祇園町の親戚のお茶屋へ 託された届け物を済ませた帰路 縄手通り 中学校の同級生の店の前を通り掛かった。 お互いの結婚式に参列するほど親しかったのだが、ここ数年疎遠になっていた。ふと店舗横のガレージに彼の愛車ベンツが停まっている。意を決して店の扉を開いた。若い女店員が対応する 『〇〇さん、お居でですかいな ? 』『どちら様でございますか ? 』 彼を訪ねるのに名乗りをしたことが無かったので詰まってしまった。いつも『居るかー』とその店を訪ねていたから。
何となく店頭の気配を察した相手が、奥から顔を出した。『生きてたんやなぁ、良かった。』 もう5年近く前 彼が入院したという話を聞いた。癌 咽頭か喉頭に出来た重篤な状態 手術出来るか出来ないかと云う様な話だった。友達甲斐が有るか 無いか、死ぬか生き残れるかの瀬戸際の相手に、元気な自分を見せる事が柳居子は、出来なかった。 彼は開口一番『昼飯済ましたかー、何処か行こかー』と昔と全く同じ対応 丁度正午を刻んでいた 数年間のギャップは何もない。
闘病生活の一部始終を聞いた、声を失うか 死ぬか 生き残りの可能性の厳しい手術を受け、癌と抗がん剤とのすさまじい体内での格闘劇、この痛みや苦しみからの逃れられるのならと云う話は、健康な彼を知っているからリアルな説得力が有る。『告知されてから病に対する姿勢を医者が褒めてくれたよ』と云う彼に『自分の仕事は自分が全責任を持たなあかん 何時まで生きられるか その間しなければならない後始末に頭のチャンネルが切り替わるのや』『見た事の様に言うなぁ』柳居子も2年前 肺癌を疑われた時の話を披露 『我々の年代以降 何が起こっても不思議はない お互い死ぬまで生きようや』と言って辞した。
病み伏す友、病が重いほど 遠くから見守るのが良いというものの、かくも長き不在 没交渉は気が引けたが、逢って話せば直ぐ旧に復したのは、結構な事だった。