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カテゴリ:和書
漠然と『森のバロック』を読んでいたら、
ちょっとスルーできない一節があったので、 ちょっとメモ。 『森のバロック』の第五章「粘菌とオートポイエーシス」の一節。 「バイオロジー」は西欧の伝統である主体の概念に強く縛られた、思考の道を突き進んだ。そこからは、必然的にシステムの考え方がでてきた。まわりの環境から自律した主体が、外部とのダイナミックな関係を生きる、という主体中心の考え方からは、生命が自分の内部では動的な平衡システムをつくりあげ、外の環境との間でインプットやアウトプットをおこなっているという、システム論的な生命観が生まれてくるのは、当然のことなのだ。 (中沢新一『森のバロック』 せりか書房p.270 講談社学術文庫pp.296-297) A いろいろと引っかかるのだが、真っ先に以下の二つの疑問が浮かぶ。 1 19世紀に「博物学」(natural history)から発展した生物学は本当に「主体の概念に強く縛られ」ているのだろうか? 2 「主体中心の考え方」から「システム論的な生命観が生まれてくる」のは「当然」なのか? B 19世紀に問題とされていた以下の観点がここでは問題とされていないのではないか? 1 個体と種の関係 自然史が対象にしてきたのは基本的に個体ではなく種であって、19世紀の〈生物学〉でも少なくとも個体の観点と種の観点の両方が問題にされていたのではないか。 そして、個体と種との関係が問題にされていたのではないか。 環境との相互作用も個体だけではなく種の観点からも考えられていたのではないか。 2 種と種の間の関係(種を単位とした全体性) 19世紀の〈生物学〉で問題とされたのは、個体/環境→システム論ではなく、種と種との関係、自然秩序の中に生物種がどのように位置づけられるのか、という問題ではなかったか。 a 自然の秩序における種の位置づけ 種の類縁関係をどう位置づけるか? 分類学・解剖学→進化史の再構成 存在の連鎖→系統樹(Great Tree of Life) b 自然環境を構成する様々な種の間の関係 エコロジー(生態系=エコシステム) ←ダーウィンが『種の起源』で「the economy of nature」や「the polity of nature」と呼んだもの C ダーウィンが19世紀の生物学をどのように変えたのか? 1 種概念の見直し 種が個体を決定(=種は不変) → 個体の集合が種(個体の変化を通じた種の進化) 2 共通起源説(枝分かれ進化モデル) 神が創り出したと考えられていた自然の秩序を、 共通の祖先から進化したことによる類縁関係で説明。 ←枝分かれ進化モデル 3 分岐の原理 環境への適応による進化のメカニズムにおいて、 生態学的地位に応じて種が分岐。 分岐の原理=進化のメカニズムにおける生態系(エコシステム)の重要性 4 個体の成長と種の進化の切断 個体が成長するプロセスと種が進化するプロセスは直接的には連関していない。 →進化は個体の成長に新たな段階が付け加わることではない。 僕は生物学史の専門家ではないけど、19世紀に成立したとされる〈生物学〉を考えるならこのような観点から考えるべきでは?と思ったり・・むしろスペンサーの『生物学原理』とつながりそうだから読まなきゃと思ったり・・ということを考える機会を得られたので『森のバロック』を読む意義はあったわけだが。 追記 『森のバロック』では主体性と結びつけて〈生命の意志〉というものが重視されているように見受けられるが、これこそ超自然的な要素としてダーウィン以降の生物学が排除しようとしたものではないか。一方で、そのような要素をもつラマルク進化論を取り入れたスペンサーの進化理論においても個体の意志・主体性という要素はシステムに対して重視されていないというか、基本的に無力なものと位置づけられている気がする。『生物学原理』でなされている生命システムの議論と結びつけて確認する必要がありそう・・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.09.23 03:28:57
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