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書評日記  パペッティア通信

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Sep 28, 2005
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困ったな。新作がでちまった。
迷って、ほっておいたら、買うの忘れてやんの(llllll´▽`llllll)

読了する。
分らない部分が出てくる。
そんで『ぼく地球(たま)』を読み直す羽目になってしまった。
読み直して驚いた。やっぱり圧倒的に面白い。

全21巻。
万人がこれより面白いとみとめる少女漫画なんて、いくつあるんだろう。
そんなの、無いんじゃないか、と思うくらいの至福の喜びをふたたび味わった。

やっぱり、凄いッすよね。
はじめ読んだときは、ショックさえうけた。

「時空」をこえた2つの惑星。
「前世」と「現世」。

よくてSF、悪くいえばオカルトにすぎない。

それなのに、「前世」における謎が、ひとつひとつ解きほぐされて、
圧倒的なまでの全体像が、ミステリ-仕立てで浮かび上がる
分らない面白さに圧倒された。なんというか、切迫感がたまらなかった。

ある種、社会現象まで生んだ、「ぼく地球」。
オカルト誌『ムー』の読者コーナー、「ムー民広場」は、
「ぼく地球」の直撃をうけて、自分の「前世」を語る人々に占拠された。
この面白さを考えれば、無理もない。

とはいえ歳月と読み直しは、その印象を一変させていた。
「オカルト」「SF」…そんな珍奇な「道具」が、その新鮮さからくる面白さを失ったとき、「ぼく地球」に潜む、本当の面白さがうかびあがってきたようにおもえた。われわれは、否、作者自身をふくめて、みな珍奇な「道具」立てに騙されていたのではないか。

僕には、ずっと、不満だったことがあった。
日渡早紀は、なぜ「ぼく地球」以外、面白くないのだろう
「アクマくん」、とくに「未来のうてな」以降…みんなつまらない。
「ぼく地球」だけ、奇跡的な面白さをもたらしたものは、
いったい、なんだったのか。

あとにも、さきにも、「ぼく地球」でしか、彼女がやっていなかったこと。
読み直すまで、まったくそれに気づかなかった。


「ニセモノにしがみつく」
「ニセモノであることが暴かれる」
そう。「ぼく地球」とは、ニセモノの物語なのだ。


木蓮(ありす)の膝の上で、手に入れた地球での安寧な生活をニセモノと糾弾する、紫苑(輪)のシーンを思いおこしてほしい

7名は、「ニセモノ」にしがみつく。
かれらは、お互いに「ニセモノ」をみせあい、遮蔽幕をはっている。
その張られたスクリーンは、ずたずたに引き裂かれてしまう。

エンジュ(錦織)は、玉蘭(迅八)に「友人」というスクリーンをはる。
繻子蘭(国生桜)は、エンジュに「女ともだち」というスクリーンをはる。
玉蘭は、手に入れられないものをみないため、周囲に良心的な人物を演じる。
キチェでなければ、愛してもらえない、強迫観念に駆られる、木蓮。


そのスクリーンは、つぎつぎと紫苑・輪たちによって、食い破られてしまう。王様は裸だ。ウソは、常に暴かれる。あれほどまでに、切迫感に満ちあふれたストーリーだったのは、ニセモノであることを糾弾する物語だったからにちがいない。

木蓮を陵辱したい欲望を指摘された秋海棠(春彦)。
前世を美しい思い出に終わらせ、基地運営から目をそむけさせたい、柊。
エンジュ(錦織)の思いを知りながら、知らないふりをする、迅八。

いや、ニセモノにしがみつく究極の存在は、紫苑だろう。周囲に提示する紫苑の言葉は、つねにフェイクにすぎない。木蓮とリアン・カーシュにのみ、本音を話すことができた紫苑。なにか敵を定めないと、内からもたげてくる何かに飲みこまれてしまう。それから目をそらすため、余裕あるものを、サージャリムを、敵と定めて攻撃する紫苑。

ニセモノにまどわされ、ニセモノにしがみつき、ニセモノの下にうごめく「本当の欲望」にたどりつく物語。全編が、まるで心理劇。だからこそ、「ぼく地球」は傑作だったのだ。SFやオカルトや、そういった小道具に、われわれは騙されていたのだ、たぶん。


以後、この主題が日渡早紀によって演じられることはなかった。
今回のこの連作短編集も然り。

しかし、こうもおもう。ニセモノであることが暴かれただけで、人は「ホンモノ」にたどりつくことができるのであろうか、と。

輪の身体に埋め込まれた、「輪」「紫苑」の2つの主体。
「月基地を壊したい」「月基地を制御したい」と叫ぶ矛盾した主体「輪」。それを、木蓮が「輪」「紫苑」の2人の違いに裁断したとき、そこにかすかな「虚偽」が混じっていなかったか。紫苑は「制御したい」と叫ぶ。とはいえ、それは「月基地」にある、あるものを確かめたいがためのウソ。いや、「あるものを確かめる」というホンモノの欲望を通して、紫苑は他の6名とも、否、「輪」という人格とさえ、「和解」し「癒された」かにみえる。この2つの「叫び」の対立は、すでに「月基地は木蓮の歌の中に沈んでいる」ことで、揚棄されたかのようだ。

しかし、その過程で捨てられたものは、
あまりにも大きかったのではないか。

あれほどまでに紫苑を突き動かして、われわれをも感動の渦に巻きこんだ(?)「月基地を制御したい」=「地球を守りたい」という欲望。それは最後になって、そもそもニセモノだったことが宣告されてしまう。おかしくはないか。それでは、そもそもなぜ、そんなものが必要だったのだろう。「癒され」てしまえば、そんなものは必要なくなってしまうのか。われわれは何のために読んできたのか。

フィナーレ。
『ぼくの地球を守って』は、愛を選びとることで、感動の物語であるフリをする。

それは、「ぼく地球」全編について、決定的にウソくさい物語としたのではないだろうか。思い返そう。この究極のフェイク、「地球を守る」は、表題にまでなっているのだ。だから、それをニセモノと葬ってしまうわけにはいかない。なんか、それらしい、結末をつけねばならない。

地球の大気に溶け込んで融合してしまったとされる、木蓮…
サージャリムによって地球は守られるらしい。
キサナド(聖書)ぬきにですか? 
なんですか、そりゃあ。
そもそも地球に、たった1人のサージャリムで、
何ができるというのでしょうか…


以後の日渡早紀の作品。
何作か出ているので、読ませてもらっている。

とはいえ、それらに共通しているテーマとは、ウソくさくしてしまった「地球を守る」をいかにウソ臭くさせないか、という代物のような気がするのだが、どうだろうか。彼女の以後のあらゆる作品は、ウソくさくなってしまった、「ぼく地球」の敗者復活戦として存在しているのではないのか?。

変なSF設定。
妙な社会派作品。

彼女の作品を読むたびに、感じてきた違和感は、今回の読み直しでやっと理解できたようにおもえた。イデオロギーをいかにウソくさく見せないかという究極の試み。でも、あらゆるイデオロギーとは、所詮、ウサンくさい代物ではないのか。

それこそ、あたかも

誰もたどり着けない処へ行って
貴方の真実を見い出しなさい


こと、リアン=カーシュの言葉のような。とはいえ、「1度目は悲劇として、2度目は喜劇として」という言葉もある。本編の1度目こそ、悲劇ですみ感動のフィナーレをもたらしたものの、2度目以降の、ウソくさくない「ぼく地球」の試みは、それこそ喜劇ではないのか。

皆さんはどう思われるんだろう。

<番外編>

評価 ★★☆
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Last updated  Sep 28, 2005 06:27:22 PM
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