2647316 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

柳居子徒然

柳居子徒然

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

柳居子

柳居子

Calendar

Favorite Blog

「白衣」その3 New! しぐれ茶屋おりくさん

Comments

柳居子@ Re:経験と初体験(01/25) 一夏の経験 https://www.bing.com/videos…
柳英治@ Re:風雪ながれ旅 解題(04/28) 「とおる」は、「徹」では?
もも2535@ Re:一年一度の 贅沢朝食(08/20) 素敵な会合ですね。私も錦市場の「のと与…
柳居子@ Re:祖霊の送り火(08/19) 大勢の人が 使うようになると 本来の意…
もも2535@ Re:祖霊の送り火(08/19) 私も結婚して京都に来るまでは関東の人間…

Freepage List

Headline News

2007.04.30
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
   父 柳居は、砲兵 野砲三番砲手 日中戦争 支那事変で、どの様な武勲を立てたのか正確には知らないが功七級金鵄勲章を叙勲されている。兵・下士官で生存者叙勲は、数が少ないと自慢だった。

  酔うほどに 戦中兵役にあった時代に唄った歌をよく聞かされた。今思い出すと 勇ましく戦意高揚を図る俗に言う軍歌は聴いた覚えが無い。

  「護るも攻めるも鉄(くろがね)の...」  「勝ってくるぞと勇ましく・・・・・手柄立てずに帰らりょか」  「朝だ 夜明けだ・・・・・月月火水木金金」」  「わが大君に召されたる命栄えある・・・・」 後の世代我々も良く知っている軍歌は、実際には歌われていなかったのではなかろうか   父 柳居は、  「軍隊生活知らないか 知らなきゃ私が伝授?する・・」  「厭じゃありませんか 軍隊は 金の茶碗に金の箸 仏様でも有るまいし・・・」 こう言う歌詞が延々と続く歌をよく唄っていた。 聞かされる歌と 唄う歌 この辺の事情をもう少し詳しく聞いて置くのだったと残念に思う。

唱歌 我は海の子 白波の・・・歌詞七番

「いで大船を乗り出して、我は拾わん海の富 いで軍艦に乗り組みて  我は護らん海の国」   と軍国主義的内容を含む。

明治14年小学唱歌集 蛍の光 歌詞三番・四番

  「つくしのきわみ みちのおく うみやま とおくへだつとも そのまごごろは へだてなく ひとつにつくせや くにのため」     「ちしまのおくも おきなわも やしまのうちの まもりなり いたらんくにに いさお しく つとめよ わがせ つつがなく」 より直截 千島や沖縄が出てくる。

 戦中の辛さは、前線も内地も敵も味方も其の辛さや遣りきれなさを歌うことで癒されると 作家五木寛之氏は、ラジオ特集 わが人生の歌語り のなかで言う。  癒しとか癒されるという事が、前向きとか明るさというキーワードで事が足るものでは無い。共に泣き 同じ境遇の人を見て 歳月をかけて癒される事もある。 癒し癒されるというのは人間だけが持つと思われる複雑な心象世界だと柳居子思う。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.04.30 06:36:03
コメント(1) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
別の画像を表示
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、こちらをご確認ください。


Re:軍歌 戦時歌謡 唱歌(04/30)   ムーミン6160 さん
軍歌には、いわゆる「母もの」と呼ばれる分野があるそうですが、手塩にかけて育てた息子を「お国のために死んできなさい」と送り出すとは、現代のわたしたちからしたら、とても理解できないように思われます。おそらくはどうすることもできない状況のなかで、せめて明るく温かく送り出してやろうという気持ちで歌われたものと思いますが・・・。

そんななか、心に響くのは、日露戦争に行く弟を想って詠われた、与謝野晶子のあの歌です。晶子を国賊と非難した大町桂月でしたか、彼に対しても、「わたしは歌詠みです。まことのこころをまことの言葉でうたう以外に、うたの詠み方を知りません」と堂々と反論しました。晶子の歌は、現代のわたしの胸にも響く歌です。 (2007.09.30 20:48:58)


© Rakuten Group, Inc.