すべての原発が稼働を停止した今、核燃料再処理工場は、する仕事もなく開店休業状態であるが、それでも工場を安全に維持するためには年間1100億円の費用がかかる、と14日の東京新聞が報道している;
使用済み核燃料の再利用に向け、試験が進む日本原燃の再処理工場(青森県六ヶ所村)は、仮に稼働させなくても、維持費だけで年間1100億円もの費用がかかることが、政府の資料や日本原燃への取材で分かった。再処理工場を含む核燃料サイクルは、10兆円の巨費を投じても実現のめどが立っていない。費用はいずれも電気料金などの形で国民が負担している。当てのないまま事業を続けるのか、議論を呼びそうだ。
原子力委員会で核燃料サイクル事業の是非が議論されている。2020年に原発をゼロにし、それまでに使った核燃料は再処理せずに地中に埋める直接処分が最もコストが安いとの試算が出た。ただし、推進派と反対派の主張がかみ合わず、判断を先送りするムードが出てきた。
先送りした場合、問題になるのが、ほとんど完成した再処理工場の扱いだ。新たな方針が決まるまでの間は試験運転程度にとどめたとしても、保守点検、グループ会社による警備、放射線管理、人件費などさまざまな費用が必要になるという。
核燃料サイクル事業では、高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)も、止まっていても年200億円弱を費やすことが問題視されてきたが、再処理工場は実に5倍強の維持費だ。
本紙の取材に、日本原燃は「設備を安全かつ健全な状態に維持・管理するための恒常的な費用」と主張。現状で100億円近い再処理技術の研究費の継続さえ必要との立場だ。これらの費用とは別に、現在、核燃料サイクル施設が立地していることを理由に、政府が青森県内の自治体に支払っている交付金もある。11年度の交付額は92億円。
費用も交付金も、大半は電気料金、一部は税金の形で国民が負担している。
2012年5月14日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「動かなくても年1100億円」から引用
この核燃料再処理工場も、再利用に必要な微量のプルトニウムを抽出した後に残る大量の高レベル放射性廃棄物を、安全に廃棄する方法は確立されていない。上の記事では、使用済み核燃料を再処理しないで地中に埋めるのが最も安上がりと書いているが、それすら安全性が確認されたわけではない。元々生物に有害でない程度に希薄化して存在していたものを、寄せ集めて濃度を高めるという「悪魔の作業」を行った結果である。これ以上危ない物質を作り出さないためには、すべての原発を廃炉にするしかない。
小泉内閣がゴリ押しした郵政民営化は、5年たって後戻りすることになった。そのことについて、15日の東京新聞コラムは、次のように述べている;
経済部にいたころ、経済官庁をいくつか取材した。中でも印象が強いのば、2度にわたって担当した旧郵政省である。2度目に担当した時の郵政相が後の首相、小泉純一郎氏で、同省の運命を変え、私にも強烈な印象を残したのだ。
同氏は郵政相に就任してからも、持論の「郵政民営化」の旗を降ろさず、むしろ折に触れて強調した。このため、旧郵政官僚から徹底した「嫌がらせ」に遭い、情報を上げてもらえないなど、苦労した。
同氏はその後、「郵政民営化」を旗印に自民党総裁選を勝ち抜いて首相に就任、長期政権を築いて、郵政公社を民営化した。その際、衆院解散後の総選挙で圧勝するなど、政界の地殻変動を起こした。
だが、小泉改革の象徴として実現した民営化は、5年で見直されることになった。郵政民営化見直し法が成立したからだ。
持ち株会社、日本郵政の下の4事業会社のうち郵便局、郵便事業の2社を統合する。さらに、ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険の金融2社に対する国の関与を強めるのだ。公社や国の直営への復帰ではないものの、大幅な巻き戻しである。
民営化への評価は分かれよう。しかし、あまりにも早い段階での見直しだ。小泉改革、その象徴としての郵政民営化とは一体、何だったのか。そして、郵政解散、郵政選挙の際に見せた国民の熱狂は、何だったのか。 (川北隆雄)
2012年5月15日 東京新聞朝刊 13ページ「こちら編集委員室-民営化の熱狂は何だった」から引用
小泉内閣の優勢民営化は、アメリカが要求してきたので、それに応じたというだけのことで、何か確固たる政治信念があってのことではなかった。アメリカが要求したのは、郵貯と簡保に蓄えられた莫大な金融資産が政府の保護下にあるのが不満で、弱肉強食の野蛮な資本主義のルールにしたがって自由競争の下に開放しろ、というもので、アメリカに追従するしか能がなかった小泉純一郎は、そのまま言いなりになっただけのことであった。しかし、その時、国民は、そのような事情には全く無頓着で、それまでの大物政治家に比べて、軽薄なワンフレーズしか吐かない小泉首相に、妙な親近感を感じて、人気が高まり、政治的な判断をまったく欠落させたまま小泉・自民党を大勝させた、正に烏合の衆となっていた。その反動が、今日の民営化見直し法である。このような事態を招いた責任は、マスコミにもある。優勢民営化の本質を掘り下げて報道することもなく、小泉の浅はかなワンフレーズを面白おかしく報道して、国民の政治意識をはぐらかした罪は重い。
法政大学教授の田中優子氏は、新自由主義について、11日の「週刊金曜日」のコラムで次のように述べている;
2011年に翻訳が出たナオミ・クライン『ショック・ドクトリン!惨事便乗型資本主義の正体を暴く』では、新自由主義者たちが、国家に規制を取り払わせて、市場を際限なく拡大してゆく様子が目に見えるようであった。この本が書かれた後に起こった東日本大震災でも、惨事にグローバル企業がどう食い込んでくるか興味深かった。しかしすでにグローバル企業が蔓延(まんえん)している日本の場合、圧力は「もとに戻す」方向に働いているのだろう。誰もがあきれる政府の原発再稼働推進は、その結果である。「原発依存から脱却しますが、でも今は再稼働です」という枝野幸男経済産業相の言い方は、「アルコール依存から立ち直る方向です。でも今日は飲んじゃお」とか「もちろん禁煙するけど今日は吸うからね」という不真面目さを、充分感じさせてくれた。再稼働したら絶対に依存から抜け出せない。それが依存というものである。
惨事ばかりでなく「民主化」という変化も便乗するのにうってつけだそうで、ミャンマーで何が起こるか、注意深く見ている。案の定、日本の(というよりもはやグローバル企業だが)大手商社は早速、現地に会社を作っている。メディアはそれを「良い兆しだ」と報道する。なぜ朝鮮民主主義人民共和国だけが民主化する兆しがないのか。理由は簡単である。すでに中国の新自由主義者たちが、たっぷり商売しているからだ。米国や日本や韓国に展開するグローバル企業に、その汁を吸わせないつもりであろう。
際限なく拡大するグローバル企業にとってもっとも邪魔なのは、歴史や伝統に根ざした地域共同体であるという。独自の規制をもち、結束が固いからだ。大阪で講演したとき、「地域が大事だという主張なら橋下さんと同じですよね」と聞かれた。しかし橋下徹は大阪を地域共同体ではなく副首都・大阪都にしようとしているのである。改憲、教育基本法、TPP(環太平洋戦略経済連携協定)、道州制、ギャンブルの合法化、橋下徹はその上に核武装も主張している。新自由主義者の頭の中では、脱原発と核武装が共存できる。利を見るに敏(さと)く基準が「勝ち負け」にあるので、負けそうな原発にはもうついて行かないだけなのだ。「歴史や伝統に根ざした地域共同体」が日本から消え去るのは、時間の問題かも知れない。しかし勝ち負けを基準としない「核廃絶」の共同体はこれからである。
2012年5月11日「週刊金曜日」894号 9ページ「風速計-脱原発と核武装が共存する論理」から引用
人権を無視し、大衆を扇動して民主主義を破壊しようとする橋下徹が「原発再稼働反対」の発言をするのは何故か、不審に思っていたが、それなりの理由があることが分かった。この場合は、「敵の敵は味方」というルールは適用できない。それにしても、「将来は脱原発だが、とりあえずこの夏は再稼働」というのは、明らかな誤魔化しで、そんなことでは何時までたっても脱原発は実現しないことがよく分かった。脱原発を決意したら、すぐに廃炉作業に取り掛かることが大切である。
フランス在住の日本人ジャーナリス、山本三春(やまもとみはる)氏は、社会党のフランソワ・オランド氏が勝利した大統領選挙の様子を、11日の「週刊金曜日」に次のようにリポートしている;
「サルコジ、セ・フィニ! サルコジ、セ・フィニ!」-
オランド次期大統領が到着した5月7日未明、パリのバスティーユ広場を埋め尽くした人の海から沸き起こったのは、この大合唱だった。
腹からの「サルコジ終了!」の歓喜である。
夜のバスティーユを占領したのは、圧倒的に若者たち。ピンクの旗(社会党)、赤旗(共産党と左翼連合)、緑の旗(エコロジスト)、青日赤のフランス国旗に加えて、チュニジアなど他国の国旗まで揺れて、微笑みを誘った。ブラック・ブラン・ブール(黒・白・アラブ)にアジアも加わって、まるでサッカーワールドカップ状態。アーティストは「自由万歳!」と叫びまくり、人々は真っ赤な薔薇(ばら)の花を手に革命歌「ラ・マルセイエーズ」を斉唱した。
それは1981年5月以来31年ぶりの、美しい左翼の祭典だった。
フランスは6日夜、ついにこコラ・サルコジ(得票率48・38%)と決別。左翼のフランソワ・オランド(同51・62%)を第5共和制第7代大統領に据えたのである。
今回の大統領選は「反サルコジ国民投票か」と言われてきたが、それがあらゆる面で実証された。
まず、サルコスタイルの拒絶だ。
人々は、モワジュ(俺が俺が)にプリンプリン(金ぴかド派手)のフーケッツ族(超高級レストラン常連)サルコジが、「ヒステリック」で「アメリカン」な統治を行なうことを拒否。逆に「地味で真面目」で「穏やかな笑顔」を湛えた「フランス・プロフォンド(深部のフランス)代表」が、「ノーマルな大統領」になることを選んだ。
この「ノーマル」がキーワードになった。
実際、コンコルド広場で大スターに囲まれ大統領選勝利を祝った2007年のサルコジとは対照的に、オランドは地元の田舎町テュルで勝利演説。最後に昔懐かしいアコーディオンが登場して、「ラ・ヴィ・アン・ローズ(薔薇色の人生)」を奏でただけだった。テュルがアコーディオンの名産地だからで、ほっとする光景だった。
次に人々は、サルコジ政治そのものも断固拒絶した。
サルコジは、真っ先に自分の給与を上げ、大統領府の出費も跳ね上げた。大金持ちには優遇税制をつくる一方で、労働者の60歳定年制はぶち壊し、年金受給開始年齢を引き上げた。「経済危機を資本主義強化のバネにする」と豪語し、「秋のTVA(消費税)引き上げ」も決定した。結局5年間で新たな失業者は100万人も増大。最後には「本物の労働者」「本物のメーデー」という概念までつくり、労働組合運動を徹底攻撃した。要するに金持ち優遇、労働者の権利破壊、緊縮路線で、新自由主義の権化のような政治である。
これに対し人々は、「直ちに大統領給与と閣僚給与を30%引き下げる」と公約したオランドを選出。秋に予定されていたTVA引き上げも撤廃の方向となり、ガソリン代は3ヵ月間据え置きとなる。
またオランドは、超高額所得者の100万ユーロ(1億数百万円)以上の人々に、75%課税を導入すると約束。引き換えに6万人の教職員増員、若者の雇用創出、41年間働いた労働者の即時60歳年金受給開始などを提起した。子どもの新学期手当も、7月からすぐ25%アップの予定だ。
要するに大金持ちに課税を強化し、庶民を守って雇用と購買力を引き上げ、緊縮でなく成長によって経済危機を乗り越える路線である。
最後に人々は、外国人排斥の極右化戦略にもノンをつきつけた。
サルコジは、極右票欲しさに異様な移民差別を展開し、ロマの強制排除、ムスリム敵視キャンペーンを繰り広げて、外国人への恐怖を煽りたてた。そのためならなりふり構わず、分断と猜疑と憎悪が国中を覆った。
これに対しオランドは、国会で法改正が実現すれば、5年以上在住の外国人に市町村議会議員選挙の投票権を与えると打ち出し、「平和」を説いた。移民は安堵の胸をなでおろした。
オランドが経済面で成功できるかどうかは未知数。6月の総選挙で過半数を得られなければ、全てが水泡に帰す可能性さえある。だが少なくとも人々は、「サルコへの逆襲」を果たしたのだ。希望を築くために。それが「ノーマル」だったのである。
2012年5月11日「週刊金曜日」894号 11ページ「新自由主義の権化、サルコジ政治にノンを突きつけ、庶民を守り外国人を許容する『平和』政治を選んだ人々」から引用
金持ちを優遇する政策を行えば、庶民の暮らしは厳しくなり、景気が停滞するから税収も減少し国家財政も苦しくなる。そういう状況で、なおも金持ちを優遇する政策を継続するのか、それとも、庶民の暮らしの立て直し政策に転換するのか、フランスの大統領選挙は分かりやすい選択であった。それを、なおさら分かりやすくしたのは、金持ち優遇策を継続するには、移民を差別し、一般庶民が失業するのは移民に仕事を取られるからだとデマを流して、貧乏人同士の間に争いごとを持ち込んで、金持ちはその上にあぐらをかく、という戦略をとったサルコジ氏に対し、庶民の暮らし立て直し派のオランド氏は、富裕層への課税強化、移民への投票権付与など、人々が平和に暮らせる政策を提唱した。ここまで分かりやすい状況になれば、国民も選択を誤ることはないのであるが、我が国ではまだ、公務員叩きで溜飲を下げているレベルなので、新自由主義政策の本質を理解するところまでは行っていないのが残念な点である。
脱原発を求める集会に参加した読者が、そのノリで職場でも脱原発を同僚に話したところ、煙たがられたという投書が、10日の東京新聞に掲載された;
5日、都内で開催された脱原発集会に参加した。労組や親子連れなどが結集し、脱原発に向け心を一つにできた。しかし、日常に戻れば原発など人ごとのような風潮が漂ってはいないだろうか。
同僚に原発問題を話した時、煙たがられた。政治的で関わりたくないのだという。しかし、原子炉は日本中に点在し、等しく全国民の命に関わる問題だ。
原発事故は土壌・水・空気を汚染し、そこで暮らす人々のコミュニティーを破壊し、原発作業員を被ばくさせ、さらに福島県民に対する差別を生み出すという、深刻な人権問題へと発展した。
しかし命より利権を優先する原子カムラが野放しにされてきたのは国民が無関心だったから。もう無関心は許されない。子どもたちに原発のない未来を手渡すために、まずは身近な人と話し合うことから始めよう。
2012年5月10日 東京新聞朝刊 12版 5ページ「発言-身近な人と話し合いを」から引用
これは中々難しい話です。何が難しいかというと、わが国が民主主義になったのはつい最近の話で、まだ70年もたっていない、しかも欧米のように人々が闘って勝ち得た権利ではなく、戦争に負けた支配層に取って代わったGHQがプレゼントしてくれたもので、そのプレゼントを受け取った日本人のほうは、これをどう扱ったものか要領を得ず、選挙権を得てもどうしたものか判断できず、建設現場の土木労働者はとりあえず「親方」が言う「この先生に入れろ」という自民党議員に投票し、農村ではムラのボスが言う「この先生にいれてくれ」という自民党議員に投票し、こんな調子で戦後長らく自民党政権が続いたのであった。辛うじて、労働組合があるような大きな職場でのみ、労組が組合員を指導して社会党や共産党が少ない議席を確保できただけである。したがって、憲法は民主主義を規定していたが、国民の意識の民主化が進んだのは、多分世の中が「平成」になってからなのではないか、と私は思います。
この投書の筆者と似たような体験は、私にもあります。数年前のことですが、私が職場の同僚に「憲法9条は守るべきだ」と言ったところ、「え? そうか? うーん、そうかなぁ、いや、それは分からないな」との返事でした。何が「分からない」のか、よくよく話を聞いたところ、どうやら「他の人たちがどう思ってるか、分からないから、自分の意見も決められない」と言うのです。私はがっかりすると同時に、なるほどな、と思いました。徳川300年で叩き込まれた「歴史のDNA]が、やはりまだ、引き継がれていて、周りと異なる政治的意見を表明することは、うっかりすると「お上」に楯突くことにもなりかねない、そんなことになって「五人組」の仲間に迷惑をかけたり恨みを買うような事態は避けたい、無意識のうちにそういう考えに支配されているので、態度を保留したい、ということになってる、これが大方の日本人の心象風景です。
しかし、現代は江戸が終わり、明治も大正も昭和も終わって、平成になって私たちは政権交代も実現したのですから、歴史のDNAの恐怖に決別し、一人ひとり自分の政治意志を持つべく、身近な人たちと話し合っていきたいものでございます。
規制緩和が経済を活性化するという詐欺的言説を、法政大学教授の竹田茂夫氏は10日の東京新聞コラムで、次のように批判している;
かつて規制緩和派はこう主張した。
金融規制がなくても危険な投資は増えない。交通・運輸・建築などの安全性規制を緩めても事故は増えないはずだ。危ない商売を続ければ、評判を損ねて顧客を失うことは明らかで、そんな業者は早晩淘汰(とうた)される。だから、政府の規制より業界の自主規制に任せた方がよい。
これが市場経済にふさわしい新しい考え方だとされた。
だが、10年ほど前の米国のITバブル崩壊や今回の金融危機で、この理屈は雲散霧消した。評判が何より大切であるはずの銀行や会計事務所であっても目の前のカネの誘惑に負けて不正に手を染めたのだ。
日本でも、競争圧力の下で安全性軽視の体質に染まったJR西日本の福知山線事故、野放しだった投資顧問業のAIJの粉飾、トラック・バス業界の規制緩和のために生じた度重なる重大事故などは、評判がまったく機能しなかった例だ。今回の関越道ツアーバス事故の背景にも、旅行会社、元請け、下請け、現場の労働者の順に交渉力が弱くなり、競争圧力を最も立場の弱い労働者が引き受けるという構造がある。
規制緩和の究極の姿を米国に見ることができる。そこでは社会的インフラ・国民医療・教育・監獄・軍事等の公共サービスの分野が、企業の利潤追求の場になっている。 (法政大教授)
2012年5月10日 東京新聞朝刊 11版S 25ページ「本音のコラム-評判と市場経済」から引用
昔は、塩とたばこは専門の販売店があり、誰でも販売できるわけではなかった。米も食管法の下、専門の米屋が販売するもので、酒も酒屋に行かなければ買えないものであったが、その後、あちこちにスーパーが出来て、業界団体が政府与党にどんな圧力をかけたかは知らないが、米も酒もたばこも、なんでもスーパーで買えるようになった。それで、消費者は一か所でまとめて買い物ができるから便利になったとはいえ、そのあおりでうちの近所では店を畳んでしまった酒屋もある。規制緩和で労働者が困窮する業界としては、タクシー業界も同じである。昔は、勝手にタクシー会社を開業することはできない制度になっていたが、今は自由に開業できるため、町にタクシーがあふれ、タクシー1台当たりの売り上げが減るため、タクシー会社は儲からなくなり、歩合制のタクシードライバーの収入が減少する。規制緩和も競争の導入も、程度問題であることを考慮するべきである。
大阪維新の会が持ち出した「家庭教育支援条例案」は、市民団体の批判を受けて撤回され、担当者が謝罪する騒ぎとなった。10日の東京新聞は、ことの顛末を次のように報道している;
橋下徹大阪市長が代表を務める「大阪維新の会」の市議団が、議会に提案予定だった「家庭教育支援条例案」の撤回を決めた。「発達障害は親の愛情不足が原因」などとした内容に批判が相次いだためだ。差別を助長するような規定は問題外だが、行政が家庭内の教育方法に踏み込むことへの抵抗感も強い。条例案が目指したものとは何なのか。 (秦淳哉)
家庭教育支援条例案は、維新の会の大阪市議団が1日に公表した。目的を「保育、家庭教育の観点から、発達障害、虐待等の予防・防止に向けた施策を定める」などとし、行政による家庭教育支援を内容とした。
問題はこの中身だ。15条では「乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因」とし「それが虐待、非行、不登校、引きこもり等に深く関与している」と一方的に決め付けた。
18条でも「わが国の伝統的子育てによって発達障害は予防、防止できる」とまで言い切った。さらに「子育ての知恵を学習する機会を親およびこれから親になる人に提供する」と規定。伝統的子育ての内容は不明だが、まるで子育て方法が悪いから発達障害になった、と言わんばかりだ。
しかし、発達障害は脳機能障害によるもので、実際には親の愛情不足とは全く関係ない。自閉症など発達障害の子どもを持つ保護者会は「偏見を助長する」と抗議。大阪市議団は6日、「本条例案は、維新案ではありません。ある県で提出された条例案を議員団総会にて所属議員に『たたき台のたたき台』として配布した」と主張。7日には条例案の「白紙撤回」を決め、美延映夫幹事長が保護者らに陳謝した。
条例案撤回を申し入れた大阪自閉症協会の副会長は「怒りより先にあぜんとした。かつては自閉症の子どもを見た人に、親のしつけが悪いからだと言われた。今も昔と同じ感覚の人がいたことに驚いた」と話す。
条例案を独自入手し、ホームページ上で公開した大阪市の大前治弁護士も「家庭教育にまで政治や行政が介入し、子育て方法を押しつけるのは疑問。親を敬う詩による意識啓発なども条例案に入っていた。明らかに行き過ぎだ」と批判する。
7日には橋下市長も「発達障害の子どもを抱えて苦労するお母さんに、愛情の欠如だと宣言するのはちょっと違う」「権力者側が子育て方法まで綱をかぶせるのはどうなのか。僕が市民の側に立っても『うるせえこの野郎、大きなお世話だ』と言うだろう」と記者団に語り、疑問を投げ掛けた。
教育評論家の尾木直樹氏は「愛情不足が発達障害の原因とする条例案は医学的、科学的にも誤りで人権侵害に当たる。母親はただでさえ、子どもが発達障害になったことを自分の責任と誤解する傾向がある。今回も愛情不足とされてつらかっただろう」と心中を推し量り、こう提言する。
「家庭が行政に求めるのは教育の理念と実践の自由を保障し、その条件整備をすること。教育方法まで縛るのは時代錯誤。政治は口を出さずサポート役に徹するべきだ」
2012年5月10日 東京新聞朝刊 12版 24ページ「維新の会 家庭教育条例案を撤回」から引用
教育内容に政治が介入するのは時代錯誤である。教育とはどういうものか、見識もなければ教養もない、既成政党から落ちこぼれた三流政治家の集まりだから、こういうくだらない条例案を持ち出してくるのではないか。条例案の中に、親を敬う詩による意識啓発も入っていたとは笑止千万、こういう連中が考えることと言えば、その次には「君が代」とは別に新たに「天皇を敬う歌」を斉唱することを義務付ける条例案を出す予定だったのではないか。おそらく「将軍様を讃える歌」などをよく歌うどこぞの国家体制を模範としてるのではないかと思われる。
小学生のときに福島原発の地元に引越しして、中学を卒業後、東京電力が運営する東電学園で火力・原子力の発電技術を学んで、卒業後原発で働いた経験がある元技術者の経験談を、4日の東京新聞は、次のように報道している;
原発は人間の手に負えるものではないのでは-。東京電力福島第一原発の元技術者木村俊雄さん(47)はこんな疑問を抱き2001年、東電を辞めた。10年後、その予測は現実のものとなった。いま移転先の高知県で極力、電気を使わない生活を送りながら、自身の経験を基に原発の危険性に警鐘を鳴らし続ける。 (上田千秋)
高知県土佐清水市。海岸沿いの集落にある築60年以上の一軒家。窓から差し込む自然光だけの中で、木村さんは「福島第一の事故原因が解明できていないのに、どうして安全対策を立てられるのか。原発を再稼働させようとする政府の動きはおかしい」と語気を強めた。
東日本大震災が起きるまでは、福島第一原発から西へ15キロ離れた福島県大熊町で、野菜の有機栽培などに取り組みながら自給自足を志した暮らしをしていた。大地震の発生直後に「メルトダウン(炉心溶融)まで行くことはすぐに分かった」といい、ほとんど着の身着のままで家族とともに自宅から避難した。
同県田村市の妻の実家などを転々とした末、趣味のサーフィンをしに何度か来たことがあり、知人もいた土佐清水市に居を構えた。
家の脇には2枚のソーラーパネル。風呂はまきで沸かす。近くの畑で栽培した野菜や果物を売るなどして現金収入を得る。「原発でできた電気を使うより、この生活の方がはるかに楽しい」
◆毎月講演会、警鐘続ける
市民団体などが主催する講演会に月に2、3回呼ばれ、原発の危険性のほか、自ら体感した東電の隠蔽(いんペい)体質を多くの人たちに伝えている。
木村さんと福島第一との縁は約40年前にさかのぼる。小学校3年生の時に、約3キロ離れた場所に母親と2人で引っ越してきた。1号機が稼働して間もない時期で、2~4号機は建設中。多くの作業員らが集まり、母親が自宅で経営する民宿はほぼ毎日、満室だった。
「一番活気がある時代でしたね。民宿のお客さんは東電や、日立とかメーカーの人が大半。原発も東電も身近な存在だった」と振り返る。
中学卒業後、東電が運営していた企業内学校「東電学園高等部」(東京都日野市、07年に廃校)の火力・原子力コースに進む。「免許や資格が取れ、少しだけどお金ももらえる。ステータスがあるというか、かっこよく思えたんですよね」
◆燃料集合体、配置を担当
3年間の教育期間を経て1983年に入社後、柏崎刈羽原発(新潟県)に配属され、1号機の試運転に携わる。福島第一原発には89年に転属された。仕事は、効率良く発電するために燃料集合体の配置を考えること。
集合体は焼き固めたペレット状のウラン燃料をジルコニウム合金で被覆した約4メートルの燃料棒を等間隔で束ねたもの。原子炉に装填(そうてん)する際、集合体4体の間に十字形の制御棒を挿入し、稼働で発熱させたり抑えたりする。
「集合体は一体約3千万円と高価。長持ちさせればさせるほど会社は喜ぶ。豊富な経験と知識が求められるので、周りは尊敬の目で見てくれる。やりがいのある、おもしろい仕事だったですよ」
そんな日々が続く中、徐々に仕事に違和感を覚えるようになった。「福島第一は古いし、6基もあるからしょっちゅう停止する。それなのに、少しでも稼働率を上げたい会社は調査もしないで、何とかごまかそうとしていた」
あえて原因は追究せず、相手が疑問を挟みにくいもっともらしい理由を考えて通商産業省(現在の経済産業省)に報告するだけ。運転日誌を都合よく書き換えるのも日常茶飯事だった。
「対外的には『安全、安心』とか『地域とともに』なんて言ってるのに、やってることは全然違う。こんな会社にいていいのかなと」
◆国の修正は「てにをは」
通産省の対応にも疑問を感じていた。「もともと頭のいい人たちだし、勉強もしてるんだろうけど、実際に原発を動かしたことがないのは致命的ですよね。書類を提出しても、直されるのは『てにをは』ぐらい。技術に関することは分からないから、指摘できない。こちらが作った書類の表紙を『通商産業省』と書き換えていたこともあった」と打ち明ける。
学会や研究機関などに定期的に派遣され、集中的に学ぶ機会もたびたびあった。知識がつけばつくはど、原発に関する矛盾が膨らんでいく。
「プルトニウムは使い道がなくてたまる一方だし、そもそも使用済み核燃料はどうやって処分するんだって話ですよね。『やっぱり原発はだめだ、危険すぎる』という思いが日に日に強くなっていた」
91年10月、決定的な出来事が起こる。1号機のタービン建屋の配管から冷却用の海水が漏れ、非常用ディーゼル発電機が使えなくなった。
「この程度で電源が失われるなら、大きな津波が来たらメルトダウンになるんじゃないか」。そう問い掛けた木村さんに、上司が返した答えはこうだった。「その通りだよ。でも、安全審査の中で津波とシビアアクシデント(過酷事故)を結びつけるのはタブーなんだ」
「膨大なお金と時間がかかるから対策なんて取っていられない、ということだったんでしょうね。この上司は、福島第一に来る直前まで本社で安全審査を担当していた。一定規模の津波が来ればどうなるか、みんな分かっていたんです」
そんなことが重なって何年も思い悩んだ末の2001年、「周りは止めたけど、どうしても我慢できなくなった」と18年間勤めた職を辞す。
その後、さまざまな仕事をして生計を立てていた時、福島県内で自給自足の生活をしていた夫婦と一緒に暮らす機会を得た。「電気なんかなくても生きていけると分かったと同時に、自分の力で生活していくことがすごく楽しかった」と語る。
原発事故後、一時避難生活を余儀なくされ、土佐清水市の家を借りたのは昨年10月。以来、再び自然とともに生きる暮らしを始めた木村さん。
「地震で壊れた部分は何か、津波で壊れた部分は何かを徹底的に掘りさげて分析するのが先。今の安全対策が意味をなさないことが分かっていないのは、国と電力会社だけ」と政府の姿勢に疑問を呈して、こう訴えた。
「いたる所に断層がある日本で、安全に原発を動かすのは不可能。原発を再稼働させるよりも、どうして政府は電力のピークをずらすことを考えないのか。それこそ政治判断でできる。みんなが少しずつ、できることをやっていけばいい」
◆デスクメモ
連休に会津若松を訪ねた。越中、磐越西線の車窓から残雪の雄姿に心躍らせた。福島の大爆発といえば124年前の明治の磐梯山噴火。11集落が埋没し五百人弱が死んだ。裏磐梯の山体崩壊は痛々しいが、五色沼など美しい湖沼景観をつくった。いま原発の大爆発。後世に残すものを思うと気が重い。(呂)
2012年5月4日 東京新聞朝刊 12版 22ページ「『福島』元技術者10年前の脱原発」から引用
この記事によれば、去年の3・11のような大津波が来れば原発がメルトダウンするというのは、東京電力の内部では既知のことであった。しかし、社員間でそのような議論をすることはタブーであるとして、不用意な発言をする社員には上司がそれなりの警告をしていた。これは、明らかな企業犯罪である。検察は、この記事を証拠として差し押さえ、東京電力の会長・社長を逮捕し立件するべきである。

(この写真も朝日新聞からの引用です。)
札幌では、高校の先生で一般市民向けに原子力発電とはどのようなものか、分かりやすく講義をしてくれる人がいて、評判がよくてあちこちから引っ張りだこだそうで、11日の朝日新聞は次のように報道している;
原発や放射能の問題を分かりやすい言葉で説明し、理解を深めてもらおうと、札幌市の高校教諭が市民向けに開いている「原発出前授業」が好評だ。東日本大震災後に放課後や休日に無償で始めたところ、口コミで人気が拡大。すでに100回を超え、今では「数カ月待ち」の状態だ。
出前授業をしているのは、札幌琴似工業高校の社会科教諭川原茂雄さん(55)。
「放射性廃棄物を地下深く埋めたとしても、どうやって未来の人に危険を伝えるんでしょうか」「核のゴミは、おやじが死んだあとに知らない請求書がいっぱい出てくるようなもの」
たとえ話を盛り込み、身ぶり手ぶりで表情豊かに語りかける。3月末に札幌市の地下街で開いた教室では、100人を超す人だかりができた。
出前授業を始めたのは昨年5月。携帯電話の番号などを書き込んだチラシを配り、最初は5人の小さな集会からスタート。専門用語をかみくだいて説明するわかりやすさが人気を呼び、道内の大学や市民団体から招かれるようになった。
原点は約30年前の初任地、北海道下川町での経験だ。当時、町が放射性廃棄物処分場の候補地になり、地元で反対運動が起きた。川原さんも運動に参加し、放射能の問題を考えた。1986年にチェルノブイリ原発事故が起きると、現代社会の授業で何度も取り上げた。生徒から「チェルノブイリしげお」と呼ばれるほど熱心だった。
だが転勤を重ね、受け持つ教科も現代社会から倫理などに変わり、原発の問題から遠ざかっていった。
昨年3月、東京電力福島第一原発の水素爆発をテレビニュースで知った。「チェルノブイリと同じことになる」。強い自責の念に駆られた。
「危険性を知っていたのに、きちんと教え続けてこなかった」
再び高校の授業で原発について教え始めた。「生徒だけでなく、一般の人にも理解してほしい」と、出前授業を思いついた。
めざすところは、平易なニュース解説で知られるジャーナリスト池上彰さん。「原発に対する市民の関心は衰えていない」。震災2年目以降も続けていくつもりだ。(芳垣文子)
2012年5月11日 朝日新聞デジタル 「『原発分かりやすく』 札幌の教諭の出前授業が人気」から引用
こういう先生がもっと出てきて、日本中で原発に対する正しい認識が普及することを願ってやみません。
国家財政の赤字を改善する政策を打ち出した政治勢力は、ギリシャでもフランスでも敗北した。この現象について、11日の朝日新聞投書は、次のように述べている;
フランス大統領選で社会党のオランド氏が勝利し、ギリシャの総選挙では連立与党が惨敗した。
マスコミは国民が財政緊縮策にノーを突きつけたと報道しているが、私には財政緊縮策の名のもとに大企業や富裕層を優遇し、富の集中と格差を拡大させてきた与党の政策にノーを突きつけたように思われる。
ヨーロッパだけでなく日本でも、財政緊縮策の名のもとに大企業減税や富裕層を優遇する減税が進んでいる。一方、中流といわれる人たちには、消費税率引き上げや労働者の賃下げが進められている。その結果、富は集中し格差は拡大している。
日本人は我慢強い。このような政策が推し進められても、政権党の(また、前の政権党についても)幹部には批判的であっても、地元では黙って議員に票を入れ続けている。
そんな日本人に比べれば、フランス人やギリシャ人はノーと言える決断力があるように見えて仕方がない。日本人も、もっと自分の意見をはっきりと主張し、投票行動でそれを示すべきではないかと私は思う。
2012年5月11日 朝日新聞デジタル 「声-富の集中にノー 欧州の選挙」から引用
国家財政の立て直しのために緊縮財政を提案した勢力が国民の支持を得られなかったのは、その政策に国民が納得できなかったということである。それもそのハズである。国家の財政が赤字になったのは、労働する大部分の国民が仕事をサボった結果ではなくて、ごく一部のブルジョアが政界を牛耳って国家予算を湯水のように公共事業につぎ込ませ、その利益をフトコロに入れた挙句、企業にも自分にも大幅な減税をやらせた結果である。そのしわ寄せを、さらに働く労働者階級に負わせるというのでは、国民はたまったものではない。反発するのは当然である。したがって、この問題を解決する方法としては、例えば日本の場合、労働者・ブルジョアを問わず、年間2千万円を超える収入はすべて国庫に納めるというルールにすることである。これなら、年収2千万に届かない圧倒的大多数の国民が納得するはずである。しかし、新しくフランス大統領になったオランド氏は、共産主義者ではないだろうから、そこまで問題の本質を見極めているかどうかは、極めて疑問である。もし、穏健な改革路線で前任のサルコジ大統領の政策を少し手直しした程度で乗り切ろうなどと試みても、結局は、自民党の過去の悪政に足を引っ張られる民主党のように、かえって不評をかこつことにならないとも限らない。フランスやギリシャが、どうやってこの難局を切り抜けるか、みものである。