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臨床でキャリアを積まれた医師の余命日数の診たてと云うのは、そう大きくは外れない。今日・今、死んでも不思議の無い患者でも意識がしっかりしていれば、今日明日とは言わないだろう、余命と云うのは最大限可能数値 目安と考えたら良いのだろう。 義弟が五十歳代最後の年、正月明け、多発性骨髄腫の診断が下りどの位持つかと尋ねた時、化学療法で一時は本当に病気なのか?と思うほど元気になられるが、夏を越し 秋風が吹き始めて体調不良を訴えられたら覚悟をと言われ 11月始めに医師の診たて通り死んだ。
昨年秋 今年の年末を越す事 お正月を迎える事は難しいと細君から聞いていた幼馴染の友も義弟と同じ病で、五の日に亡くなった。年末に賀状を送るか如何か迷って訪ねて小一時間話し込んだのが今生の別れだった。本サイトにもいつ死んでも不思議理無い人は生き仏の如しと書いた。医者の診たての最大限年末に加えて五日間の余分 余禄が有った。八年間に渡る病魔との闘いだったが、我々の見た目常と変らぬ泰泰然自若の風が見えた。細君の喪失感も大きい事だろう。 親しく話を交わしたが気分を悪くするような事は、一切言わなかったし そもそも必要以外の事は口を開かない主義かと思うほど寡黙の人だった 永い付き合いだったにも関わらず 彼の事は判らない部分も結構大きい人だった。
一体何を楽しみに生きているのか という基本的な事が判然とせぬ 着るモノは古書店の事 仕立て下ろしの背広・スーツが必要な仕事では無い。彼がネクタイを締めているのを見た事が無い、ネクタイそのものを持っているという雰囲気がまるでないのだ、自分のスタイル。自分の価値観 好きか嫌いかの判断を自分で下し 一旦決めた事は、誰に何を言われようと変えないという頑固の質も有った。 常に覚めていて親二人の面倒も良くみた。 決して影の薄い人では無かったが、仲間と群れる事無く その性質は生涯変わることは無かった様だ。見守られて眠るように旅立ったと聞いた。
これからは 年ごと 友を送ることが増えてくる事だろう。惜しまれて逝くのが華とも言える。 彼が亡くなる半年ほど前に尋ねた時『柳居子君 私はもうじき 死ぬよ』と言われた時 余命を知らされたのだと思ったので、下らない慰めの言葉を引っ込めて『先に行くかー 私も直ぐに追いかける』と言っておいた。 柳居子の余命は如何程か 秀雄君変らぬ長かった交誼有難う。 合掌
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Last updated
2016.01.12 07:08:55
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