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柳居子徒然

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2016.12.26
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カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日 所用が有って高島屋百貨店へ出掛けての帰路 足の向く侭 花遊小路・新京極の四条・三条間を久し振りに時間気にせずゆっくりと歩いて、余りの変り様に、自分自身の記憶に未だ留まっている事を書き残す事、全く無意味な事で無いと思い、店の変遷 人々の思い出などを記してみる。

建物・館が変らないと その場所の旧を想いだす手だてが有るのだが、新京極の商店街に限っては、個性的な店構えの店舗が数少なくなり 殆どが同じ店構えシャッターを開けたら商品が山の様に積まれて吊るされてという感じの店が多く ましてや 今の商いの前は何が並んでいたか ある意味変化しているのだが新味を感じる店が少ない、

テナント募集の張り紙のしてあるシャッターが、昔の新京極を知る者には考えられない程多い、商店街共通で作られたと思うアーケード下の店舗サイン灯で辛うじて前にどの様な店が有ったのかを知る事も出来るが。其の店其の物が思いだせないケースも幾つか有った。

営みが営々と続けられている事は、間違いないにしろ その主役が刻々変わる事は只々時の流れでは有るが、些かでもその場所 その時 こんな店をこんな人が頑張っていたという思い出話を書く事は 一種の存在証明を書く事だと思う。

新京極草莽の頃の話は、以前本サイトに書いているが 一部分再録してその続篇という事にする。

≪≪・・・・ 明治五年頃(正確に実証する資料を欠く) 祇園町上知に続いて槇村正直知事は、寺町三条東南の大寺誓願寺と四条上がるの時宗金蓮寺の寺領 寺町側の塀の内側を没収してその間の浄土宗系の小寺も右に倣えとなだめ脅して、三条四条間五五〇mの道路を作った。寺町通りの古名とされている東京極通りの一筋東 新京極通りと名付けられた。寺町通りを東京極大路と呼ぶのは異説が有って、寺町は秀吉が都市計画で洛中の諸寺を寺町に移した時に作った道路で、一筋西 御幸町通りが東京極大路説もある 柳居子は御幸町説をとる 御幸町の蛸薬師・錦間に厨司道の様な細道が有る事と。昔は多分通路だったと思われる細長い敷地の家の有るのを根拠としている。
 さて 槇村に依って開かれた新路も当初寺領墓地のせいも有って、商いや住み着く人が無く人気が無く 整地して坪五〇銭で売り出したが買い手が付かぬ。槇村は、当時この界隈の芸人や香具師(やし)を束ね取り仕切っていた坂東文次郎 と云う人に託して 芸人やその筋の業者を集めさせ街並みを整える事が出来たという。新京極の古を知る最初の記録は三条下がるにすんでいた原田与三松という人の書き残した記録が有る。揚弓場・室内射撃・鰻屋・ぜんざい屋・うどん屋などの飲食 身振狂言『夷座』写真師角倉玄建と云うのもあり、一覧を見ていて今に残るのは『大藤漬物店』当時の記載は食料品店になっている一軒のみ 大藤創始の藤三郎は千枚漬け発案者 先斗町歌舞練場も当時は四条道場 金蓮寺内に在った。・・・・≫≫


花遊小路 四条通りから通り抜けの両側にワシントン靴店が細路の両側に店を張ったので、一軒の店舗の体裁になり 店縦断しての四条から人の流れが途絶えたと問題になった事昔話 入って直ぐ 喫煙具だけを扱う軒店 新京極六角下がる 西田喫煙具店の番頭さん 確かウエマツとか言う店だった。可也の期間パイプ煙草を愛用していた柳居子 同じくパイプ愛用だつた三月書房宍戸恭一氏と三人で 狭い店舗の中でパイプ談義をしたのはもう三十年近く前の昔話 刃物や菊一はそのまま 鰻の江戸川 昔は毎週一度のように出掛けたが 店舗を新しくしてからはご無沙汰の店 花遊小路南側東端 よーじやの店は今は事務所使い 北側 昔ハモニカ長屋の飲食店街の有った入口のスペースで盛業中と見た、星野レコード店番頭さんの山上忠夫さんと親しくよくレコードを買いに行ったが 今浸け麺屋になっている 記念写真のワンダス館も時勢に合わぬと消えた 向かい側 貴金属を扱う店も舞い 穴沢楽器店は未だ店を張っている。店売りだけでは無理と思われる商い 何所か顧客を確保しているのだろう 楽器屋の横露地奥に中華料理屋が有ったと記憶するが定かでない.花輪丸三の屋号の化粧品屋も 和菓子の仙太郎も岩本呉服店も跡形すら無い。其々の店の後は 何屋さんに替わったと説明では無い若者向きの店 それで良いのだと思いつつ 流行りが廃ると直ぐ退いて 他の店が出来る。年寄が花遊と浮かれる町では完全に無くなった。

新京極に出て四条通り上がる直ぐの 坂本漢方薬店 昔は ウインドウの中の大きなガラス瓶の中に 生きた毒蛇マムシを何匹か展示していた、強精剤 嘘偽りなき 原材料表示で有った、坂本漢方の隣りは此処もワシントン靴店だったが今は 呉服り古着の展示かリサイクル 一日レンタルの様な店になっている。一編上人開基の時宗の根本道場染殿院は変りなく存在 ロンドン焼き 乙羽寿司は健在盛業中だか 真向かい婦人服『リラ』黒川さんの御店はもうない
今工事中の元SY京映は、松竹発祥の地 古くから在った芝居小屋 坂井座の座主しなったのが松竹の始まりとされている。昭和九年当時 ここは歌舞伎座を名乗っていた。四条通り少し上がっただけで既に常の一日分以上の長文となった、明日に続くとして 今日はこれまで。





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Last updated  2016.12.26 17:18:02
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Re:新京極の事(12/26)   小鍛冶 さん
 星野レコード店、ワンダス館、酒場 仲見世食堂・・・無くなってますね。新京極の角、さかゑ食堂や宝久堂も無くなり、向かいのマルベルのブロマイド屋「成見屋」←(この店よくブロマイド買いに行きました)も無くなりましたね。寂しいかぎり・・・ (2016.12.27 10:29:08)


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