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大阪生まれあちこち育ち(父が転勤族だったため:秋田・広島・和歌山・横浜・北海道など)。結婚と同時に仙台に落ち着く。
普段から「世の中の一般的な価値観と自分の持つ価値観が違うなあ」と思うことが多い。例えば大企業の社長や資産家をちっとも偉いと思えない。 私が心魅かれる人たちについて、そして教育や育児について、日々思うことを書いています。 Blue jetの日記 [全163件]
以前からすごい人だと思っていたけれど、自分が人生の3分の2を過ぎた年齢になって、ますます「すごいなあ」と思うのが伊能忠敬だ。 伊能忠敬-日本中を測量して歩き、初めて正確な日本の地図を作った人。元は江戸の商人。シーボルトがその地図を国外に持ち出そうとして大事件になった。それ位貴重な地図だった。 18歳の時に商人の家に婿養子に入り、傾きかけていた商売を再興した。堤防の改修工事や大飢饉の時の炊き出しなど、地元のためにも多大な貢献をしたそうだ。 50歳の時に長男に家督を譲って江戸に天文学・測量を学びに行く。そして56歳から15年以上をかけて日本中を測量して歩く。 当時の平均寿命は今よりずっと短かったはずだから、周りの人はびっくりしただろう。しかも50歳の時に20歳も年下の人に弟子入りする。変なプライドやメンツに囚われていたらできないことだ。 当初周りの人たちは「年寄りの道楽」だと思っていたが、忠敬のひたむきな姿に徐々に見方を変えたそうだ。結果的には幕府が後押しする国家的事業を成し遂げることになる。 自分が何歳まで生きられるかなんて誰にも分からない。死ぬのは明日かも知れないし40年先かもしれない。「若いから時間がある」と一概に言えるものでもない。伊能忠敬が「どうせもう時間が無いから」とあきらめていたら、この国家的事業は成し遂げられなかっただろう。 でも彼にとって「物になる」とか「人から認められる」ということは二の次だったのかもしれない。それは測量に向かう時の忠敬が実に嬉しそうだったという話が残っているからだ。自分の目標に夢中で、どこで人生を断ち切られるかなんて問題ではなかったのかもしれない。 人が自分をどう思おうと関係ない。最後の瞬間までやりたいことに夢中で取り組んだ人生。それはきっととても楽しかったはずだ。なんて素敵な人生だろう!と思う。
NHKの『開拓者たち』というドラマを観た。証言を基に満州開拓団を描いたフィクションだ。 実は母の友人に満州から命からがら逃げてきた人がいる。親も兄弟も逃げる途中で亡くなり、たった一人で日本に戻ってきたそうだ。帰国後に親切な人に出会い今は幸せに暮らしているけれど、当時の苦労は並大抵のものではなかったと話してくれたことがある。 関東軍に置き去りにされた開拓民。上官の命令で敵を拷問し軍事裁判にかけられた軍人。ロシアに抑留された人。泣く泣く子どもを残してきた人。みんな理不尽な運命に翻弄されている。でもそれも朝鮮半島の人たちにしてみれば、自分たちの土地を理不尽に侵略されたということ。観ていてとても複雑な気持ちだった。 私も「理不尽だ」と思うことがよくある。自分がしたことではないのに責任を押し付けられたり、上司の勘違いで叱られたり・・・ でも世の中を見回すと理不尽なことのなんと多いことか。坂本弁護士一家殺害事件、横田めぐみさん拉致問題、JR福知山線脱線事故、山口県光市母子殺人事件・・・日々新聞報道で見るニュースはどれも理不尽なことばかり。一所懸命生きてきた人が地震や津波で一瞬にして命を奪われる。これもまた理不尽な話だ。 考えてみれば「今まで理不尽なことが無かった時代なんて一度もないんだ」と思う。自分だけが理不尽な思いをしているわけではない。世の中はそもそも理不尽なことでいっぱいで、みんな歯を食いしばってその理不尽と闘い、乗り越えているのだ。 ドラマの合間に元開拓者のインタビューが流れた。あれだけの苦労を乗り越えてきた人とはとても思えない、その穏やかな表情が返って心を打った。
子どもの頃、どちらかというと大人しい方だったので、喧嘩することはめったになかった。でも小学校5年生の時の喧嘩を今も覚えている。喧嘩といっても女の子同士の喧嘩だから叩きあい・殴り合いではなくて罵り合いの喧嘩だった。そして私は完全に負けた。相手が繰り出すバラエティーに富んだ(^_^;)罵り言葉に全く太刀打ちできなかった。 「低能」「バカじゃないの」「頭おかしいわよ」「気持ち悪い」・・・言葉の一つ一つに傷ついた。でも今にして思えば、当時「死ね」という言葉だけはみんな絶対に言わなかったような気がする。 家に帰ってしょげていると、当時同居していた祖父が喧嘩のいきさつを聞いて私に話しかけてきた。「何と言われた?」「バカ、アホ、気持ち悪い・・・」 そして「それでお前は本当にバカになったのか?」と尋ねた。 祖父の質問の意味が分からずにポカンとしていると「バカと言われて、言われる前より言われた後の方が、バカになったのか?」と祖父はもう一度尋ねた。 少し考えた。相手から「バカ」と言われたからといって、言われる前よりバカになったわけではないはずだ。そう思って「バカにはなっていないと思う」と言うと、祖父は「それじゃあ、そんなに腹を立てる必要はない」と言った。 「もし相手がお前を「バカ」と言って、それでその瞬間から本当にバカになってしまうのなら、必死に訂正させなければならない。でも相手がどんなに「バカ」と言ってもその瞬間から本当にバカになるわけではないのだから気にする必要はない。 人からけなされたからといってその瞬間から自分がダメな人間になるわけではないし、人から褒められたからといってその瞬間から素晴らしい人間になれるわけでもない。今いる自分は今いる自分のまま。言われる前も言われた後も何も変わりはしない」 祖父との不思議な会話が頭の中を行ったり来たりしている内に、腹を立てていたことをすっかり忘れてしまった(笑)。 言葉はもろ刃の剣。人を生かしもすれば殺しもする。人の言葉に簡単には傷つけられない手立ても必要だ。祖父はその手立てを一つ、私にくれたのだと思う。
京都府亀岡市で起きた無免許・居眠り運転事故に昔のことを思い出した。 もう20年以上前、結婚前に勤めていた学校は底辺校と呼ばれる荒れた高校だった。生徒が警察に補導されることもあり、土曜の午後は教師が校外を巡視していた(当時は土曜半日授業だった)。 「お宅の生徒が広場でタバコを吸っています。何とかしてください」「お宅の生徒が店先で騒いでいます」という通報はしょっちゅうだった。 喫煙、飲酒、シンナー、暴走行為・・・ある日校外巡視中、公園で数人の生徒が集まっているので近寄ったら、その生徒たちが四方八方にすごい勢いで逃げた。シンナー吸引の跡が残っていた。 そういう学校に勤めていて本当にがっかりしたのは、親があきらめてしまっていたことだ。 「うちの子には何を言っても無駄なんです」「もうあきらめています」と他人事のように言う。子どもが何をしても「もう何も言わないのだ」と言う。子どもの問題行動をできるだけ見ないようにし、見えても見えていない振りをする。そんな無責任な感覚で親になったのか?ととても腹立たしかった。 子どもに無視されようと、悪態をつかれようと、人として「してはいけないこと」は「してはいけない」と、「ダメなこと」は「ダメだ」と言い続ける責任が親にはある。あきらめて「ダメだ」と言うのをやめれば、それは親が容認したことになる。 子どもを育てるということは、その子の人生に責任を持つ覚悟をすること。その覚悟があるかないかは子どもにもちゃんと分かると思う。 面倒なことを嫌がって、子どもの問題行動にきちんと向き合わずに後回しにすれば、そのツケはいずれもっと大きな形になって親に返ってくる。問題が小さいうちに正面から向き合ってほしい。物事の善悪はもちろん、そういう行動に至った子どもの気持ちにもちゃんと向き合ってほしい。 今回の加害者の親と当時関わった保護者とがどうしてもダブって見える。 「子どもが無免許で運転していることを知らなかった」という言い訳は通用しない。
年子で2人目を出産して間もない頃、2人を連れて銀行に行った。2歳前の息子と3カ月の娘と一緒に待っていると、ニコニコ笑って私達3人を眺めていたおばさんが近寄って来た。 「お兄ちゃん、おりこうさんにしているね」と息子の頭をなでてくれた(実は息子は人見知りが激しく、周りに知らない人がいるので固まっていただけだった(笑))。 そして「赤ちゃんはまだ小さくて分からないけど、お兄ちゃんはもうみんな分かっているからね。嬉しい、悲しい、誇らしい、寂しい、悔しい・・・全部分かっているからね。赤ちゃんは少し位泣いていても大丈夫だから、お兄ちゃんのことを先にしてあげてね」と言われた。 「時々お兄ちゃんをひざに抱っこして、"大好きだよ"って抱きしめてあげてね」とも言われた。全く見ず知らずのおばさんだ。 生まれたばかりの赤ちゃんはかわいい。つい下の子にばかりかまけていることを反省した。 人のことに立ち入らない、干渉しないという傾向の強い時代。アドバイスするのはそれなりに勇気がいっただろう。それでもどうしても伝えたくなったのだろうと思う。 その人と会ったのはその一度きり。どこかですれ違ったりしているかもしれないけれど、どんな顔の人だったかすら、覚えていない。銀行に行った日、家を出るのが10分遅かったら、きっと会うこともなかっただろう。でもその時交わした会話を今も覚えている。 人とのご縁って不思議だなあと思う。
娘が小学校2年生の時、クラスにR君という男の子がいた。お母さんたちの間では"裕福なお家のお行儀の良いお坊ちゃま"と思われていたけれど、子どもたちの間ではとても評判が悪い。娘の話では陰で女の子たちを叩いたり蹴ったりするというのだ。 ある日PTAの集まりがあって校庭の隅から校舎に向かって歩いていると、校庭の反対側に2年生の一団がいた。例のR君もその中にいて、遠くから見ているとかなり腕白だ。 その時その一団にやはりPTAの集まりでやってきたR君のお母さんが近づいた。とてもきちんとした奇麗なお母さん。私が驚いたのはその時だ。R君の態度、表情が一変した。背筋をぴんと伸ばして明らかに緊張感が漂っている。一瞬で「お坊ちゃま」に変貌した。 どうもお母さんの前では優等生を演じている様子。R君が緊張しているのを見て「お母さんがとても厳しいんだなあ」と思った。 そしてなんだかR君が可哀想になった。緊張感を持続するのは苦しい。大人でも外で気を遣っている人ほどその反動が家庭で出るという。子どもだって幼稚園や学校ではそれなりに気を遣い緊張しているから、その緊張を解き放つ時間が必要だ。そしてそれは本来家庭の役目だと思う。 でも家庭の中で必要以上に管理され、優等生でいることを求められている子どもは、その緊張を外で発散するしかない。家では少し我儘でも、だらしなくても、外ではちゃんと我慢できる。その方が自然だし健全なんだなあと思った。 親は立派すぎるよりも三枚目の方がいい。そして立派な家庭よりも、あったかい家庭の方がいい。 学校で嫌なこと、辛いことがあっても、家庭でその思いをスポンジのように吸い取ってあげることができたら、子どもは次の日もまた元気に出かけていける。そんな心の基地が子どもには必要だと思う。
3月末に引っ越した息子から「無事に入社式を終えた」と連絡があった。 海外から帰国したのが去年の3月末。就職活動を始めたのが4月。就職活動は秋から始まっているので同じ学年の就活生に半年遅れてのスタート。しかも当初震災で東北新幹線が使えず移動にも一苦労だった。 それでも就職活動ができるだけ幸せだ。同級生には家を流された人、お母さんを亡くされた人もいる。 一番大変だったのは6月。遅れを取り戻そうと月の半分は仙台を離れて活動していた。最終面接まで行って落とされることも何度かあった。最終面接まで行くと「いけるかも」と期待するから、落とされた時の精神的なダメージは大きい。なんとなく元気のない時期もあった。 一つ憂鬱なことがあったそうだ。それはほとんどの企業から「うちが第一希望ですか?」と聞かれること。企業側にしてみれば、お金・時間・労力をかけて行う採用だから、内定者に辞退されることは避けたい。だから「必ず入社すること」を確かめたい。 でも就活生にも事情がある。「第一希望ではありません」なんて答えたが最後、絶対に採ってはもらえない。しかも第一希望の企業に内定がもらえる学生はほんの一握り。学生の大半は何社も受けて、どこかに採ってもらいたいという切実な思いでいる。だから第一希望でなくても「第一希望です」と答えるしかない。 でも「第一希望です」と嘘をつくのがつらい息子は、何度か「第一希望グループの一つです」とあいまいに答えたようだ。そしてその答えに表情を変える採用担当者もいたそうだ。 平気で嘘をつける人なら良心の呵責を感じることはないのかもしれない。それを"世渡り上手"と言うのかもしれない。でも私は息子にそうなってほしくなかった。だから何とアドバイスしたらいいのか分からなかった。 今回入社した企業は不思議なことに「うちが第一希望ですか?」とは聞かなかったそうだ。そこにこの企業との"ご縁"を感じている。 社会に出れば、ある程度は世渡りの術を身につけなければならないだろう。でも保身ばかり考える世渡り上手にはなってほしくないなあ、と思う。 |一覧| |