今日は、先日の宿題になったいた。
美容師の神様 ヴィダル・サッスンについて記します。
以下年表してみました。
1928年 ロンドンのユダヤ人街で、生まれ育つ
1933年(5歳) 父に捨てられる。 兄と孤児院で生
1939年(11歳) 母が再婚 母と暮らす。 ~第2次世界大戦勃発~
軍の手袋工場で、働く!(その時初めて、はさみを握る)
1942年(14歳) 母が、ヴィダルが美容師として活躍する夢をみる。
アドルフ・コーエンの美容院へ見習いで、入る
1948年(20歳) イスラエル戦争の志願兵として1年間戦地へ・・・
1960年(32歳) 初めての自分の美容院をオープン(ビル3階)
スタイルカティングを生み出す。
1963年(35歳) ファションデザイナーのマリークワントとの出会い
サッスンボブ、アシメトリックカット、5ポイントカット、グ リース・ゴデスなどの
ヘアーニューコレクションを生み出す。
「5000ドルのヘアーカット」
1964年(36歳) サッスンの養成期間(スクール)
アカデミープレジデント=ハンフリーズ
1967年(39歳) ヴィダル・サッスン基金の設立
(恵まれない若者に、対する教育の援助)
1968年(40歳) ファションビデオをプロデユース 最初の本出版
1975年(47歳) 2冊目の出版がベストセラーとなる。
1980年(52歳) 自身プロデュースのテレで番組が、放映される
1982年(54歳) 反ユダヤ勉強会
「人間性の探求、憎悪のエネルギーをプラスエネルギーに
変えてくか。そういう事を学べる環境を我々は創ってきた。」 サッスン談
1983年(55歳) ヘアケア商品部門をリチャードに売り2年後P&Gに買収される。
1988年(60歳) 米国コスメトロジーの殿堂入り
1989年(61歳) 絶え間ない演劇の関心は、彼を舞台へと立たせる事になる。
1991年(63歳) 英国へアドレッシングの殿堂入り
北米ヘアスタイリング賞
「世界中の何千人という美容師を限界まで導き信頼された彼の技術 は、芸術という形に変えられる」フレッド談
1992年(64歳) ヴィダルの名声は、高く!
ロンドンの有名なフラワーショーで、サッスンローズと
いう非常に香りの良いバラの花が紹介された。
「批評家が私の事について、良い時代に、良い所にいたという言い方をしているが、
確かにこれは、正しいと思う。しかし、成功するには、それ以上のものが必要で
ある。適した場所にいる事・最高のものを創り出す創造性を持つ事・そして少し
の運があること。こうしたもののコンビネーションが、成功へと導くのである。
またおびただしい数の決断と懸命に働くことも必要である。成功している人という
のは、20時間位詰め込んで働いている人が遊んでいつ時、成功している人は、
働いているのだ。彼らは自分も運命を自分で切り開いている。誰も運だけでは
成功しない。」 ヴィダル・サースン
美容師という職業を最幸の仕事にしてくれたヴィダル・サッスンに感謝です。
ありがとうございます。