カテゴリ:書評
どうもお世話になります。本来ならば私は、靖国神社でソフトクリームを食いながら、敷地内を散歩したり、カッチョイイ右翼の街宣車をチェキしたり、敷地外でデモっている「非国民」な方々のデモでも見に逝こうとか思ってたのですが、日ごろの不摂生がたたり、体調が悪くなってしまい、足を運べませんでした。
つーことで、「パレスチナ難民」なるものがいかにして発生したかを、同書から引用したれと思います。 -- ユダヤ機関とパレスチナのユダヤ人は、委任統治が示したユダヤ人国民国家へのひどい骨抜きには批判的であったし、またつぎはぎの国境線の不安定と衝突の誘発とを憂慮していたが、一つの妥協案として分割を受け入れた。平和な入植に達しようという願いに押され、彼らは、この計画を効果的に遂行すべく協力を誓った。 アラブ諸国、それは水資源と石油資源の豊富な四00万平方マイルの地域でまさに独立したばかりであったが、その反応は、わずか六000平方マイルの産物乏しい故国をユダヤ人におしみ、国連のその演壇から、力によりこの計画の実施を押しとめると脅迫することであった。彼らはまさにその言葉通り、否むしろ言葉より悪逆に、『分割案』が総会を通過した翌朝、全パレスチナで反ユダヤ暴動を誘発させた。 …… 一九四八年五月十五日、イギリス委任統治が終了したとき、そして、イスラエル独立宣言が発せられた数時間後に、エジプト、ヨルダン、シリア、イラクの諸軍は、サウディ・アラビアの分遣隊とともに数地点で国境線を突破、公然と侵入してきた。 …… 6 アラブ難民 一方アラブの指導者たちは、ユダヤ人と指定された地域内のアラブ人に、侵入軍の妨害にならぬため、また世界に、イスラエルの支配下に唯々諾々と生きるアラブ人などはいないと示すため、隣接諸国に引き上げるように、圧力をかけた。 -- …とはいえ、難民に押しかけられたアラブ諸国だって、ホントは迷惑だと思ってるくせにとか思うんですが、引用が長すぎるのも、たぶん見辛いかと存じますので、このくらいにしておきます。 つづく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.08.15 21:13:10
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