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カテゴリ:外国映画(その他)
ブラジル音楽界の国民的スーパースター(って私は知らなかったが)、ゼゼ・ジ・カマルゴ&ルシアーノの、ひどく貧しい時代から成功するまでを描いたもので、本国ブラジルでは『セントラル・ステーション』や『シティ・オブ・ゴッド』を抜いて、国内の歴代興行収入の一位になったそうだ。
シャンテ・シネにて鑑賞。 『フランシスコの2人の息子』 評価:☆☆☆ 【あらすじ】 義理の父から借りた土地で作物を育てている小作農のフランシスコ(アンジェロ・アントニオ)は、妻のエレーナ(ジラ・パエス)と7人の子どもたちとの貧乏暮らし。ラジオで音楽を聴くのが非常に愉しみな彼は、音楽こそが自分たちの窮状を救ってくれると信じていた。 音痴と思っていた長男ミロズマル(ダブリオ・モレイラ)は、たまたま買い与えたハーモニカをでたらめに吹き続けるうちに、才能を目覚めさせる。そのことに気づいたフランシスコは、収穫物や父親の形見の拳銃など全てを売り払ったお金で、ミロズマルにアコーディオンを、次男エミヴァル(マルコス・エンヒケ)にギターを買い与え、なけなしの卵を食べさせて二人に歌の訓練を(全くの我流で)させるが、地代が払えなくなり土地を追い出されてしまう。 州都ゴイアスの、雨漏りのするあばら屋で新たなスタートを切るフランシスコだったが、子どもに食べさせる食事にも事欠く始末。そのことに涙する母親を見かねたミロズマルは、エミヴァルを連れ出して、バスターミナルで歌い出し、初めてのお金を手にする。そして、その路上ライブを続けることで家計を助けるようになる。 その二人の才能に目を付けたエージェントのミランダ(ジョゼー・ドゥモン)は、フランシスコに「二人を連れて国中を回りたい」とオファー、フランシスコは喜ぶが、エレーナは子どもと離れることを心配する。ミランダは1週間で戻ると連れて、“ツアー”に旅立つ。 ミランダの商才は確かで、ミロズマルとエミヴァルの歌は各地で評判を取り、かなりのお金を稼いでいくが、二人が両親の元に戻ったのは何と4か月後。途中、一切の連絡を寄越さなかったミランダに起こったフランシスコは、以来、自分で二人のエージェントを務めようとするが、何のコネもない彼には、息子たちをのど自慢コンテストに出演させることも適わなかった。 しばらくして、偶然に再会したミランダから、彼ら以上の才能には出会わなかった、もう一度チャンスが欲しいと説得されるフランシスコ。以前とは打って変わって真摯な様子に、再び二人の息子をツアーに送り出す。 歌を唱うことが楽しく、音楽が人を喜ばせることに自らも歓びを感じるようになっていくミロズマルとエミヴァル。最初のツアーではホームシックになったエミヴァルも、今回は屈託のない笑顔を見せる。 しかし、突然の悲劇が二人を襲い、ミロズマルはあれだけ好きだった歌うことを止めてしまう。 そして十数年後、大人になったミロズマルは、再び歌い始めるが……。 いかにも“ラテン”な作品だと思う。 父親は、自分の無謀とも思える夢が家族を困窮させている一因なのに、ひたすら根拠ない?自信をもって行動するあたりが、いかにもラテン的な気質だと思うし、最初にミランダに二人の息子を委ねる場面、見ず知らずのいかにも怪しげな男に任せてしまう楽天的な性格もラテン的だ(少なくとも、音楽的なつながりで縁のあった、ボリビアやペルー、メヒコ、チリといった私の知人に共通したものを感じるし、学生時代に出入りしていた研究室にいたブラジル人留学生にも同じような気質を感じる)。 そして、その父親に対して、多少の文句はありながらも従ってしまう家族、責任能力のない親父を非難するのではなく、助けようとする息子たちの姿も、いかにもラテン的と言えようか。 このあたりが、父子を描かせても、アメリカ映画とは違うところではないかと思う。アメリカ映画だと、その多くは父親は息子が乗り越えるべき存在であって(そう言えば『スター・ウォーズ』シリーズも父・息子映画になってしまったが、そこでも父は乗り越えるべき存在として描かれていた)、“ダメ”親父は批判の対象でしかないだろう。 とはいえ、中心となる音楽がちょっとラテン的ではない感じがしてしまうかな。 ブラジル音楽というと直ぐに思い浮かべるボサノバやサンバの曲ではなく、二人が歌っているのはいわゆるカントリーソングのセルタジョーネ、らしい(この用語も映画のパンフで初めて知った)。アメリカの4拍子のカントリーミュージックをそのままポルトガル語にしたもの、という感じか。 映画の中で歌われている曲は私的には大変に良くて、サントラ盤を購入しようかどうか迷ったりしているが、音楽のノリとしては、ブラジル特有のリズムを活かした曲が聞きたかったとは思う。まぁ、それだけブラジル音楽が広くて豊かである、とも言えるのだが。 映画のタイトルは普通には何気なく見過ごすようなものだが、タイトルが示す“二人の息子”は、じつは前半と後半で違っている。 前半はあらすじにも書いたようにミロズマルとエミヴァルだが、あらすじを省略した後半では、ミロズマル(芸名ゼゼ・ジ・カマルゴ)と11歳違いのもう一人の弟ウェルソン(芸名ルシアーノ)、つまりスーパースターのゼゼ・ジ・カマルゴ&ルシアーノの二人である。 この前半と後半の切り替えがうまくいっていないのが、この映画の大きな欠点かな。 とくに肝心要と思われる、歌うことを止めてしまったミロズマルが再び歌い始めるところが、単に時間の経過で済ませてしまっているのは、それまで割と丁寧に演出してきていただけに非常にもったいない(実際にそうだったのかも知れないが)。 そして、後半の大人になってからの話の展開が、出来の悪いドキュメンタリーのダイジェスト版のような感じでちょっとダメ。 まぁ元々企画の出発点がゼゼ・ジ・カマルゴ&ルシアーノのプロモーション映画だし、描くべき要素が多すぎることも一因とも思うが、とくに前半、二人の子どもの見事な演技と演出を観た後では、バタバタと駆け足で走り抜けてしまった感は否めない。 前半では、例えばフランシスコがお昼を持ってきたミロズマルが吹くハーモニカに初めて才能を感じたシーンは非常に印象的だし、二人(ミロズマルとエミヴァル)が初めてお金をもらったときの何とも言えないはにかんだような表情が素晴らしく、また最初のどさ回りに連れ出されたの、おどおどしていたのが段々と自信を付けていく様子(とくにその目つきの変化)や、2回目のツアーで遊園地でミランダと三人遊ぶシーンなどは、(その後の展開もあってか)非常に感動的だった。 そういう、ポイントになるような部分が後半には(少)ない。 たとえば後半の主人公をウェルソンに絞り込んで、彼の成長物語的にした方が良かったのではないか。靴磨きのシーンは一つのポイントではあったと思うが、それだけではちょっと弱い。なけなしの給料を全部、電話リクエスト用の小銭に換えて、息子のリクエストの電話をかけて頼みまくるフランシスコの姿には、ちょっとうるうるしてしまったけど。 前半では、アコーディオンを習うシーンはあるが、歌がなぜ上手くなったのかエクスキューズがないあたりもマイナスかな。いや、これも事実は自然に上手くなった、と言うことなのかも知れないが。 あと映画そのものではないが、公式サイトを見ても、ポルトガル語の原題が分からなかったり(英語表記のみ)、スタッフ紹介は監督のみ、キャスト紹介も父母のみしかないというのは、ちょっとお粗末ではなかろうか。 ということで、前半だけならば星4つでも良かったのだが、後半が今ひとつなので、全体の評価は光三つにしたが、観て損はない映画、というか少なくとも前半は、父子の感動的な物語として多くの人に是非とも観て欲しいと思う。 『フランシスコの2人の息子』 2 FILHOS DE FRANCISCO(英題 TWO SONS OF FRANCISCO) 【製作年】2005年、ブラジル 【配給】ギャガ・コミュニケーションズ 【監督】ブレノ・シウヴェイラ 【脚本】パトリシア・アンドラデ、カロリナ・コチョ 【脚本協力】ルシアーノ・カマルゴ、ドミンゴス・ジ・オリヴェイラ 【撮影】アンドレー・オルタ、パウロ・ソウザ 【音楽】ベルナ・セバス、セザール・アウグスト、モレノ・ヴェロゾ 【出演】アンジェロ・アントニオ、ジラ・パエス、ダブリオ・モレイラ、マルコス・エンヒケ、ジョゼー・ドゥモン、マルシオ・キエリンギ(青年時代のミロズマル)、チアゴ・メンドウサ(ルシアーノ) ほか 公式サイト http://2sons.gyao.jp/ 公式ブログ http://blog.livedoor.jp/twosons_blog/ 『フランシスコの2人の息子』 CD オリジナル・サウンドトラック お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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