」ここに、惹かれますねえ。
久保田 そして五代が辞職の決意をこう伝えるんです。「これからは、新生日本のために貿易をし産業を興す。欧米列強に日本が伍す富国強兵の殖産興業じゃ。大久保さぁもぜひ欧米をその目で見、肌で感じてきやんせ。残念なことに、いまの日本の商人は世界を見る見識がなく、旧態依然として細利に汲々とし、世界に通用する企業を起す者がおらん。俺がやらねばなりもはん。俺はもともと商人にむいちょっとじゃ」
ーー それからの五代の活躍はすざまじい勢いでしたね。
久保田 造幣局に納入する地金を製造する金銀分析所、金銀銅鉱石の採掘と精錬をする鉱山、活版印刷所、堺に紡績工場、大阪新聞の発刊、大阪株式取引所、大阪商法会議所(現在の大商工会議所)、銀行、鉄道(南海電車)、船会社(大阪商船)と次々に手がけてゆく。そのほとんどが現在の中之島周辺のいたるところにあるのですよ。

 




最終更新日時 2010.02.03 17:19:52
コメント(1) | コメントを書く


2009.12.21

ロハスにスイッチ! 2010年に想いを馳せる  (5)



 

金融危機から始まった2009年、
政権交代が起こったことの意味は、日を追うごとに大きくなってくるのを感じています。
 さて、バーズアイも、21世紀の持続可能なライフスタイルを求めて、農・食をみつめる取材を通して皆さんと一緒に考えてきました。
北摂のレストランのシェフたちが「地産地消」の推進を連携して活動する会「北摂会」を立ち上げたことを取材してお伝えしましたが、あの時9軒だったお店が、現在は20軒に増えて来ています。食育をテーマにした料理教室や野外でのイベントなどの活動も盛んになってきて、それぞれのお店も元気になってきています。
 また、「箕面森町通信」の編集などで関わっている「とどろみ森クラブ」の活動拠点である箕面森町の里山管理小屋での「森の元気市場」も大変な盛況で、初日に1500人の来場者があり土日は行列ができるほどの来場者です。約一カ月の社会実験を終えた後には常設館として、森の中の「道の駅」として続けていってほしいものです。
 われわれの意識が変わって、農と食が変われば、環境も変わり医療も変わります。そして福祉のあり方も雇用も教育まで変わってしまう、そんな社会実験がこの北摂でできたら
という思いが、少しずづ形になる芽がでてきたのが、今年のうれしい収穫だと思います。
 夏には、4人の建築家を取材し、21世紀型の新しいライフスタイルを産み出してゆくための「バーズアイプロジェクト」を一緒に立ち上げました。そして滋賀の過疎地で「菜園家族」構想を始めておられる小貫先生を取材することができ、そこで受けたインパクトによって、一気に「菜園家族・エコヴィレッジ」の構想が生まれたのです。

 


都会と農村の中間地帯に、自給自足型の菜園付集合住宅を核にした菜園家族のコミュ二ティを創くりたい。子供やお母さんは自然の中でのびのびと過ごし、主人は都市の職場に通って収入を得、週末は家族で農的生活ができる。お年寄りだって菜園セラピーと土いじりのリハビリで元気になれる。集合住宅の共有スペースである中庭の大きなテーブルでは、採れたての野菜を使った手作りの料理をみんなで囲んで話が弾む。子育てやお年よりをみんなで見守る。そんなコミュ二ティを創れる広い土地を北摂近郊で探してみようということになったのです。
 その話がでてきた頃、NPOをやっている友人から電話があり、万博公園にあるエキスポランド跡地で「農と食と環境」をテーマにした一大イベントを来年4月から1年間かけて開くことになったから広報担当スタッフで入ってくれという依頼が飛び込んできたのです。
 ついこの前、現地視察で関係者が20数人集まり下見を兼ねたミーティングが行われました。そこで「菜園家族エコ・ヴィレジ」のことを話したら「そのモデルを創ってここから発信したらどうだろうか」という話に発展して、実現の可能性がでてきそうです。
 もし、北摂のど真ん中、万博記念公園に「ロハス・ヴィレッジ」ができて、多くの皆さんに観てもらうことができたら、こんなうれしいことはありません。この企画の実現が2010年に叶うかも知れません。残された1カ月、2010年が希望の年になるようにがんばりたいと思います。
 来年も、ロハスを発信するバーズアイを、どうかよろしくお願いいたします。
                            発行人 宗近 孝

写真の説明
つい最近、親族の3回忌の法要で田舎(尾道)に行く機会がありました。
田舎が嫌で都会にでてき私は田舎の土地は何の価値もない、と思って見向きもしませんでした。しかし「菜園家族」構想を知ってから、その視点で田舎の我が家の田畑や山林を眺めた時に、なんとここにこそ「菜園家族・エコヴィレッジ」が必要である。そう思ってしまいました。価値観が一変してしまいました。



 








最終更新日時 2009.12.24 14:05:49
コメント(5) | コメントを書く

2009.11.20

熱狂的ミュージカル フアンの慎太郎さんのBLOG  (6)

ミュージカル

パブリシティ
演劇の世界では、公演にあたり、重要な事項を記者会見で各新聞社の芸能欄告知を期待するだけで。後は、「チケット好評発売中」とだしたらいい方。それ以上のことはしない。
「予算もないので、それ以上のことができますか」と云った調子である。それ以外の告知イベントは主演俳優のプライドがゆるさないので 主催者もそれに同調するのか。
昨年だったと思うが 例の911事件のエピソードを題材にしたドラマの関西公演が、何もせずドラマシティで公演、ガラ空きだった。主催は某有名新聞社。
新劇界の名女優が出演するユニークな対話劇を、多くの人は、そのドラマ上演さえ知らなかった。かなりユニークな題材をより多くの人々に知らせることを怠り、惜しいことだった。雰囲気づくりせずにどうする。

ところが、ここに紹介するのは、2010年
大舞台

まず、
それを見るだけでも内容の理解に役立つ舞台装置のセッティング過程をマスコミに紹介。

宣伝

年賀はがきの新発売初日にウイキッド主演俳優が参加。それと、関西の有名スイーツメイカー関西ロールとタイアップして新ロール「エルフィーロール」を制作。大阪四季劇場ではカットしたものを上演期間中販売。

なお。ロールは堂島ロール本店で買えます。これもそれほど資金を要するものではない。これらのイベントは関西のマスコミに取り上げられた。前の2つのイベントは何に金がかかるのか。要はアイディアとやる気である。

宣伝




最終更新日時 2009.11.20 21:39:10
コメント(6) | コメントを書く

2009.11.14

深い歴史とともに文化のかおりがあふれている町…伊丹  (3)

鼎談

熱い想いが伝わってくる
バーズアイ まず、岡本さんから自己紹介を…。
岡本 神戸市生まれで今も神戸に住んでいます。2007年に入館、今年で3年目です。
バーズアイ 外から見た伊丹はどうでしたか?
岡本 はじめは神戸と比べて都会的なイメージが持てず、どんな町かなぁ…ぐらいの気持ちでした。しかし、いざここで働いてみると、市民の皆さんの「まち」を思う気持ちは半端じゃなくて「わぁ熱う!」と驚きでした。
バーズアイ お仕事柄、伊丹は江戸時代からの古い文化のまちとして興味がおありになったのでしょうね。
岡本 ええ、調べて行くと、深い歴史とともに文化のかおりもあふれていることを知りました。
バーズアイ それは少しお話しただけで、ビンビン伝わって来ましたね。澤野さんは如何ですか。
澤野 私はこの仕事をして4年目です。伊丹生まれの伊丹育ちなんですが、この仕事をするまでは「住みやすいし、文化のまちだから子育てにもいいなぁ」くらいの気持ちでしたね。
バーズアイ 住んでどっぷり浸っていると分からないかもしれませんね。
澤野 他の都市へ出て行っても、また戻って来る人も多いし、皆さんの意見がまとまるのにちょうどいい大きさの「まち」ですね。自転車で一周できる…みたいな(笑)。
バーズアイ 飛行場の方が有名ですが…。
岡本 そうでしょう。だかられっきとした兵庫県なのに、大阪府だと思っている人も多いんです。

酒造家
岡田邸 

清酒発祥の地「伊丹」
澤野 清酒発祥の地ということは知られているようで広がっていない、PRが足りないのかなぁ。
岡本 神戸に住む私が言うのは変だけど、今は灘のお酒の方が有名になりましたがぜひ、伊丹の美味しいお酒を皆さんに味わって頂きたいですね。
瀧内 慶長5年(1600年)に、有名な出雲の武将山中鹿之助の長男が戦いに破れ、伊丹に来て酒造りを始め、ら当時は濁酒だったものが、今のように清んだお酒を発見したのが始まりです。
岡本 それで元禄時代には、この伊丹郷町を中心に発展、江戸へも出荷され、最盛期には関西から江戸へ89万樽も送られたそうです。その中心が伊丹でした。
バーズアイ さぞかし活気があったでしょうね。
瀧内 そこで財をなした旦那衆は和歌や俳諧、連歌、謡曲・歌舞など、諸芸を楽しみました。
澤野 地元の上島鬼貫や井原西鶴も有名ですね。幕末にかけては漢学者の頼山陽が何度も伊丹に来ていますし、大阪や京都にはない文化が育ったようです。

憩いの場

町の中心にあるほっとくつろげる「ポケット広場」

柿衞(かきもり)文庫の由来
岡本 伊丹の文化の要である「柿衞文庫」はそういう人たちの作品が数多く収蔵されています。酒造家での酒宴の席で岡田家にあった台柿(ヘタの周囲が丸く盛り上がっている)を出したところ、その美味しさに感動した文人・墨客たちが、その思いを詩や画に表現、その作品は今も「柿衞文庫」に残されています。
伊丹の柿
瀧内 柿衛(かきもり)文庫の名前はその柿を衛(まもる)というところからです。岡田家二十二代の岡田利兵衛氏は「柿衞」と号したそうです。
バーズアイ その伊丹のシンボル的な「台柿継承プロジェクト」が始まりましたね。
岡本 やがて学校の校庭などでの柿の実が成るのがみられるでしょう。
澤野 伊丹郷町でも特に皆さんに見て頂きたいのは、江戸時代延宝2年(1674年)に建てられた旧岡田家の住宅・酒蔵で、現存する建築年代の明らかな日本最古の酒蔵として国の重要文化財になっており、かまどや帳場が展示されています。
瀧内
 最盛期には83の酒造家があり、伊丹酒は将軍の御膳酒にもなっていました。
バーズアイ そんな中で大阪と神戸とも一線を画す文化が生まれたのでしょうね。

白壁
伊丹市立伊丹美術館

元禄時代に華開いた文化の息吹きが今に伝わって
岡本 江戸時代の人々の熱い想いがベースになっていて、今、伊丹の文化をもっと皆さんに知って頂きたい、味わって頂きたいという気運が高まって来ているのだと思いいます。
澤野 この「みやのまえ文化の郷」には美術館・工芸センター江戸時代の町屋が集まって文化ゾーンを作っていますが、人口に比べて音楽・演劇の専門のホールのほか、総合ホールなどおおくの文化使設があります。
バーズアイ この面積の市では珍しい?

市民の文化活動の場
アイホール

澤野 そうなんです。他の町から来られる方もありますが、市民の皆さんが自分たちで使って下さり、見に来て下さるということは、市民の文化の質の高さを表わしていると思っています。

itami
伊丹市立昆虫館
岡本 昆虫館、水鳥の宝庫、昆陽池もありますよ。
澤野 昆虫館との協力で2006年から始まった「鳴く虫と郷町」のイベントも続いていてうれしいです。

音色

瀧内 若い市民の方の発想に商店の方や行政も賛成したんですよ。このあたりが伊丹が熱く燃える理由でしょう。
バーズアイ 和のお店だけでなく、洋風のお店で聴いても違和感がなく、虫の声って本当に癒されますね。
岡本 昆虫館の協力もあって、それこそ官民が一丸となって成功しているイベントです。





市民とお店と行政が一つながりで
バーズアイ 10月の「まちなかバル」のイベントは54の商店が参加して下さったそうですね。
瀧内 これも市民側からのアイデアが実ったもので、皆さんの熱い想いをヒシヒシと感じます。
バーズアイ 取材に協力して下さったクロスロードカフェさんに行ったら、文化振興財団の若い人が色々と意見を聞いておられる…お役所の方とは思えない対応ぶりにびっくりしました。いままでの感覚にはないことだと思いましたね。
岡本 「まち」を思う気持ちがいっぱいなんですよ。私たちもいろいろ情報をお聞きしたり、お話しに行ったりしています。
澤野 市民と商店主さんと行政の気持ちがとても近いんです。
バーズアイ これからやりたいことは何でしょう?

古地図
伊丹市立博物館

伊丹の「今と昔」をもっと知ろう!
岡本 今日お話していて、もっともっと伊丹の「今・昔」について知りたい、勉強したいって思いました。そしてまたそれをベースに企画したり、市民の皆さんにフィードバックして伊丹の文化を広報し、子供たちにも、もっと知って欲しいです。
澤野 教科書の中での勉強ではなく、現在残っている古いものを子どもも大人も触って使って、古いものを残しつつ現代につなげていけたらと思います。

お城の遺跡
有岡城址

瀧内 伊丹の歴史は荒木村重や有岡城が欠かせませんが、謎につつまれている部分も多いのです。そういうものを掘り起こして、昔の人たちの生活や思いなどを含めて伊丹の文化をもっと皆さんにお伝えしたいですね。
岡本 美術館の収蔵品や企画・展示のことをいつも考え、多くの皆さんに見てもらい、そこで皆さんのリアクションを知る。だからこの仕事は楽しくてやり甲斐があります。他の都市の皆さんにも「伊丹は今熱いんや!」と口コミで広がって行けばうれしいです。
澤野 工芸センターでは、日本だけでなく海外からも作品を募集する「伊丹国際クラフト展」を開催しています。テーマは、清酒発祥の地として「酒器・酒盃台」と「」ジュエリー」が交互になっています。今年の大賞作品は野草で作ったティアラ(王冠)とリングです。時代を読み取った物語性のある作品に感動しました。ほかにも手織や陶芸などの講座のも力を入れていて、モノ作りの楽しさをお伝えできることが嬉しいんです。
バーズアイ これからこの熱い想いをふくらませて市民の皆さんや他の都市の皆さんに、文化にふれ合う心のゆとりの大切さをお知らせして下さい。ありがとうございました。

荒牧のバラ園
荒牧のばら園









最終更新日時 2009.11.20 21:10:00
コメント(3) | コメントを書く

深い歴史とともに文化のかおりがあふれている町…伊丹

鼎談

熱い想いが伝わってくる
バーズアイ まず、岡本さんから自己紹介を…。
岡本 神戸市生まれで今も神戸に住んでいます。2007年に入館、今年で3年目です。
バーズアイ 外から見た伊丹はどうでしたか?
岡本 はじめは神戸と比べて都会的なイメージが持てず、どんな町かなぁ…ぐらいの気持ちでした。しかし、いざここで働いてみると、市民の皆さんの「まち」を思う気持ちは半端じゃなくて「わぁ熱う!」と驚きでした。
バーズアイ お仕事柄、伊丹は江戸時代からの古い文化のまちとして興味がおありになったのでしょうね。
岡本 ええ、調べて行くと、深い歴史とともに文化のかおりもあふれていることを知りました。
バーズアイ それは少しお話しただけで、ビンビン伝わって来ましたね。澤野さんは如何ですか。
澤野 私はこの仕事をして4年目です。伊丹生まれの伊丹育ちなんですが、この仕事をするまでは「住みやすいし、文化のまちだから子育てにもいいなぁ」くらいの気持ちでしたね。
バーズアイ 住んでどっぷり浸っていると分からないかもしれませんね。
澤野 他の都市へ出て行っても、また戻って来る人も多いし、皆さんの意見がまとまるのにちょうどいい大きさの「まち」ですね。自転車で一周できる…みたいな(笑)。
バーズアイ 飛行場の方が有名ですが…。
岡本 そうでしょう。だかられっきとした兵庫県なのに、大阪府だと思っている人も多いんです。

酒造家
岡田邸 

清酒発祥の地「伊丹」
澤野 清酒発祥の地ということは知られているようで広がっていない、PRが足りないのかなぁ。
岡本 神戸に住む私が言うのは変だけど、今は灘のお酒の方が有名になりましたがぜひ、伊丹の美味しいお酒を皆さんに味わって頂きたいですね。
瀧内 慶長5年(1600年)に、有名な出雲の武将山中鹿之助の長男が戦いに破れ、伊丹に来て酒造りを始め、ら当時は濁酒だったものが、今のように清んだお酒を発見したのが始まりです。
岡本 それで元禄時代には、この伊丹郷町を中心に発展、江戸へも出荷され、最盛期には関西から江戸へ89万樽も送られたそうです。その中心が伊丹でした。
バーズアイ さぞかし活気があったでしょうね。
瀧内 そこで財をなした旦那衆は和歌や俳諧、連歌、謡曲・歌舞など、諸芸を楽しみました。
澤野 地元の上島鬼貫や井原西鶴も有名ですね。幕末にかけては漢学者の頼山陽が何度も伊丹に来ていますし、大阪や京都にはない文化が育ったようです。


最終更新日時 2009.11.14 22:39:09
コメント(0) | コメントを書く

2009.11.13

自然が大好き!身近な里山のお話です。  (1)

里山

カツラの葉の香り
秋の紅葉の頃、山を歩くのがとても気持ちがいい季節です。特にブナ林などの落葉広葉樹林の中を歩くのは格別です。
そして以前から、この時期に沢沿いを歩くと漂ってくる甘酸っぱい香りが何の匂いかとても気になっていました。始めはサルナシかヤマブドウの実が発酵した匂いかな?と思ったのですが、あたりにサルナシの実もヤマブドウの実も見当らないし、謎のまま月日が経ちました。
去年の11月、友人と渓谷を歩いていると、ちょうどこの香りが漂ってきました。すかさず友人に何の匂いかと聞くと、“カツラの木の葉の匂い”だと教えられました。確かにその場所には1本のカツラの木が生えていました。今年もまた、この香りがする場所でカツラの大木がそびえ立っています。

黄色

調べてみると、カツラ(桂)は、カツラ科カツラ属の日本固有の落葉高木で、北海道から九州に分布する。山地の谷沿いに生育し、まとまった林にならず点々と離れて生えることが多く、高さ30メートル、直径2メートルにも達します。黄葉した葉には甘い独特な香りがあり「抹香にした」と書かれていました。
なるほどとその通りなのでした。この香りをうまく表現できないのが残念です。五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)を膨らませて、野山を歩くとまだまだいろんな発見があります。

スケジュール



最終更新日時 2009.11.13 15:14:33
コメント(1) | コメントを書く

2009.11.10

「Birdseye」に掲載しているロハスなエッセイ  (1)

エッセイの共通タイトル

今頃の季節になると、紅葉した落ち葉を拾うのが楽しみだ。子どもの頃には黄や赤の落ち葉で動物や花の模様を作り貼り絵にしたりして遊んだが、一枚ごとの色柄の美しさに、いまだに落ち葉拾いがやめられない。

落ち葉

紅葉した落ち葉には、一枚の中に自然のアートがある。人工では逆立ちしても出せない色柄だ。同じものは二つとない。テーブルに広げて眺めいってしまう。季節、温度、空気が介在する植物の営みの不思議さ。葉っぱは、樹の上にあるときはとても地味である。

樹の葉は、花や実に比べると目立たずあまり関心をもたれないけど、ほんとはスゴイ働きをしている。日光と空気中の二酸化炭素、根からの水分で光合成をし、でんぷんを作ってエネルギーにする。地球広しといえども、生物の中で自らエネルギーを生産しているのは植物だけだ。動物はもっぱら消費するのみ。動物は葉や実などの植物を食べて成長し、その動物を人間が食べて生きていける。食物連鎖の大元にあるのは植物だから、やっぱり植物はエライ。

紅葉

落ち葉となって地面に落ちた木の葉は、それで終わりではない。山や森の土を豊かにしているのも木の葉だ。土の上に落ちた後は、虫や微生物の食べ物になって分解され、徐々に発酵して腐葉土となる。(落ちた後も、まだ生物のエサになっているのだ)。樹を育てる栄養たっぷりの土だ。この腐葉土はスポンジ状になって水を大量に含む力があるので、豪雨になったときの水害の防止にも役立っている。葉っぱの働き一つとってみても、人間はとてもかなわないと思ってしまう。

草花を鉢植えにするときに、草花用の培養土にこの腐葉土を少し混ぜると、土全体が活性化し、植物も元気に育つ。今は既製品で腐葉土も売っている時代だが、草花の鉢植え用くらいの量なら、落ち葉を集めて自分でも作ることができる。落ち葉そのままで気に入った美しい葉は、食卓の箸置きにしたり、テーブルのディスプレーや料理のお皿に飾ったりして、秋の自然の色を愛でる。落ち葉の色は乾燥すると変わってくるので、一日花といっしょで「一日葉」であるが、人間が作りだせない色柄の美に一瞬敬意を表するのである。


紹介文



最終更新日時 2009.11.10 19:14:18
コメント(1) | コメントを書く

一覧

おすすめアイテム

Powered By 楽天ブログは国内最大級の無料ブログサービスです。楽天・Infoseekと連動した豊富なコンテンツや簡単アフィリエイト機能、フォトアルバムも使えます。デザインも豊富・簡単カスタマイズが可能!

Copyright (c) 1997-2012 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.