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2009/07/10
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この日記は私がこの体になった原因の自殺未遂について

書かせていただきます。

それは、私が同じ過ちをしないためでもあり、今考えてる

人がちょっとでも辞めようかな?って思って欲しいからです。

でも、私は死にたいと願う人を止めるだけの権利はなくて

止められてもやるときはやると知ってるんです。

でも、この日を私は忘れないと思うから・・・

ちょうど1年前の夜の8時14分。

下記のような日記を書いた。

「昨日親にもう無理だって言ったら緊急の病院をさがしてくれて

そこに行く事になったんだけど、なんか遅いから明日にしてくれません

か?とか言われて終わりました。

何それ?って感じです。

もっと親切になってほしいかった。

それで死んでいたらどうするつもりだろうって思うし。

それから今日の朝新しい病院に連れて行かれました。

そしたらマイミクさんがきてくれてちょっと病院の話

聞いて絶対に入院嫌になっていたころに診察呼ばれました。

副院長先生です。

最低な奴でした。

人の話先ず聞かない。

あ~もう入院必要ないですね。紹介状の返事書いときますから。

と言って、紹介状の返事を書き初めて終わり。

何のために来てるのかわからない状態。

結局ここでも境界性人格障害と診断。

躁鬱はもっと周期があると言われました。

そんな感じで帰って寝てました。

体重測定してもうため息だけ。

どんどん増えていく体重。

どうしたらいいのか分からない。

明日からバイトだけど復活できる気力がない。

居酒屋で食べてる時は元気だったのに帰ってきたら堕ちてる。

もう限界です。

なんか飛び降りたい気持ちが強い。

死にたいわけじゃないけど。」

この日のことを全部は覚えてはいない・・・

ただ、この3ヶ月前ぐらいかな?

私は4回毒物っていうか家にある物を飲んで緊急外来に行ってます。

3回目の時に医療保護入院をさせられました。

でも、1週間で出てきました。

4回目にはハイターを飲んで・・・

3日ぐらいICUにいました。

親も仕事を辞めて医者も変わって入院しようって言われて。

7月7日に退院。

ケラケラと笑っていました。

でも、次の日からガタンと落ちて。

9日の日が受診日だったけど、死にたい。と言いまくり。

でも、主治医からは入院してもすぐに出てくる!と言われて。

その日から私は主治医に捨てられたと感じていた。

そして10日に他の病院に行ったら冷たくあしらわれて。

「あなたは死にません!」とか言われて。

帰宅したら私は仕事を頑張る!と宣言。居酒屋にいたときは

笑っていた。

帰ってきたらド~ンと気分が落ちて。

この日記を書いていたら「そうだ!飛び降りたらいい!」と

思った。

そう思ったら早かった。

パソコンの電源を消して、家をそ~っと出て

走った。近くのマンションに行った。

もうこの道を帰って来ることはないんだ!と思ったりして。

そして、エレベーターに乗った。

このエレベーターにも乗らないのか。って思ったことを覚えてる。

最上階の屋上のボタンを押したら最後だったなぁ。

そこは、マンションの人が遊べるプールとかがあるとことで・・・

さくがしっかりされている。

でも、私はさくをくぐり抜けて震える足で歩いた・・・

しっかり考えた。

コンクリートじゃないと駄目だぁ。

たまたま駐車場に車が1台だけ止まってない部分があった。

ここに落ちたら死ねる。

そっと段に足を片足だけ乗せた。

震える。もう片方がのらない。どうしよう。

結局そのスミに座ってぼ~っとした。

マンションの人が帰ってきたりしてる。見つからないように願った。

ここから落ちたら私は誰が発見するのかな?って思ったり。

でも、そんなこと以上に死にたかった。

とにかく何もかも忘れたくて楽になりたくて。

この時何に苦しんだか分からない。

でも、絶対は摂食でした。どんどん増える体重に疲れていた。

そりゃ毎日お酒飲んでいいもの食べてる仕事で帰ったら

過食して、下剤使ったって痩せるわけがない。

本当に辛かった。

このままじゃ体重に殺されると思った。

後は主治医との関係やら仕事やら・・・

とにかく疲れていたと思う。

でも、これが始めての自殺未遂なんかじゃなかったし。

もう何回もやってきた。

ただ確実性が欲しかったんだろうって思う。

自分に「ちょっと勇気を出せば楽になるんだよ!弱虫!」って

言ったのを覚えてる。

そして、ここまで来たときは誰かに操られていた。

「飛び降りなさい!」そう言われてる気がした。

いつもそうなの。

誰かに「薬飲みなさい!」って言われてる気がして飲んだり・・・

そんなのはおかしいって言われるけど本当なんだけど・・・

でも、結局私は怖かった。

戻ろうとして戻り始めた・・・

確か携帯とサンダルを揃えたのも持って帰ったはず。

そこから記憶はない。

何日目に私は記憶を戻したか分からない。

でも、誰かが発見して私は運ばれたらしい。

私の住んでるところは市民病院が一番大きいしそこしかない。

運ばれて、服を切り裂かれたらしい。

お気に入りの服だったのに。

親は私がいないことに気づいて駅や海を探していた。

私は飛び降りる前に携帯からみんなに「短い間でしたがありがとう

ございました。」と送った。

それに弟が怪しいと感じて親に電話。

親は慌てた。

家出だと思っていたから。

海だと思ったらしい。そんな時に警察から「娘さんが運ばれてます」と

電話があったらしい。

私はその病院で変な意味で有名だったから父の携帯は知られていた。

両親は怖かったらしい。死んでるんじゃないか?って思ったって。

病院に来たら警察にいろいろ聞かれたらしい。

私は運ばれてから警察と普通にしゃべっていたらしい。

「2階から飛びました」とか。

まったくの嘘なんだけど。

「携帯は2階にある!」とか・・・

この時事件性もあったから警察はそのマンションの2階を探し回った。

見つからない。当たり前。

翌日管理人さんが5階から私の携帯と靴を見つけた。

それでまた私はICUにいた。

そこの婦長さんに「今度は長いですね」って言われたらしい。

運ばれた時もそこにいたことすら私は覚えてない。

後から知ったのは

弟がトーイックの試験があったからそれを気にして私は

大丈夫だった?としきりに親に聞いていたということだった。

弟は私の状態を聞いて泣いていたらしい。

それから精神科の先生もかけつけて・・・

「肝臓の値がすごく悪いから薬を減らすよ!」と言って

私と相談して減らしたらしい。

全く知らない。確実に減っていた。

それから仲がよかった研修医の先生も飛んできてくれたりして。

私はある意味あの病院でいろいろ有名なことをしただけに

知りあいがいてよかった。

何に記憶がない日から一般病棟に移る日に私は記憶を戻してる。

親から「肺からの血が止まらないから穴をあけるよ」

と言われた。

私は肺から出血していた。

両肺から・・・ただ、ひどかったのは右だったからとにかく右から

血を抜くとなった。

怖いと叫んだけど何もおこるわけもない。

研修医の先生と外科の先生がきて婦長さんもきて。

ベッドで穴を開けた。

研修医の先生の始めての肺への穴あけは私だった(汗)

1回失敗したけどとくに嫌だと思わなくて。

おまけに看護婦さんに両手を押さえられてるから何も出来ない。

やっと管を入れて血を出した。

そのまま病棟へ。

私は24時間両親のつきそいという条件で個室だった。

icuは2階で病棟は4階でそんな遠くないのに病棟に

つくまでに血液はかなり出た。

そして輸血もされていた。片手は輸血、片手は栄養の点滴。

首からも点滴。

肺には管・・・

もう繋がれまくった。

とにかく肺の血が止まって肝臓の値が落ちつくまでは手術は

出来なかった。

そんな状態でも私は死にたいと思っていた。

ベッドにはしっかり柵がされているし私は全く動けないのに

窓を見ては飛びたいと思った。

とにかくあの時の私は死の塊だった。辛かっただと思う。

この時私は自分がどれほどひどいことになってるか知らなかった。

普通に退院するだろうと思っていた。

親から2ヶ月の入院だって。と言われてビックリした。

そんなに入院したことはない。

おまけに手術まである。意味が分からない。

整形の主治医は私にはケガを全く説明してない。

それは主治医と精神科の先生と親で話し合って決めたらしい。

この時私は「一生寝たきりかもしれない」とつげられたらしい。

「本当はここで出来るような手術じゃないけど動かせないから

やる。ただ、神経が袋から全部出てる可能性があってそうなったら

無理です。そしてトレイの感覚も分からないと思います。」

そんなことを説明されていた。

私はのん気だった。

あれから1年私は歩いている。

運動障害と感覚障害は残ったものの生きてるんです。

じゃ、あの時死んでおけばよかったか?

何回も思ってます。死んでおけばよかったと。

これからも思うでしょう。それはしかたない事でしょう。

辛いんだから。

でも、この体になったことは後悔したくないんです。

私は今走れたら・・・もしかしたらここに生きてないかもしれません。

そして、きっとまだ私は死ねないと思います。

もう1回同じ事をしたら・・・医者に言われてます。寝たきりです。

それでもやろうと思った。

でも、私には今ブレーキが出来るようになりました。

きっと私があんなところから飛んで下はコンクリートで・・・

輸血は大量にして。

それでも生きてるのは、ひろが守ってくれたと信じたいんです。

神様かもしれない。でも、ひろだと思っていたい。

みんなが不思議だと言うから。

あんなところから落ちてこれだけのケガなんて・・・

今私が歩いてるのも不思議なんです。

2年は無理。そう言われていて。退院の3日前まで1歩も歩いて

ません。

家も車椅子で生活出来るようにまでして。

車椅子も買う予定でした。

でも、3日前に松葉杖とかで歩くようになって・・・・

医者もビックリしてます。

神経はつないだけど大切な神経は切れいているから、他の神経が

どこまでカバー出来るかは分からないと言われたのに・・・

これだけの障害で終わりました。

だから、みんなに飛び降りても大丈夫っていうんじゃないよ。

絶対やめて欲しい。本気で。

今の生活が不便じゃないか?って言われたすごい不便ですよ。

私結構困ってます。

でも、自分がしたことをあまり不便なんです!って言うのは嫌だから。

でも、手術とケガの関係でお尻の肉は全部に近く落ちました。

骨が出てます。長時間座ることは苦痛です。

自分の障害を忘れれる瞬間は1度もないです。

くしゃみは座って出来ません。

でも、私がやってしまったことはここまで感じないと駄目だったこと

だと思うと何も言えません。

ただ、1つ。

摂食障害は人を殺せます。どんな形でも・・・

私が今必死でご飯を気をつけるのは、50キロになったら死ぬと

決めたことをしたくないからです。

あれから1年。辛いけど私は生きていこうと思います。今は・・・

とにかく。どうなるか分からなくても。

仕事も出来ない役立たずだけどね。





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最終更新日  2009/07/10 07:39:35 PM
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