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ouioiuの日記 [全9件]

2010.06.18楽天プロフィール Add to Google XML

仏教と名利の大山その5

・九死に一生を得た兵士はこう告白した。

「肉体は助かったが、オレの魂は永遠に救われない」と

猿回しの猿が、エイヤエイヤのかけ声につれて、なかなか上手に芝居する。

感動した観客が、思わず知らずミカンを投げた。

ところが大変サルたちは、教え込まれたことなど吹きとんで、われ先にミカンに殺到。取り合い噛み合い、芝居が台無しになったという。


名誉欲も利益欲も「自分さえよければ」の利己心である。

名聞利養のミカンが投げ込まれると、“知った、覚えた、分かった”の倫理も教養も吹きとんで、むき出しになるのは本性だ。

合点のコップの水くらいでは、名利の猛火は消されない。

太平洋戦争末期、護衛なき航海を余儀なくされた日本の輸送船が、
魚雷攻撃で撃沈された時それはおきたという。

大海に放り出された何千もの兵士たちが、わずかの救命ボートめがけて殺到する。

ボートはもう限界だった。一人でも収容すれば沈没する。

だが救助を求める必死の手が、まわり中にかかってくる。

その手をボートの兵士たちが、銃剣かざし片っ端から斬り落とす。

手首を斬られた兵士たちは、かつての戦友をにらみつけ、鮮血の海に消えたという。

「肉体は助かったが、オレの魂は永遠に救われない」
 九死に一生を得て帰還した、兵士の告白である。
 芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の小説は、

我利我利亡者の本性を、まざまざと浮き彫りにする。

「他人はどうなってもよい、わが身さえ助かれば、というカンダタの無慈悲な心が、
またしても地獄へ堕としたか、助ける縁のない奴よ……」

釈尊の、深いため息が伝わってくるようだ。
助ける縁のない奴とサジを投げられたのは、カンダタだけのことではなかろう。
カンダタは確実に、私たちの心の奥に棲みついている。



Last updated 2010.06.18 20:39:01
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仏教と名利の大山その4

黄金の雨がふっても満足できない

大会社の部長を務める長男と、同居する八十すぎの男性がいる。

近ごろ体調をこわし精密検査の結果、肝臓ガンと診断された。

どうせ長い命はなかろうと、手術を勧め入院させた長男は、

同時に死亡通知先の名簿をととのえる。

息子が息子なら嫁も嫁、義父の定期預金を無断解約し、

入院手術の経費にあてる始末。ところが術後の経過は良好で無事退院。

息子も嫁も“案外じゃったのう”のガッカリ顔には、微塵の罪悪感も見当たらない。

親よりも金が大事な、利益欲の非情さであろう。


まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、
わが身には一つも、相添うことあるべからず。されば、死出の山路の末・三塗の大河をば、ただ一人こそ行きなんずれ(『御文章』)

「かねてから頼りにし、力にしている妻子や財宝も、死んでゆくときには、何ひとつ頼りにならぬ。みんな剥ぎ取られて、一人でこの世を去らねばならない」

長く生きても百年足らず、死んでゆくときは何も持ってゆけない。蓮如上人の教訓に、反論の余地はさらさらないのだが、ほしい、ほしい、もっと欲しいの利益欲からは離れ切れない。黄金の雨がふっても満足できぬ強欲だけが、よく見える。

「不幸のほとんどは、金でかたづけられる」と言ってのけた菊池寛(近代の作家)の信者は、昔も今も多数をしめる。金のためならなんでもする、金色夜叉の百鬼夜行だ。

平成十二年七月、奈良市の四十三歳の看護婦が、腹を痛めた十五歳の長女に毒茶を飲ませ、殺害しようとした疑いで逮捕された。長女には三千万円の保険金がかけられていた。この白衣の母親は、三年前にも、当時十五歳の長男と九歳の次女を同じ手口で殺し、二千万円の保険金を受け取っていた容疑もかけられているという。

ノミはノミの糞をし、象は象の糞をする。どれだけの高位高官、大臣、総理経験者までが、ワイロで獄舎につながれ、恥辱の一生で終わったことか。営々と築き上げてきたものが、利益欲の大山に押しつぶされ、悲嘆に暮れる人がなんと多いことだろう。
己を映す鏡に、事欠かない。

他人の利益にはブタのように鈍感だが、自分に損得がからんでくると、とたんに全神経を逆立たせる。己の欲をさまたげる者は肉親であれ恩人であれ、恥も外聞もなく押し倒し突き殺す、無慈悲な魔の手はのびてゆく。

 こんな教訓的な話がある。
 三人の泥棒が大金を盗んで山頂まで逃げる。山分けしようとしたとき、
一人が欲をおこす。

「腹ごしらえしてからにしようじゃないか。オレは食べ物をさがしてくるからな」
と町へでかけた。空腹にあえいでいた二人に異論はない。町へ行って満腹した泥棒は、残りのまんじゅうに毒薬を注入。我欲のためには仲間も殺す魂胆だ。

 山に残った二人も悪相談ができていた。

「アイツをかたづけて、二分しよう」
 町から帰った泥棒は、

「オレは、食べてきたよ」

と毒まんじゅうをそこに置き、崖の上から気持ちよさそうに放尿しはじめた。チャンスとばかりに二人の泥棒は、足音しのばせ近づき谷底へと突き落とす。

「これで安心、食べてから分けよう」

 二人は枕を並べてあの世ゆきだ。山頂に残ったのは盗んだ大金だけだったという。

「おちてゆく 奈落の底を のぞき見ん いかほど深き 欲の穴ぞと」

名声がほしい、財宝がほしい、あれもこれも、もっともっと……。きりのない名誉と利益を求めて苦しみ、すべてを置いてこの世を去る。人間の愚かな末路を象徴する話のように思われる。



Last updated 2010.06.18 20:36:53
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仏教と名利の大山その3

・「ウソくらべ 死にたがる婆 とめる嫁」

遺伝子の構造を解明して、ノーベル賞を受けたワトソンは、その著『二重らせん』で、
周囲をあざむき情報を盗み見たり、ライバルには成果を隠したりした姑息な手段を、生々しく自白した。

「鳴かず飛ばずの大学教授で終わるより、有名になった自分を想像したほうが、楽しいに決まっている」と語るワトソンは、

決して自分の言動は風変わりなものではないだろう、と書いている。

近代科学の創始者ニュートンは「微分積分学」発見の功名争いで、ライプニッツと長期間、醜い暗闘にしのぎを削った。

清潔なイメージの科学の世界でも、名誉欲が渦巻いている。

この大山に押しつぶされて、無惨に果てる人がいかに多いか。

二十世紀最後の十一月。別の遺跡から出た石器を自分で埋めて、

「六十万年前の石器発見」と事実を捏造していた遺跡調査団長が発覚。十年来の考古学研究がゆらいでいるというのだ。

次々と「日本最古」をぬりかえる成果を発表、「神の手」などと呼ばれて脚光を浴びていた人物だったという。

かっこよく最期を飾ろうとする死の美学といわれるものも、名誉欲の演出にほかならない。

かりそめのやすらぎを守るために、どれだけ自分をあざむき、他人をだまし通していることか。

他人のことは、ほめているようでバカにし、自分のことは、卑下しているようで上げている。

「ウソくらべ 死にたがる婆 とめる嫁」といわれるように、よく見られるためには平然とウソを言い、言葉を飾り善人をよそおう。

姑には、サラサラ死ぬ気はないのだが、嫁の態度が気に入らないので、おどすつもりで「死にたい」と言う。嫁も嫁でしたたかだ。

“いい加減に……”と心で殺しておきながら、孝行嫁を演じてみせる。

「お母さんはこの家の柱です。いつまでも元気でいてくださらないと困ります」
ともに真っ赤なウソなのだが、さて、どちらが本当らしく聞こえるか、と皮肉ったものだろう。

心と口とは、おのおの異なり、
言っていることと、念っていることに、まことがない(『大無量寿経』)

仏教のお経は数多いが 真実を説かれたのは大無量寿経だけである。

人間のうそ偽りの虚仮不実を、すっぱ抜かれた釈尊の言葉である。
つまらぬ人のつまらぬ讃辞にも舞い上がるが、

子供にバカにされても気が沈む。名誉欲の奴隷の悲しさを、つくづく思い知らされる。




Last updated 2010.08.20 16:10:59
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仏教と名利の大山その2

宮本武蔵の父・無二斎は、武蔵の技量をねたんで、つけねらったといわれるが、

名誉欲は、親子の間でも火花を散らす。友人、師弟ならばなおさらだろう。

学校でのいじめは、優るをねたむ心からおこっているケースも多い。

成績のよい子、かわいい子が、「ムカツク」ターゲットにされるという。

高校時代、英語の得意な親友がいて、文系の彼に、理系の私はどうしても勝てない。

それが一回だけあったのだ。彼が急性肺炎でテストを受けられなかったときである。

普段は笑いながらワイワイやっていた仲なのに、彼の病気をよろこぶとは、
思い出すと心が痛む。友人の名声をねたみ、親友を裏切って平気な心。

それでいて信頼されたい一杯。どこどこまでも図々しい。

ノーベル文学賞に輝いたB・ラッセルが数学を教えていたとき、

後にハイデガーと並んで二十世紀最大の哲学者とよばれる、

ウィトゲンシュタインが受講をはじめた。

それからわずか一、二年のうちにラッセルは、彼から鋭い批判を浴びせられるようになった。

教え子からの屈辱は、よほど耐えがたかったのだろう。

ラッセルはそれから、ウィトゲンシュタインを口汚くののしり、著作の一部から彼の名前を削除したと言われる。

ライバルは、自己をみがいてくれる恩人なのに、憎んで傷つけ、引きずりおろそうとするのも、名誉欲の仕業だろう。




Last updated 2010.06.18 20:32:13
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仏教と名利の大山

「邪魔者は消せ」心底にうごめく“名利の冷血獣”

若さの美貌に命をかける、美容整形に大金を投じる女性は、
無人島にいたら、どんなに気楽なことだろうに

悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して(『教行信証』)

「愛欲の広海」につづき、「名利の大山」に迷うとは、どんなことであろうか。

「名」とは名誉欲のこと。よく思われたい、有能だ、カッコいい、かわいい、綺麗な人だとほめられたい。嫌われたくない、悪口言われるとおもしろくない心だ。

「利」は利益欲で、一円でもたくさんお金や物が欲しい心である。


「大きな山ほどの名利の欲望に、朝から晩までふりまわれて、感謝もなければ懺悔もない。なんと情けない親鸞だなぁ」

まことに悲痛な懺悔である。

人間を根本的に動かしているのは、

「優越を求める心」だとアドラー(個人心理学の祖)は言う。

生まれつき、優った人間になりたいと思っている。

周囲も、他人に勝つとほめるが、負けると見くだす。

生存競争の激しい今日は、学歴競争、出世競争はエスカレートするばかり。

「お受験」ブームで、勝ち負けの世界は幼稚園にまで入り込むようになった。

なんとか上に立って威張りたい、見おろされたくないと汲々とする。

財力を誇り、知力、腕力を見せつける。自分に優れたものがなければ、

お国自慢や子供自慢まで始める。前科の回数ですら刑務所内では優越意識の材料になるという。

いかに名誉欲に迷惑しているか。少し古いがテレビが普及し始めたころ。

ある団地で、アンテナが立っていたので、集金に行ってみるとテレビがない。

事情を聞くと、“隣近所はみな持っているが、家では買えない。

偽装せずにおれなかった”と打ちあけたという。見下げられたくない苦労である。

女性は、若さと美貌に命をかける。綺麗になるためになら、危険を冒し、苦痛にも耐える。

美容整形に大金を投じても、少しも惜しくはないようだ。無人島にいたらどんなに気楽なことだろうに。


仏教には人間の本性が映し出されている


Last updated 2010.08.20 16:09:17
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仏教と刀葉林地獄その3

「昨晩、神サマが私の床に入ってこられたので、
思わず頭をなぐったが、罰が当たったらどうしよう」


本居宣長は晩年、生き神サマと尊敬されたそうだが、
使われていた女性が書生に、「家の先生は、本当に神サマですか」と
真剣な面持ちでたずねるので、「みんなが言っているのだから、間違いないよ」と
答えると、とたんに泣きだした。

驚いて理由をたずねると、「昨晩、神サマが私の床に入ってこられたので、
思わず頭をなぐったが、罰が当たったらどうしよう」と言ったという話を読んで、
身の縮まる思いがした。

「理性」と聞けば、近代哲学の父・デカルトが思い浮かぶが、
彼もお手伝いの女性に子供を産ませ、未婚の母にしている。

泳ぎ切れない愛欲の広海に溺れているのは、私たちの実相ではなかろうか。

仏教の真髄を明らかにされた親鸞聖人はおっしゃる


無明煩悩しげくして
塵数のごとく遍満す
愛憎違順することは
高峯岳山にことならず(『正像末和讃』)

(ここで「無明」といわれているのは、阿弥陀仏の救いに遇ったときに、なくなる無明の

闇ではなく、欲や怒りの煩悩のことである)


「体一杯、欲や怒りの毒炎を吹いている親鸞。自分にしたがう者は愛して近づけるが、
反する者は憎んで遠ざける。そんな心は高く大きく、高峯岳山と変わらない」

煩悩の強さ、罪障の重さを見きわめられた深刻な自覚であり、懺悔である。愛欲の広海に沈没しているのは、聖人だけではなかろう。



Last updated 2010.08.20 16:05:05
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仏教と刀葉林地獄その2

あらゆる人は、つねに淫猥なことばかり考え、婦人の姿ばかりに眼を輝かせ、
卑猥な行為を思いのままにしている。

我が妻を厭い憎んで、他の女をひそかにうかがって煩悶の絶えたことなく、
愛欲の波は高く寄せかけ、寄せかけ、起つも坐るも、安らかでない

地獄は 死んだら の話ではない

仏教に説かれている刀葉林地獄といわれるものは、
人間のこの愛欲の広海を描かれたものであろう。

この地獄へ堕ちた男がふと見ると、天を摩すような大樹がある。
葉は刃のごとく鋭く、焔を吹いている。

樹上には好みの女が、満面媚を浮かべて、自分を招いているではないか。

罪人のかつての恋人である。男は恋しさのあまり、居ても立ってもおれず、
前後を忘れて木に登ってゆく。

すると刀葉が降ってきて、男の肉を割き、骨を刺し、全身血だるまになるが、
愛欲はいっそう激しさを増す。

ヤットの思いで近づいて、満身の力で抱こうとすると、女は忽然と消えうせて、
今度は樹の下から声がする。

「あなたを慕うてここまできたわ。なぜ早く来て抱いてくださらないの」

とやさしく誘う。

たかが一人の女のために、火を吐く思いで登ってきた純情さが、いじらしく泣けてくるが、愛恋の情はますます燃えさかり、機を下りようとすると、地上に落下した刀葉が、今度は逆に、上に向かって焔を吐き、寸々分々に肉を徹し、骨を削る。言語に絶する苦痛である。
ようやく地上に下りると、恋人の姿はそこにはなく、

樹上からまた身悶えしながら彼をよぶ。愛欲の広海は果てしなく、限りなく登り下りをくり返し、苦しみつづける地獄であると説かれている。

別れては恋しく、会えば敵同士となって傷つけあう。満たされなければ渇き、
満たせば二倍の度を増して渇く。愛欲の実態をあらわして余すところがない。




Last updated 2010.08.20 16:08:11
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