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テーマ:社会関係の書籍のレビュー(95)
カテゴリ:社会
名著『言論統制』(中公新書)でその名を高らしめた、佐藤卓己。 「朝日新聞の予定稿」 「怪しい玉音写真」 「8月15日という物語=歴史」 … 扇情的な文句が並ぶ。 終戦とは何かをどこまでも追求した作品になっています。 8月10日、ポツダム宣言受諾の御前会議の内容が世界に伝えられる。 8月14日、最高戦争指導会議と閣議の連合会議で、天皇、終戦に署名。 8月15日、玉音放送で国民に発表。 8月16日、自衛戦闘を除く即時停戦を発令。 8月17日、18日、海軍と陸軍で全面的停戦予告。19日、発令。22日、実施。 9月2日、降伏文書調印、終戦詔書発表。 9月2日こそ、世界「終戦」の主流。日本はなぜ8月15日が終戦なのか。 それは、戦後、『国民的記憶』として創られたものだ、という。 講和条約発効とともに、9月2日「降伏記念日」は消えた。そして、1955年頃までに、8月6日の被爆体験から、8月15日の玉音体験にいたる、「8月ジャーナリズム」は完成をみたという。それは、「敗戦=占領」から「終戦=平和」であり、「反省」から「平和」への国民的記憶の再編を意味していた。 だがそれは、「8・15革命」(丸山真男)を信じるものと、降伏を忘却したい保守の「8・15聖断神話」との合作としてうまれたものだという。玉音放送は、国民全員の「儀式への参加」を通して集合的記憶になった。そして、ラジオで戦前からおこなわれた「盂蘭盆会法要」(お盆)の再編と、「夏の甲子園」中継とともに、国民的メディア・イベントとして定着してゆく。中国は、中曽根靖国参拝以降、アジアへの加害を問う日本のメディアにあわせて、8月15日に「終戦」を移しつつあるらしい。歴史認識とは、現在の国際政治を映すもの、政治そのものである、とする議論もたしかに面白い。 高校歴史教科書では、9月2日終戦の記述が圧倒的であること。1963年から81年にかけて、日本の経済大国化とともに、「侵略」から「進出」に書き改められていったこと。世界史と日本史では、同じ会社の教科書でも記述が違うらしい。丸山真男の転向はいつか?。敗者は、映像をもたない。玉音放送をめぐる不安定な写真こそ、玉音放送の記憶に我々を回帰させるのだ… 先学に多くを依拠しているとはいえ、視点はとても斬新です。 ただ、今回の仕事には、正直落胆を禁じえない。 何よりぶったまげたのは、中国の戦勝記念日≪9月3日≫が、スターリン【中ソ同盟の歴史的遺産】にされていることでしょう。それはもともと、45年9月3日、重慶で慶祝式典が開かれ、復員推進と憲政実施をうたった『中国国民党為抗戦勝利告全国同胞書』が発表され、【抗日戦争結束日】を9月3日にしたことに起源がある。それが1946年、「抗日戦勝記念日」となってゆくのですが、なぜか<9月3日に定めた1951年「中共」布告内にみられる、ソ連への賛辞・感謝>⇒<50年中ソ同盟>⇒<蒋介石も45年「中ソ同盟」を締結して9月3日に定めた>と遡及されてゆき、「ソ連標準」(=9月3日)にあわせたと断定されてしまう。いったい、なにを根拠にしてるんでしょう? なにより中国人には、独自に祝うべき日がないと想定されているかのような、佐藤氏の発想がおそろしい。台湾で、9月3日が「軍人節」になったのは、もう「ソ連」にあわせる必要がないため。中共が、終戦日をソ連標準から日本標準にかえたのは(【注】 別に変えてはいない)、歴史認識を政治化させるため、と説かれてしまう。日本では、「創られた記憶」をさまざまなメディアで検証しながら、中国では「教科書」記述、台湾では教科書さえ出てこない。意図的な情報操作か? これが、『言論統制』を執筆した人物のおなじ仕事とは、とうてい思えない。 また、高校教科書「9月2日終戦」が世間に広まっていない理由は、8月15日が民族解放=<光復節>の韓国に配慮する、アジアの戦争被害を重視する歴史教育のせいにされてしまう。配慮の内容が意味不明なまま… どうみても、「終戦」と「降伏調印=敗戦」は、日本ではシニフィエがちがい、「降伏=終戦」の観念がないためにしかみえないのだが… おまけに、韓国の<光復節>は、60年間、8月15日らしい。ならば「8月15日終戦」は、日本標準ではなく、韓国標準ではないのか? 本書の枠組を用いれば、「記憶の55年体制」「記憶の再編」とは、日本が韓国にあわせてゆく過程ではないのか? なぜ検討もされていないのだろう? これだけで、いかにいい加減な枠組で議論しているか、理解できるというもの。 それだけに、8月15日「戦没者慰霊の日」、9月2日「平和祈念の日」として、お盆と政治、戦没者追悼と戦争責任を分離させよ!!という筆者の提言も、いささか唐突に映ってしまう。むろん、8月15日で見失われるものをとらえるためで、賛意は惜しまない。とはいえ、操作主義的メディア観として「つくる会」教科書側とその「反対者」も批判した当人が、「終戦記念日の内向化」への批判自体が国民統合を強化すると嘲笑した当人が、さらには「8月ジャーナリズム」と皮肉った当人が、「操作主義的」な、「8月15日批判」を、「8月ジャーナリズム」にのせて展開するのは、矛盾も極まっているのではないだろうか。 そもそも、≪8月15日≫≪終戦≫の≪国民的≫≪記憶≫というものは、それぞれ多様で、開かれていて、個人的で、それでいて、移ろいやすく消えやすいもの、であるはずだ。だからこそ毎年、≪8月15日≫≪終戦≫は、その内容を更新・確認しなければならなくなるのではないか。そこに、メディア・イベント「8月ジャーナリズム」が、すこしずつ変容をとげながら、毎年のように展開されていった理由があるに違いあるまい。その容器に入れられる中身は、だれも一義的に確定することなどできはしない。ならば、これに≪9月2日≫≪平和祈念の日≫を付け加える、佐藤氏の唐突な提案に、いったいどれほどの意味があるというのだろう。評者ならずとも、疑問を感じてしまうのではないか。たんに、圧倒的な≪鈴木庫三日記≫ のメッキが剥がれて、メディア史の地金が出てしまっただけなのかもしれないけれど… そのため、評価は低くしてある。 ご寛恕願いたい。 評価 ★★☆ 価格: ¥861 (税込) 人気ランキング順位 追伸 そういえば、「朝日」「毎日」の8月15日予定稿への批判も、考えてみればかなり不思議な話です。「降版時間」に制約される新聞は、今も、とくにスポーツ記事などを中心に、予定稿を整理部に出稿して、ストックしつづけています。非常事態になれば、そうしたストックは、しばしば整理部の判断で、別の記事にさしかえられてしまう。また写真は、記事を書いた人が撮るわけではないし、写真・記事の見出しは整理部がつけるもので、出稿先は関知しない。この3つ、写真・見出し・記事内容の不統一は、分権的メディアである新聞において、なかなか避けることはできない。なぜ佐藤氏は、それを知りながら(知らないはずがない)、この3つが統合されていないことを問題視するのだろうか。それは、ありもしない集団的記憶という、「統合」された何かを問題視する、氏の姿勢とつながっていて、たいへん興味深い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Aug 25, 2005 01:55:51 AM
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