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1章.年の瀬の祭り

  天空の黒 大地の白
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俺がお前と一緒に 地獄へ堕ちてやろう
  
見下ろす瞳が、闇を帯びて輝いた。
あの日、この国のすべてが、新たに意味づけられたのだ。

フライハルト
神の非存在を確信する一人の男へと捧げられた
巨大な箱庭


1章.年の瀬の祭り

1791年 フライハルト 12月31日 年の瀬の祭り

「どう?似合っているかしら。」
アルブレヒトは、女主人の問いかけに視線で同意してみせた。
王宮の一室で、レティシアは今宵の祭りの衣装合わせをしている。
18世紀ヨーロッパ。
プロイセンとオーストリアという大国に挟まれた、いまだ統一されない小国家群の中に、「フライハルト」がある。
地味は豊かだが、これという産業ももたない、大国の野心からさえ取り残されたような国。
先王の後を継いで女王となったレティシアは、2年前に夫であるプロイセン貴族、エグモント・バルトを亡くした。
狩猟に出たエグモント殿下が猟銃を暴発させ、わずか3年の結婚生活は終わりを迎えた。
1789年、隣国フランスでは革命の旗の下、王政が死へと歩み始めた年であった。

あれから二年。
女王レティシアは二十歳を迎え、今宵、特別な意味を持つ祭りに参加しようと決めた。そのための衣装合わせである。
かつて宮廷画家が、彼女を「現代に甦ったヘレネー」と表現したのは、決してお世辞ではない。
今、優雅なひだをたっぷりと寄せたギリシア風の衣を身にまとい、腰まで届くプラチナブロンドの髪を、編み込みや宝飾類で贅沢に仕上げた彼女は、まさに絵画から抜け出た神話の住人のように見えた。
生身を感じさせない程の、透き通って清浄な肌。
宮廷人の誰もが憧れる、深みをもった碧眼は、まなざしに高い知性を秘め、彼女の高潔さを物語っている。
だが、今日の彼女はいつにも増して物憂げで、伏せがちなまつげが瞳に陰を落としていた。

「陛下、ご無理をなさらずとも・・・。」
アルブレヒトが主人を気遣う。
一瞬、彼女が窓から差し込む日の光に眩しそうな仕草をしたのを見逃さず、彼はさりげなく移動して、主人を自分の陰に入れた。
6フィート(約186cm)を超す長身と、厚い胸板、静かで統制のとれた機敏な動作は、彼が優秀な武人であることを思わせる。
逆光を受けて輝く銀髪と、感情を殺したような厳格な容貌の中で、灰色の瞳が今は穏やかな光をたたえている。
陛下と呼ばれた女は、彼の気遣いに微笑みで返した。
「気晴らしが必要だと、言ったのはあなたよ。それに・・・」
今日は、名前や身分を口にしてはだめでしょう?と。
見上げるような体躯の男を、彼女は子犬でも叱るように優しく、たしなめた。

今宵行われる「年の瀬の祭り」は、フライハルト建国以前からこの地方に伝わる習慣である。
12月31日から元日にかけては「うるう日」、つまり「暦に存在しない日」として扱われ、あらゆる国民が地上の枷(かせ)から解き放たれる。
身分も、立場も、天地の法もすべて、この日ばかりは人々の心から消え失せ、一夜限りの恋を愉しむことが許された。
フライハルト地方を含む一帯で、冬至である12月25日から、1月6日にかけての期間に特殊な風習があるのは、はるかギリシア時代のアイオーン信仰の名残とも言われる。
ともあれフライハルトの宮廷では、この日、貴族達を招いた饗宴の開催が慣例となっていた。
そして長い気鬱に悩まされた女王は、今日初めて、自らこの宴に参加するつもりである。


「やっぱり・・・この衣装は、ちょっと・・・。」
「今さらなに言ってる。出会いの場では、一にも二にも目立つこと!男は目立って、目立って、目立ちまくってナンボだ!!」

会場となる大広間に続く通路で、ロイは渋る友人の腕を掴んで強引に歩き出した。
「ユベール。俺が選んでやった衣装が気に入らないってのか?」
「そうじゃないけど、恥ずかしいよ。」

ユベールの均整のとれた、まだ少年のしなやかさが残る褐色の肢体は、古代風の金と藍の刺繍で縁取りされた真白い衣が優雅な波を作って、かろうじて腰から膝上まで覆われている。
その他は、左腕に異教を思わせる唐草模様の腕輪と、膝までとどく編み上げ靴をまとっているだけだった。
「黒いプロメテウス、といった風情じゃないか。矢筒も用意しておいて良かった。」
うんうん、と芝居がかって頷いてみせるロイに、ユベールは無駄な抵抗を試みる。
「第一、君だってやっぱり、あの可愛らしい婚約者に悪いじゃないか。」
「あのな、お前はこの国に来て日が浅いからそう言うが、俺達の間では当然の事なんだって。何度も言ったろ。彼女は彼女で楽しんでる。」
「そんな・・・。」


ユベールは、ふだん朴訥として人畜無害に見えるこの国の人々が、行きずりの相手と愉しむなどという背徳的習慣を持つことを、いまだ理解できずにいる。
フライハルトきっての名族に生まれながら、彼は少年時代をフランスで過ごしてきた。
フランス人であった母親は、何代か前にイラン周辺の東方人の血を受けていたらしい。
何の因果か、母方の先祖返りを起こして生まれた彼は黒い肌を父親に厭(いと)われ、母子そろって実家に送り返されてしまった。
その母が亡くなったこと、父親が老齢に達しても他の子を生まなかったことで、ようやく後継として呼び寄せられたのは、わずか半年前である。
「大体フランスの宮廷では、こういうのが日常茶飯事だったんだろ?それに比べれば、俺達の方がよっぽどマトモだ。違うか?」
ロイのもっともな意見に、ユベールは諦めてうなずくしかなかった。

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