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書評日記  パペッティア通信

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May 4, 2005
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カテゴリ:社会


中国共産党は、民主と解放を人民にもたらした、輝ける政党である。
こんなあたりまえのことが、我々はもはや理解できない。

文革前は、皮膚感覚で体感できた。日本で礼賛されたのはそのためです。
文革後は、理解が必要な概念になった。1991年ソ連邦が崩壊してしまうと、もはや理解すら容易でなくなってしまう。

これはまことに憂慮すべきことだ。
中国各地でおこなわれる中共の「独裁」と「抑圧」の側面のみに着目し、かれらのスローガン、「民主」と「解放」をただのお題目としちゃう思考法。そうなると我々は、そのスローガンと実態の乖離をうめるための何かを、ついつい中国国内にもとめがちになるでしょう。それは、一昔前なら毛沢東など指導者のカリスマ。昨今では、はやりの「反日教育」「愛国主義教育」とやらになってしまう。

こうした思考法には、民衆の思いがスッポリぬけおちてしまうだけではすまない。
中国共産党支配がつづく理由は、ただの「強権」になってしまう。
チベット、公安、エトセトラ。マスメディアをにぎわす強権支配の報道。
「官製デモ」などの表現は、その代表でしょう。

これでは、今もなお中共に民主と解放の夢を託し、その支配に正統性をみとめる人々が、我々の視界から消えうせてしまう。人民は、被支配者になってしまい、主体的参与者としての地位が奪われてしまう。中国共産党は、どこまで「民主」「解放」を人々にもたらし、なにをなしえていないのか。現在ほど、その見極めがもとめられている時はないというのに。

この書はいささか古い。1997年に出版されています。
五四運動とその挫折からはじまった、1920年代「国民革命」の通史。中国ナショナリズムの勃興とそのバックグラウンドについて、その現代的意味について、あますところなく描かれています。

国民と国民国家の創造を課題とした、近代中国。
ざっと、この時期のおさらいをしておきましょう。

1911年辛亥革命、1919年五四運動の挫折の後、「連省自治」「国民会議」など、さまざまな改革の流れがあらわれました。しかし、直隷派、奉天派、安徽派などの軍閥のまえに敗退してしまいます。1923年、国会議員買収事件がもちあがり、中華民国の憲法体制そのものに失望させられ、人々は国家体制そのものの変革をもとめるようになります。1921年の創設時、わずか100名未満にすぎなかった中国共産党は、「上海-広州」のラインを軸に、国民党を結節環とした広範な「国民連合戦線」という変革戦略をさぐりあて、20年代に飛翔のときをむかえました。

今年4月、連戦主席の訪中で脚光をあびた国民党は、そもそもソ連共産党に見習って、1923年に「改組」された政党であること。孫文・ヨッフェ共同声明の衝撃。コミンテルンの積極的な関与によって、共産党員の国民党への加入という形で、1924年「国共合作」(第一次)が発足したこと。孫文は、全国的統一への傾斜とともに、広東地方の指導的階層の支持を失いつつあったこと。1925年、五三〇事件と省港ストライキによって、空前の労働運動・農民運動の高まりと、上海・広東における共産党勢力の急激な拡大がみられたこと。この後、左右両派の「国民革命」をめぐる、激烈なヘゲモニー争いがはじまったことが、この書ではわかりやすく解説されています。

1926年7月、北伐開始。

労働者と農民が各地で蜂起して、快進撃をつづける蒋介石率いる国民革命軍。1927年1月、漢口・九江租界の実力回収。3月、南京事件。その運動の頂点で、1927年4月12日蒋介石クーデターと同4月、南京国民政府成立。「容共」から「分共・反共」への転換。この後、国共合作は崩壊をむかえてゆきます。国民党左派・中共は、なお武漢国民政府において合作を維持するものの、運動の急進化によって国民革命そのものが掘りくずされてゆく。27年7月、国共合作の消滅。8月、蒋介石の下野をきっかけとした、9月の武漢・南京国民政府の統一。それにともない、1928年2月の北伐再開。28年5月、日本の山東出兵による済南事件。6月、関東軍の張作霖爆殺。7月6日、孫文の墓前へ、北伐完成報告がおこなわれ、12月張学良の「易幟」によって、「統一」が達成されます。

そのあいだ、27年8月1日、後に人民解放軍の建軍記念日になる、南昌蜂起が決行されます。中国共産党は、あらたなる戦いへ入ってゆくのです。8月7日、陳独秀は欠席裁判で指導権を剥奪され、中共は都市と農村で武装闘争路線に入っていく。それは、コミンテルン側が蒋介石クーデターを防げなかった責任を陳独秀になすりつけたものでした。


(2へ続く)

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Last updated  Nov 7, 2005 11:03:43 PM
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