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水野文博の『日々の思考』
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ふみひろ0917の日記 [全38件]

2006/09/21楽天プロフィール Add to Google XML

役立つセミナーの見分け方-ACフォーラムを企画して  (72)

いま、10/9に開催する「オール・コミュニケーターズ・フォーラム」を3人の友人と企画している(参加受付中)。広報、宣伝などの分野で活躍する方々を対象に、マーケティング最新潮流(WEB2.0が軸)の幅広い理解と参加者のネットワーキングを目的としている。http://ac-f.net/これを機に、セミナーやフォーラムに参加するにあたっての目的意識の持ち方やチェックポイントを、企画者の立場で考えてみた。ご参考にどうぞ。

■来場者のメリット(あるいは参加目的意識とチェックポイント)

・必要な知識を得る
 →テーマが合致
 →デリバリーが上手
 →質問が出来る、あるいはインタラクティブである
・講師と面識を得る
 →質問が出来る
 →名刺交換が出来る
 →歓談が出来る
・来場者と面識を得る
 →来場者の自己紹介やプロフィールがある
 →懇親会がある

■セミナーの設計(あるいはチェックポイント)

来場者が求めていることと便宜性をイメージして下記を設計する。今回の場合を例示する。類似セミナーに対する優位性を意識した。

・ターゲットのスコープ: 広報、宣伝などの分野で活躍する方々。
 若手中心
・テーマ、プログラム: WEB2.0時代のマーケティングコラボレーション
・講師: WEB2.0の第一人者(織田浩一、gree、google、野村総研など)
 +先端事例実践者。類似セミナーも同様
・コンテンツ: 事務局と調整の上、講師作成。類似セミナーも同様
・デリバリー: 肩肘はらない。
 類似セミナーはインタラクティブではなく堅い感じ
・懇親会: あり。類似セミナーは無しが多い
・価格: 他セミナー並み
・日時: 連休の最終日。これは講師都合で仕方がなかった。
 類似セミナーはウィークデイが多い
・場所: しごとセンター(飯田橋)。都心で便利。類似セミナーも同様


Last updated 2006/09/22 1:31:27 AM
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2006/06/25

夏休みイタリア旅行の情報収集  (2)

■募集:7/1にイタリア好きが集まりナポリピッツァを楽しむランチ会を行います。イタリア旅行の情報交換の場として活用できるよう工夫します。興味のある方、参加をご検討下さい。mixiにてhttp://mixi.jp/view_event.pl?id=7601321&comm_id=149060■

東京→パリ、ローマ→東京の航空券を買ってから、パリ→ローマの旅程を決めるべく情報収集を開始した。

まずは、信頼のおけるガイドの購入から。ミシュランの赤、グリーン、そして20年前から愛用している「Let's go」シリーズを買った。

常々思うのだけど、なぜミシュラングリーンガイドは日本に根付かないのか(日本語版は1991年初版で絶版)。

このガイドは、1)歴史的遺産などを体系的に詳しく説明している、2)地図が正確である、3)レストランにハズレがない、などの特長があり、欧州人の観光客が小脇によく抱えているのを見かける。

一方で日本人が持っているガイドはショッピングとホテルとレストランが中心で、遺産の解説は表面的だ。レストランについては、おそらく日本からの取材陣が一生懸命調べたものだろうが、サッカーのワールドカップ現象のごとく、ミシュランのように地場の目利きが命を懸けるガイドには遠く及ばない。

文化(遺跡/レストラン)記述のレベルが低いのは教育の問題も多分にあるのではと思い、高校の美術教師に問うたところ、教育の前提である文化的素地が違うとの説明。うーん、比較文化的にどちらがいいと言えるのか、一般論では分からなくなってきた。

しかし僕の価値観は明らかで、断然オススメはミシュランである。

「Let's go」シリーズはアメリカのハーバードの学生が始めたアメリカ版地球の歩き方だ。アメリカ人は、どちらかというと日本人に近い観光をする。日本人観光客と同様、欧州人から文化的蛮族扱いをされることもある。

でも、旅行者へのプラクティカルな情報はきちんと載っている。地球の歩き方に載っている場所へ行くと日本人が多く、「Let's go」シリーズに載っている場所はアメリカ人が多い。異文化接触が僕の旅の目的なので、僕は「Let's go」シリーズを利用して、日本の後光から遠ざかることにしている。

そして今日は5年間イタリアで修行した料理人の方にインタビューできた。お勧めはサルデーニャの海岸と、モンテカティーニ・テルメ近郊の温泉。などほど!

(探求はつづく)


Last updated 2006/06/26 2:15:35 AM
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2006/06/05

レバノン料理「マイ・レバノン」(代官山)  (4)

東京は広い。でも、レバノン料理のレストランを維持できるほどの需要が東京にあるのでしょうか。それが、あるのです! 日本語も話せない40才のレバノン人女性がオーナーを務める「マイ・レバノン」に行ってきました。

彼女が開店を決心した2003年末時点では、開店の「志」はあれども、必要なスキルはほとんど持ち合わせていませんでした。例をあげると、業界経験がない、日本語が話せない、認可や場所取得の仕組みが皆目見当がつかない、お金を借りなければならない、、、などなど。おまけにレバノン料理の需要予測は、常識的に考えて大きいハズがありません。彼女自身が需要開拓するしかない状況だったと思います。

そんな中、「志」に引っ張られる形で、なんと、2004年4月には開店に漕ぎつけました。

その志とは何か? 2つあるようです。

1. 食べ物を通してレバノンを紹介したい

アラブには「心に一番早く到達する道は、胃袋を通る道」という格言があります。食事は人と人が付き合い、理解するための強力なイベントなのです。彼女は、多文化を受け入れることの楽しさを、肌身で、いや、胃袋で感じてもらいたいと願いました。

2. 結婚、子育て後の人生の第二ステージの準備として、金銭的に自立したい

彼女自身は質素な生活を送っているけれど、心にかけている人々に募金などでお金をご用立てするときは、夫ではなく自分のお金を出した方が気持ちがいいと考えました。

これら志の背景には、彼女が9才のときから始まったレバノン内戦の体験があるそうです。主義主張を異にした国民が互いに血を流し合う、市民は生活のための資金もままならない状況に追いやられる、といった体験でした。

では、お店実現のために、彼女はどのようなアクションを起したのでしょうか。まずレストランチェーン店を経営する日本人パートナーと組んで、不足するスキルを補いました。自らも、メニュー開発と素材の選定、シェフを雇ってのレバノン料理の訓練、内装のタイルをレバノンから輸入し、壁や絵を自ら描く、などを実行しました。資金調達は、レストランチェーン店を持つ日本人パートナーと組むことでようやく提供者を納得させました。

開店後のオペレーションでは、早朝割引を狙って素材買出しを行うなど低コスト化を常に心がけています。一方で、レバノンを紹介するために、歴史的な出来事や人物の写真を飾ったり、「レバノンってどこにあるの」というお客様の声に対応して地図を飾ったり、あるいは時々お客様が注文していない料理を少し出して試食してもらったり、色々な改善を継続して行いました。

開店後は順調に売上を伸ばし(月商は500万円に達した)、開店半年後には開店資金を回収したといいます。

彼女の名前はリタ・ゴーン、日産を立て直したカルロス・ゴーンの奥様です。

開店資金の調達先は実はカルロスで、利益が出たあかつきには配当も支払ったそうです。カルロスはお店に来ても、お客様の入り具合をチェックしているとか、、、。

それにしても、開店準備が3ヶ月、開店資金回収完了が6ヶ月とは、旦那同様のスピード経営!ですね。これはレバノン内戦の体験で得た「明日が来る保障はどこにもない。やれることはスグにやらないと」との信念から来ているそうです。

ちなみにゴーン家がランチに来店するときの定番メニューは、「チキンカバブ」「サモサ」「フールマダマス」「タブーリ」「オムス」「ハバガノーシュ」だそうです。一度試してみてはいかがでしょうか。

*基本情報**
店名: マイ・レバノン
住所: 東京都渋谷区恵比寿西1-33-18 コート代官山B1F
電話: 03-5459-2239

**TPO**
■友人と食べ歩き
■家族と
□短時間で手軽に
■デートで
□合コンで

**予算***
□~3,000円
■3,000円~7,000円(ディナー)
□7,000円~


Last updated 2006/06/07 1:11:35 AM
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2006/05/03

ムラヴィンスキーの生き方

週末からののロシア出張に向けてロシア音楽家の伝記を読みまくっている。今日はレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団を一流に育てた名指揮者ムラヴィンスキー(1903-1988)の伝記を読み終えた。

彼の練習は厳しく、団員からはトスカニーニやカラヤンのごとく専制君主と恐れられた。ところが実生活は大変質素で、情に厚い方だったようだ。

印象として感じたのは、(武士道みたいな)貴族的な心性、質素倹約、厳しい音楽への献身。

彼は貴族の家に生まれるも家族はロシア革命で財産を奪われ、貧しい生活を強いられた。マリインスキー劇場のバレリーナ達のピアノ伴奏からキャリアをスタートさせた。自然を愛し、よく田舎で何日も放浪の旅をしたそうだ。終生、農民や修道院の方を友とした。自然を詠った詩も沢山残っている。

戦時中、レニングラード・フィルがノヴォシビルツクに疎開した際は団員の住居探しに奔走し、全ての団員の家が見つかるまで仮設住宅に残った。レーニンにより親友ショスタコーヴィチが弾圧された際は、積極的に彼の作品を演奏した。

当然、共産党に目をつけられ、投獄や退任への圧力にいつも直面していた。住居は狭いアパートをあてがわれ、外国講演のギャラも殆ど党が召し上げた。例えばフランス公演では彼には200ドル/コンサートしか支払われず、街の食料品店で簡単な食材を買って自炊することもあった。

70才代後半になってようやくダーチャという質素な別荘を購入できて、「ようやく長年の夢が叶った」と涙して喜んだそうだ。そこで彼はスコア(総譜)を読んだり散歩や釣りを楽しんだ。

生活は質素でオチャメだったようだ。作り置きした好物の魚スープを自ら温めて食べたり、ビールの飲みすぎを奥様から監視されて、空き瓶に水を入れてごまかしたりしたらしい(70代なのに…)。

そういえば、僕が始めてレニングラードへ行った1987年は彼の死の1年前であった。ムラヴィンスキーを聴けたらと密かな期待を持っていたが彼は現れず、若いヤンソンスがレニングラード・フィルを振っていた。

以下に、心に残った巨匠自身の言葉を引用する。個人の生き方や組織でのリーダーシプのあり方に参考にしたい。

「私はカラヤンや西欧の金持ちの指揮者を羨ましいと思ったことはない。私は今の生活で十分だからだ」

「いつだったか音楽を聴いたとき、まるで雷か稲妻に打たれたような戦慄が走った。音楽とは心を震わせるものだ。そうでなくては芸術ではない。芸術、音楽は、人の心、聴衆の、演奏家の心の炎を燃え立たせる。それこそが芸術のもたらすものだ」

「私にとってスコアとは人生のドキュメントだ。それは「作品自体」の"雰囲気"に浸透することだ。私の探索の中でシンフォニーの"雰囲気"の解明こそが演奏を決定する最大の課題である」

「指揮者は絶対に響きを創らない。音を紡ぎだすのはオーケストラだ。個々の団員が聴きとり、感じられる"雰囲気"を創りだすことが大切だ。私とオーケストラとの仕事は単純だ。不可欠なのは濃密な集中力、厳密な規律、稽古のシステムである。私はまず自分自身に、そしてオーケストラに戒律の絶対的遵守を要求する。オーケストラと指揮者は常に一心同体でなければならない」


Last updated 2006/05/04 1:38:27 AM
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2006/04/19

「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」

今日は、かずみさん(http://blog.goo.ne.jp/tres_heureux/e/1f4e0e1d1a1c4e7336e0918b14ee58d7)のご紹介で、オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」(マスカーニ)と「道化師」(レオンカヴァルロ)を観劇しました。

「カヴァレリア」の訳語に「田舎の騎士道」と書いてありました。確かにそうなんだけど、漢字で「田舎」と書かれると、曲のイメージと明らかに違う青森や岩手(ゴメン)を思い出してしまいます(苦笑)。本当はシチリア島が舞台で、確かに田舎なんですけどね。

「カヴァレリア」の間奏曲はオーケストラをやっていた時にアンコールでよく取り上げた曲で、青春を思い出します(今も青春時代真っ只中だけど)。キレイな曲で、泣けますね。

「道化師」のネッダ役をかずみさんは演じていました。素晴らしい表現力と歌声でした。他の主役級の歌手がsempre fffって感じだったのに対して、ppp、pp、p、f、ff、fffをバランスよく配して表情をつけていました。重唱でのアンサンブル感覚もあります。相方のカニオも素晴らしく、本当に楽しめました。(でも、サントゥッツァもよかったです)。

ちなみにゲネプロにはイタリアでも人気のマエストロ、井上道義さん(指揮者)が観に来ていたそうです。

「道化師」は、劇中劇と現実の境界がつかなくなってしまうという劇で(ややこしい)、「人生劇場の思想」を再考させられました。人生は劇のようなもの、ゲームの役割を演じているようなものということですが、でも、劇ならば許せるけど、ふと自分に帰ったときに、本当は許せないようなことも演じている可能性があるんですよね。

それから、「役割性格」、「囚人と看守の実験」を思い出しました。(詳しくは、僕のコンピテンシー診断をしてくれた川上さんの解説参照http://www.watsonwyatt.co.jp/publications/wwreview/wwr28/2817/index.html)。これも、現在の会社での役割を「役割性格」としてよいのか(反語表現です)、大いに反省しました。


Last updated 2006/04/20 0:30:26 AM
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2006/04/08

プランタンのサクラ、あるいは春の祭典  (1)

先週は満開の桜を楽しまれた方も多いと思う。すっかり春ですね。

この季節になると、ストラビンスキーのバレエ音楽「春の祭典」を思い出す。(決して「春の祭典」の原語がサクラ・ド・プランタンだからではない)

冬の間、身を潜めていた花や新緑が、示し合わせたように硬い地面を突き抜けて、萌える。そのパワー、生命力に感動するのだ。

このことは、シュレスヴィッヒ-ホルシュタイン音楽祭オーケストラとのリハーサルビデオで、指揮者のバーンスタインが表情豊かに「大地の生命力」について語っているのを聞いて気づいた。普段は見過ごしがちなささいなことだが、このようなことに気づき感動する感性を大切にしていきたい。

パリでの初演のエピソードを読むと、ストラビンスキーの時代を切り開くチャレンジ精神にも感動を覚える。

初演の評価は散々だった。演奏が始まると、音楽と踊りのあまりの前衛さに賞賛とブーイングの嵐が起こり、音楽も聴こえなくなるほどだったそうだ。当時のパリ音楽界では「事件」、「スキャンダル」と評された。新聞ではマサクラ・ド・プランタン、「春の虐殺」と皮肉られた。

初演の会場は伝統あるシャンゼリゼ劇場。既に名声を確立したディアギレフ率いるロシア・バレエ団が、ニジンスキーの振り付け、モントゥーの指揮で初演した。 これほどのキャスティングを持ってすれば、普通の人なら、いつも通りのホドホドの演奏をすれば拍手喝さいは間違いないと考える。

しかも、客席にはサン=サーンス、ドビュッシー、ラヴェルなどフランス音楽界の大御所が陣取っていたそうな。普通の人なら失敗を恐れて手堅く無難にこなしたいと考えるに違いない。

しかし、ストラビンスキーと物語を書いたニコライ・リョーリフ(レーリッヒ:後の神秘思想家)は違った。自分たちの、思いの通りに主張した。それほど、大地の生命力を作品に託して表現・共有したかったのだろう。

リハーサルも困難を極めた。音楽の素養のないニジンスキーに1からその基礎を教えなければならなかった。120回もリハーサルを行い、不安になったディアギレフは振付助手にランベルク(ランベール)を新たにつけたほどだ。結果の予想がつかない中、成功のビジョンを打ち出し、リーダーシップを発揮して不安なスタッフを説き伏せて、初演までこぎつけた。

人は新たなチャレンジに踏み出すとき、失敗するかもしれない、成功は保障されていない、というリスクを背負う。成功の見通しはきかないものだ。そこで多くの人は、小さな成果が確実に手に入る、慣れ親しんだ方法を好む。

そんな中で、物事に感動し、表現したい、伝えたいという欲求に駆られてチャレンジする人が、時代を切り開いていく人なのである。ストラビンスキーはそういうスゴイ人物だった。

「春の祭典」の初演は散々だったが、やがて聴衆がストラビンスキーを理解できるまでに成長し、今では名曲中の名曲との評価を受けている。


注)「春の祭典」のあらすじ:
第一幕。雪が溶け、大地はふたたび花と草に覆われる。人びとの心に生命の悦びが満ちる。長老たちを従えた老賢者が春を祝福し、人びとは浮かれ踊る。
第二幕。夜。丘の上。処女たちが環になってぐるぐる回りながら、神秘的な遊戯をおこない、ひとりの処女を選び出す。選ばれた処女は恐怖におののきながら踊り、太陽神に生け贄として捧げられる。


Last updated 2006/04/09 10:51:34 AM
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2006/04/01

ゲンリヒ・ネイガウスのショパン

3/19-23に、フランクフルトとモスクワに出張した。いつも出張時にはその土地にまつわるテーマを決めて、本などで少し勉強した上で訪問することにしている。

モスクワは5月にも出張予定のため、今回は「ロシアの音楽家」をテーマと定めた。

ロシアは音楽の豊饒の地である。作曲家では、グリンカ(ルスランとルドミーラ)、ボロディン(プリンス・イーゴリ、弦楽四重奏曲)、リムスキー=コルサコフ(シェーラザード)、チャイコフスキー、ストラビンスキー、ラフマニノフ(ピアノ協奏曲4番)、スクリャービン、ハチャトリアン、プロコフィエフ、ショスタコービチ、シチェドリンなどがいる。 *()内は好きな曲

演奏家も、シャリアピン、バイオリンのエルマン、ハイフェッツ、ミルシュタインなどアウアー門下生、オイストラフ親子、コーガン、シトコベツキー、レーピンやヴェンゲロフなどブロン門下生、スピヴァコフ、クレーメル、ピアティゴルスキー、ロストロポービッチ、マイスキー、ナカリャコフ、バシュメット、バルシャイ、ムラヴィンスキー、ロジェストヴェンスキー、ゲルギエフなど、実に多彩である。そして、バレエ音楽に多大な貢献をしたロシアバレエ団のバラキエフも忘れられない。

そんな中で、ピアニストは一大山脈を築いている。西側で知られている人々だけでも、アントン・ルビンシュタインに始まり、ラフマニノフ、ホロヴィッツ(世界中のピアニストで一番好きです)、オボーリン、ギレリス、リヒテル、ステファンスカ、アシュケナージ、プレトニョフ、ブーニン、キーシン、そして最近ではマツエフなど。

彼らはロシア音楽の特質を肌で感じているらしい。ニューヨークに住むホロヴィッツは、ラフマニノフの協奏曲を弾く数週間前から、ホテルの窓をカーテンで閉め切ってロシアオペラのレコードを聴きまくり、ロシア感覚を取り戻した。またハイフェッツは弟子がチャイコフスキーの協奏曲を弾いたとき「ロシアの冬はもっと寒い」と感覚的表現で指導した。

余談だが、20年ほど前、あるシンポジウムを聴講したとき、中沢新一が「今後ロシアから音楽的才能が噴出する」と言ったのに対し、ダニエル・ベルが「根拠が弱すぎる」と噛み付いていたことがあった。横にいた大前研一が苦笑していた。本件に関しては中沢新一が正しかったようである。

実はこれらを支えている教育レベルもスゴイ。チャイコフスキー・コンクールは世界で最も有名なプロへの登竜門であるし、モスクワ音楽院はルビンシュタインが設立し、チャイコフスキー、ラフマニノフなどが教え、日本からは佐藤陽子などが留学している。

今回は、ギレリス、リヒテルの先生で、ゴドフスキーの弟子であるゲンリヒ・ネイガウスに興味を持った。現代のモスクワ教育界の大家、ヴェラ・ゴルノスタエヴァが自著の中で、彼女の先生であるネイガウスを絶賛していたのがキッカケだ。ホロヴィッツもネイガウスを讃えており、リヒテルに至っては彼がシューマンのクライスレリアーナを弾かないのはネイガウスの立派な演奏を聴いてしまったからだとまで言っている。

ネイガウスの演奏は、日本ではCD6枚が発売されている。演奏の特長は、即興的創造性の豊かさと全体的なバランスのよさである。要するに自由で趣味がよい。彼の弾くピアノは全て気に入ったが、特にショパンが素晴らしい。

興味のある方は、ぜひ一度聴いてみてはいかがだろうか(→一枚1260円で売っている)。

お礼:ロシア滞在3日間のうち、2回の夕食につきあってくれた、モスクワ音楽院ピアノ科の「ぱちぇぷー」さんへ。演奏会や練習で忙しい中、ありがとうございました。

付録:ロシア革命を逃れてアメリカに渡ったラフマニノフ、ハイフェッツ、ストラビンスキーらは、みなビバリーヒルズに住んでいたそうな。イメージが合わない。。。


Last updated 2006/04/02 1:48:16 PM
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