保管庫(その4)>さて、某S氏です。>ちょっと、かまをかけて「無学な私」と書けばすぐにつけあがって、「知性と教養がない」などという言葉を平気で投げかけてきます。こういうインテリジェンスのない人物は、人間的な貧困を感じます。 ----- 貴方に「知性と教養」が欠けている-しかも決定的に-と言うのはこの掲示板を見る全ての人の共通概念だと思いますが。 「インテリジェンスのない人物」で「人間的な貧困を感じる」のは貴方の方です。 >南京の人口について、わざと回答を放置していましたら、何度もなんども出典を聞いてきます。 ----- 当たり前です。 南京陥落当時の人口が135万だなどという「珍説」は初めて聞きました。 ですから出典を聞いているのです。 で、貴方は答えましたか? >肯定派、中間派の本も読んでいるなどとウソ吹きながら100%「南京の真実」は読んでいない証拠です。 ----- 貴方にしても135万という数字が「平時」なのか「陥落当時」なのかすら答えられずにいますね。 >チョット意地悪をして、何ページに書いてありましたか、と質問されたら何と答えるのでしょう。ちなみに答えられますか。 ----- 何故私が答えなければいけないのですか? 呆れてものも言えませんが「南京の人口は135万」と言いだしたのは貴方ですよ。 なんで私が出典を答えなければいけないのでしょうか。 >中には、何度読み返しても出てこない等とウソ吹く輩までいます。この連中の不勉強ぶりは一体何なのか。 ----- 相手の質問は一切無視して頓珍漢な質問をぶつける貴方に比べればどなたも「不勉強」とは言えませんね。 >小林よしのりや東中野、鈴木明、田中正明程度の本を唯一の根拠にしているのでしょう。 ----- 貴方の勝手な思いこみで決めつけられてもねぇ。 >ですから、「戦闘詳報」や「師団の命令書」、最近になって発表されている記録等はほとんど目を通していないのでしょう。 ----- 貴方が到底目を通しているとは思えませんが。 >私が例(民間人と便衣兵の区別や捕虜の虐殺の事実)を上げると、その本を読んでおらず、自分が知らないだけなのに「ウソだ」「殺したとは書いていない」などの反論。(比較的あなた方寄りと言われている秦郁彦「南京事件」さえも読んでいない。ちょっと何冊か読めば、私が書いた例などは簡単に見つかり、捕虜がその後どうなったかは、すぐわかるはず。ましてや、洞富雄などは全く読んでいない) ----- 言うに事欠いて「洞富雄」ですか。 ホンカツに続いて洞富雄とは恐れ入谷の鬼子母神ですね。 貴方が「比較的あなた方寄り」という秦郁彦氏は「世界戦争犯罪事典」と言う本を監修していますが、その南京の部分は原剛という人の執筆で彼もまず「虐殺の定義」を定めています。 まぁ、物事を論理的に語るにおいてはまず「定義」が重要になってくるわけで、定義の違う話を繰り返していても全く意味がないと言うことは議論の基本中の基本ですがね。 そして、その部分には >以上のように、南京虐殺は、当時の国際法規・慣例に違反するものが不法殺害、すなわち虐殺であるという認識で議論されるべきであろうと思う。(世界戦争犯罪事典・P81) と書いています。 これは私の言っている虐殺の定義 >南京での虐殺の定義=当時の戦時国際法(ハーグ陸戦条規等)に反する民間人および捕虜の殺害 と何ら差異はありません。 そして、結論としては >現在においては、多くの資料や関係者などの証言などによって研究も進み、30万虐殺説や虐殺否定説は、実証性に乏しいことが判明して空疎な論になりつつあり、研究の焦点は、虐殺の規模・様態・要因の問題に移っている と「取り敢えず30万と0だけはあり得ない」と明言しています。 つまりは「当時南京に135万いて30万殺すことは可能」という貴方の言い分や十数万人以上と主張している洞富雄、本多勝一は完全に否定されているんですが。 >なんと情けないことか。古本屋で小一時間探せば、私の紹介した例などは山ほど出てきます。読んだ上で、新たな事実に基づく反証するのならまだしも、読みもしないで「ウソ」と決めつける。あなた方、恥ずかしくないですか。 ----- 貴方のように自分で引用したにも係わらず出典も明示せず、相手に探させる方が恥ずかしいですね。 >これまで、彼らとの何回かのやり取りで感じるのは、恐らく彼らは、サンフランシスコ講和条約で、日本政府が東京裁判の判決を受諾していることも、現在日本政府が南京大虐殺を公式に認めていることも、教科書裁判の判決結果も、「偕行」編集部の謝罪(八四~八五年)も、何も知らないのであろう。 ----- だからどうしたというのでしょうか? 「学術的指摘」だったら受け入れるんでしょう? >そして論法は、あなたがたが日頃なれている「ヤクザの喧嘩」論法。 >つまり、答えられないことは、意味不明と回答の回避。こんな不真面目な連中とのやりとりはウンザリです。そういうわけで、今後一切私のブログには書き込み禁止とします。 ----- 「ヤクザの喧嘩論法」で「答えられないことは、意味不明と回答の回避」ってまんま貴方のやり口でしょうに。 付け加えるなら「答えられなくなると相手に逆質問&回答強要」でしょうか? >シャモさんも、私との論争の敗北がくやしいのはわかりますが、いつまでも私のブログの周りをうろうろしていると不審人物として通報されますよ。 >尚、学術的指摘については大いに受け入れたいと思いますので、どんどんお寄せ下さい。 > 以上 ----- 学術的指摘って、貴方の書いてることがそれに値するとでも? 虐殺を語る以前にその定義すらもハッキリと表明できないのに「学術的指摘」とは恐れ入りますね。 っていうか、貴方には例え「学術的指摘」であっても受け入れることは不可能でしょう。 なぜなら貴方には「知性と教養」が決定的に欠けているからです。 >肯定派、中間派の本も読んでいるなどとウソ吹きながら100%「南京の真実」は読んでいない証拠です。(チョット意地悪をして、何ページに書いてありましたか、と質問されたら何と答えるのでしょう。ちなみに答えられますか。) ----- では答えておきますか。 >7月に発った時には南京の人口はおよそ135万人でした。 と言う記述があるのは「南京の真実」P337(文庫版)です。 しかし南京市の戦前人口が「約100万人」であることは各種の資料により明らかになっており、唯一の例外であるラーベの135万説を裏付ける資料はありません。 南京市の戦前人口が「約100万人」であることは南京陥落後3ヶ月後に行われたスマイス博士の戦争被害調査においても >南京地区における戦争被害 >1937年12月―1938年3月 >都市および農村調査 >1市部調査 >I 人口 >南京市の戦前の人口はちょうど100万であったが、爆撃が繰り返され、 後には南京攻撃が近づいて中国政府機関が全部疎開したためにかなり減少した。 市の陥落当時(12月12日~13日)の人口は20万から25万であった。 日中戦争史資料集9 南京事件II 英文関係資料編P219 と書いていることからも明らかです。 ラーベの言う「南京」が「南京市+近郊六県」であれば135万というのも可能ですがそれはちょっと広大すぎるため主張そのものが無意味になってしまいます。 そして「南京陥落時の人口」は20~25万というのがほぼ定説です。 これは安全区委員会の報告書 >第6号文書(Z 9) >南京国際区安全委員会 >寧海路5号 1937年12月17日 (抜粋) >言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。 ~中略~ >もし市内の日本兵の間でただちに秩序が回復されないならば、20万の中国市民の多数に餓死者が出ることは避けられないでしょう。 >市の一般市民の保護にかんして当委員会はなんなりとも貴下に喜んで協力することを確約します。 敬具 >委員長 ジョン・ラーベ 『日中戦争史資料集』9 英文資料編P125 からも明らかです。 この文章は南京安全区委員会委員長であるラーベの名で出されていますからラーベが南京陥落時の人口を「20万」と捉えていたことは明らかです。 安全区委員会は後に20万ではなく25万に訂正しますが、これは陥落翌年1月の日本軍による住民登録の結果から、南京城内の人口を25万人と修正したのです。 ちなみに南京陥落後三ヶ月が経過した後に行われたスマイス博士の戦争被害調査においても、陥落時の人口を20万から25万としています。これらは基礎資料でもともとは大虐殺派の洞富雄氏が編纂した史料集です。 ジャンル別一覧
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