自分に問いかける
今日、平日休みでようやく、社会福祉士登録申し込みを郵便局の窓口に出しに行った。登録手数料と登録免許税、併せて19,050円……高い……。その上、私は社会福祉士会にも入会しようかと……入会金と年会費、15,000円。資格貧乏だな。まぁ、いいさ。この3年間余り、私はこの資格を取得するために時間もお金もかけてきた。必ず一発で取るんだという明確な目標だったから。目標は達成した。自分の努力で。こころは、安堵と同時に虚しさを感じている。なぜだ?自分に聞いてみる。病院というところは、上下関係がはっきりしている。資格・専門職の集団。高度な資格があるからその仕事ができるのであり、その仕事ができることはその人のプライド。けれど、だからってイコール人間として立派で崇高なわけじゃない。立派な人もいる。いい仕事をしている人もいる。そしてそうじゃない人も。みんな本当はそうとわかっているはずなのに、やっぱり専門職の上下関係で人をはかっている。私も反発を覚えながらも、自分が無資格者(ヘルパー2級は国家資格ではないという意味で)であることに悔しさを感じていた。病院はパワーゲームの渦だ。それと全く無関係にはやっていけない。そして……私が国家資格を取得したところで、まだその専門職としていい仕事がすぐできるわけではない。問題はこれからなのだから。その、これからの私の新たな舞台が決まらない。どの舞台に立つことになるのか。いつ立てるのか。虚しさの正体は何だ?勝つことを目標に努力してきた過程に、私は満足しているか?おそらく、満足している。結果は出した。他人に価値を認められたいのか?いや、社会福祉士ってケアマネでしょ?と言った新人看護師も居た。そのぐらい、知名度は低い。資格の価値など、自分自身がわかっていればいいのだ。では、これだけ努力して努力して……自分で勝ち取ったという苦労を、大変だった過程を、誰かに認められたいのか?わかる人にはわかる。それは同じ苦労をともにしてきた人だけだ。人は、自分の経験したことでなければ、理解できない。理解したいとも思わない。本当に聞く耳を持たない。どうだっていいことなのだから。そうか……私の中の「人にわかってほしい病」が、誰かにわかってもらえないから虚しいと屁理屈を言っているんだな。それは、たぶん私の中の潜在意識。小さな子供のような潜在意識(ある本で、魔人にちなんで「ジーニー」と読んでいた)が「人にわかってほしい病」を発信している。わかったよ。ゆっくりと潜在意識ジーニーに語りかけよう。わかってくれる人は存在するよ。私自身と、親友のあの人。ほらほら、たった一人でも理解者がいるって信じられることのありがたいこと。幸せなことだよ。わからせたい人がいるのか。それは無理だな。聞く耳を持たない人にわからせるのは、無理だ。でもね、私はわかっているよ。私がここまで努力できたのは、幼児のようなジーニーのおかげだってこと。超がつくほど負けず嫌いで、人に褒められたくて。そう、遠い昔、本当はお母さんに褒められたかったんだよね……笑顔が見たかったからね。知ってるよ。あなたが居てくれたから、私は頑張れた。あなたが強い影響力を持っているから、私はとっても生きるのがしんどかったけどね。でも、勝てたのは、あなたのおかげだよ。さあ、これからは、次の目標を立てるのもいい。きっとまた、私はあなたの力を借りて、目標を達成するべく努力するだろう。そして、どう生きるか何をして生きるか?私もあなたも成長していけるような、一つ一つの階段を上っていくしかないね。誰にも媚びるな。職業のランクに迎合するな。誰かを見下すな。一生懸命生きてる人は誰でも、尊敬に値する。自分に嘘をつくな。虚しさを感じてもいいんだよ。桜が満開になっても、寂しいのはしょうがない。何を感じてもいいんだよ。人にどう思われようが、私は、私であって、いいんだよ。あなたは、あなたであって、いいんだよ。解き放て!