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2009年06月08日
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カテゴリ:読書
 明治の文豪、二葉亭四迷が革命前のロシアの活動家に送った書簡が見つかったと、5月22日の読売新聞が報道している;


 日本近代文学の先駆者として知られ、今年が没後100年となる二葉亭四迷(1864~1909年)が、長崎などで活動していたロシア人革命家2人にあてた露文書簡5通が、モスクワのロシア連邦国立文書館で見つかった。

 書簡は1906年~07年に書かれたもので、サンクトペテルブルク在住の研究者が発見。ロシアで刊行されていた文学や革命関係の資料・雑誌の入手法をたずねるなどしており、二葉亭がロシア・東欧の文化や社会主義に強い関心を持っていたことがうかがえる。当時は、言文一致体を試みた「浮雲」から約20年の空白期間を経て「其面影」「平凡」を執筆した円熟期。

 埼玉大の沢田和彦教授(56)(日露関係史)は「亡命革命家と二葉亭との直接のかかわりを示す資料が見つかったのは初めてで、貴重な発見。文法的にもほぼ正確で筆記体は美しく、ロシア語力が非常に優れていたことも分かる」と話している。

 互いの文化を知ることを通じて日露友好を願った二葉亭はその後、08年に朝日新聞特派員としてロシアに赴任。09年、帰国途中のベンガル湾上で死亡した。

 書簡のほか、本名の「長谷川辰之助」と朝日新聞の社名が印刷された名刺も見つかった。余白に「謹賀新年 T・長谷川」という文言と、東京の住所が記されている。これらの資料は、26日発売の雑誌「文学」(岩波書店)で紹介される。


2009年5月22日 読売新聞朝刊 12版 14ページ「二葉亭四迷 露革命家に手紙」から引用

 現在はともかく、わが国知識人の社会主義を支持する傾向は、この頃から始まったのかも知れません。









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最終更新日  2009年06月08日 21時30分19秒


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