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柳居子徒然

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2009.01.28
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カテゴリ:カテゴリ未分類

 

 梶井基次郎の小説『檸檬』で有名な寺町二条の果物屋『八百卯』の店じまいを新聞が報じていた。 親父は柳居子の小・中学校の下級生 礼儀正しく町で出会うと必ず単車・自転車の時は降りての挨拶を受けた。年に一度だけ世話になった人への届け物を託す客ではあるが腰の低い商売人だったが昨年十月先に逝った。自分より年下の訃報は辛いものだ。 後を執って店を束ねる人が故人の父の妹 八十何歳かの叔母では致し方無い 百三十年四代続いた店の終焉である。

 梶井氏が小説  檸檬を世に問うたのは大正14年(1925)八百卯の横二条通りには、東に向かって蹴上インクライン前 北に向かって出町や府庁前を堀川北野へ狭軌の市電が通っていた。小説は市電の行き交う時代に書かれた物 翌十五年7月14日に廃線になっている。もう一つの舞台 丸善京都支店は三条富小路東入る仲ノ町 柳居子母の実家の町内 旧家邊徳時計店斜め向かい北側にあった。友人で書籍部長をしていたK氏は、この三条店入社入社当時の店の話を聞いた事がある。丸善は戦後河原町へ移転その店も先年閉じて今はカラオケの店になっている。

http://plaza.rakuten.co.jp/camphorac/diary/200610310000/

http://plaza.rakuten.co.jp/camphorac/diary/200702170000/

 

八百卯の北 寺町通りに面した蕎麦屋の酒井亭の親父とも親交が有った 創業百年を越えたと言っていたが今は無い 一人娘は医者に嫁ぎ下御霊神社近くで開業している。酒井亭の向い通りの西側 宍戸恭一氏の三月書房は、昭和25年開店だから創業60年に少し足らぬ 京都で老舗と言われるには、後50年か100年の業歴が要る。

果物屋で忘れてならないのが 丸太町烏丸東に八百林がある。店を閉じた八百卯の業歴の約 倍の240年 明和6年(1769)創業 初代 林右衛門の名から『八百林』の名が付いた。公卿屋敷へ出入りの青果物全般を扱う商(あきない)だったが、明治5年頃から果物専門の店になつた様だ。 専用の果樹園を持っていると亡くなった先代に聞いた事がある。

 

万物流転 人の営みに永久(とわ)に続く事があろう筈が無い。 人の心に生き続けるとか些かの慰めも 其の人々が消えたら一切が無に帰す。友の冥福を祈り店の思い出を暫し留めるのみ。

 

 

 

 

 

柳居子花徒然

アリアムスネークボール

 

 






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Last updated  2009.01.28 09:51:47
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