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貴方の仮面を身に着けて [全959件]
車は豪華なビルの地下へと滑り込んだ。明るいエントランスの前で停車した。金に縁取られた硝子のドアが開き、薄茶に太い臙脂の線の入った制服を着たボーイが出て来て、恭しく車のドアを開けた。三人が降りると、朱雀はボーイに笑いかけ、何かを言った。ボーイとは旧知の間柄である事が拓人にも感じられた。朱雀は素早くボーイに紙幣を握らせた。そして彼の開けてくれた硝子戸の奥へと進んでいった。柚木も拓人もそれに続いた。 フロアには暖色の光が溢れ、絨毯はふかふかで、何処もかしこも拓人の知らない贅沢さに満ちていた。淡い色の背広の朱雀はその場に似つかわしい存在だった。高価な服を着ているからではない、自然なのだ。たとえ密林を裸で歩いていたとしても、朱雀は何処までも朱雀で、その場に馴染んでしまうのでないかと、拓人は思った。柚木と拓人は学校の制服のままだった。柚木の方が少し背が高かった。拓人は柚木の柔らかく波打つ髪に羨望を感じた。拓人の髪は真っ黒で真っ直ぐで、襟足で切り詰められていた。七三に分けられた前髪はやや長く、頬のあたりまであった。 フロアの先にショッピングアーケードがあった。どれも大きな店構えではないが、厳選された品物を取り扱っている。朱雀は紳士服の店へ入っていった。ジレを着けた品の良い老人が朱雀をにこやかに迎えた。 「急ですまないが、この子達にスーツを見繕ってくれないかね?」 老人は二人を見て頷いた。 「よう御座います。丁度良い品が届いた所でして」 さっさと老人は二人の採寸を始め、奥にいた青年に何着かの見本を持って来させた。朱雀は店の隅の肘掛け椅子に寛ぎ、柚木と拓人を並べて立たせ、見本を当てさせたり、老人の説明を聞いたりしながら、楽しそうな顔をしていた。候補が決まると二人は試着室へ押し込まれた。拓人は背広など着た事はなかった。老人はシャツやネクタイも揃え、さりげなく拓人の着替えを手伝った。ネクタイも結んでくれた。やがて鏡の中には小粋な姿が映っていた。 (悪くないよな) 拓人は鏡を見ながら思った。 店内に戻ると、朱雀が笑顔で言った。 「いいね、二人とも一人前の若い紳士だ」 店を出て、エレベータで最上階へ上がった。廊下の突き当たりに厚いオーク材の扉があった。先頭の朱雀がたどり着く前に扉は開かれた。三人は奥へと進んだ。黒服の男が朱雀に当惑した顔を向けた。 「失礼ですが、ここは」 朱雀は軽く片目を瞑ってみせた。 「今日は社会見学だ。大目に見てくれないか」 「かしこまりました。どうぞこちらへ」 薄暗い室内は観葉植物や衝立でそれとなく仕切られ、その間に間にソファやカウンターや酒瓶の並んだ棚がちらりと見えたが、どういう構造になっているのか、拓人には良く解らなかった。拓人は小声で柚木に尋ねた。 「ここ、良く来るの?」 「僕も初めてだよ」 柚木も小声で答えた。 通されたのは個室だった。部屋の一面が床から天井まで窓になっていて、夕暮れの街が見渡せた。漆黒の楕円形の卓を囲んでソファや肘掛椅子が具合良く配置されていた。窓際に眼鏡をかけた男が立っていた。男は朱雀を見て頭を下げた。朱雀は男に尋ねた。 「和樹は?」 「少し遅れて見えるそうです」 「では、キミにこの子達の相手を頼む」 「承知致しました」 朱雀は二人の方へ向き直った。 「私は別室で用事がある。それを済ませたら戻って来る」 「はい、朱雀おじさん」 柚木が即座に答えた。朱雀は柚木に頷いてみせた。拓人は黙っていたが、朱雀は拓人にも同様に頷いてみせた。柚木と平等に扱われている事が拓人を満足させた。 男は赤荻(あかおぎ)と名乗った。朱雀の秘書だと言った。赤荻は二人を窓の景色が良く見えるソファへ案内し、自分も椅子のひとつに腰を下ろした。 「窓からの景色が綺麗だね」 グラスを手にしながら柚木が言った。虹色の輝きをみせるカットグラスは重みがあり、拓人の手に心地良く馴染んだ。中の琥珀色の液体はジンジャーエールではあったが、それも今まで飲んだどのジンジャーエールとも異なる、生姜の新鮮な香りと細かい泡の刺激が爽やかな飲み物であった。 「この店でも眺めが良い部屋のひとつです」 穏やかな口調で赤荻が言った。 (つづく)
黒塗りの乗用車の後部座席で、右側に朱雀、左側に柚木(ゆずき)の存在を感じながら、拓人は緊張しきっていた。父親に逢いたい一心で来た。その後の事は何も考えていなかった。隣に乗り込んで来た同年代の少年の事も、何処へ連れて行かれるのかも、思う余裕はなかった。 朱雀からは青く甘い香りがした。 (これが、父さんの匂い・・?) 朱雀は黙っていた。窓の外を見ながら物思う風であった。拓人は話かける事が出来なかった。柚木は拓人を気遣う様に話かけて来た。 「君は、僕よりひとつ年上なのだね」 柚木の顔を見て、拓人はどぎまぎした。 (こいつ、女みたいな顔してやがる。うちの高校の女子より綺麗だ) 柚木から目をそらすと、拓人はわざとぶっきら棒に言った。 「そうだよ」 「進路は決めないといけないし、大変だね」 (真面目な奴だな。頭が良さそうだし運動も出来そうだ。育ちも良さそうだし、モテるだろうな) 拓人は柚木に悪い印象を持つ事が出来なかった。何処か人を引き付ける所がある。朱雀と同じに。 「あの、柚木君」 柚木は微笑した。 「柚木でいいよ、僕も拓人と呼んでいいかな」 「いいよ」 「ありがとう」 柚木の笑顔があまりに綺麗で、拓人は恥ずかしさと居心地の悪さを感じた。 (世界が違いすぎる。俺だけが異質だ。でも俺は・・) 「さっき息子が三人いる、一人は前の妻の息子、一人は甥、そしてもう一人と聞いたけど、柚木はどれ?」 柚木は再び微笑した。その笑顔は朱雀に良く似ていた。 「僕は甥。僕の父親は朱雀おじさんの弟、僕の生まれる前に死んだ。だから僕は本当の父親の顔は知らないんだ」 (何の不幸もなそうな顔して、こいつも父親がいないのか) 拓人は柚木と少しまともに向き合う気持ちになった。 「だけど、息子って?」 「朱雀おじさんが僕を引き取ってくれたから」 「そうか」 「前の妻の息子というのは和樹さん。今、あの会社の専務だよ。僕の本当のお兄さんみたいな人。もう一人は紫苑(しおん)の事。朱雀おじさんと百合枝さんの子。百合枝さんはおじさんの奥さん。紫苑はまだ赤ん坊なんだ、可愛いよ。拓人は兄弟はいるの?」 「いない。母さんと俺とずっと二人だ」 拓人は柚木との会話に楽しさを感じていた。柚木が真っ直ぐに自分を見てくれるから。 ホステスの子供というだけで、学校では苛められた。 (俺の父親は立派な人間なんだ。お前等の父親なんかより) その思いが拓人を支えていた。勉強も運動も頑張った。いつか父親と顔を合わせる時が来たら胸を張って逢う為に。 今がその時のはずだった。拓人は隣にいる朱雀の反応が不安だった。自分を認めてくれているのかどうか。柚木と互いの学校の事など話しながら、拓人は絶えず朱雀の反応が気になっていた。朱雀は何も言わない。だが拓人を疎ましく思っているわけではなさそうだった。むしろ暖かい目で拓人と柚木の会話を見守っている、そんな気配がした。 (つづく)
学校から真っ直ぐにここへ来た。ガラス張りの美しいビル。外からホールを眺めると、洒落たスーツに身を包んだ人々が、忙しげに行き交っていた。拓人(たくと)の知らない世界がそこにあった。拓人はひるむ気持ちを奮い立たせ、ガラスの扉を押した。 受付嬢に行き先を尋ねられた。 「社長の息子です」と答えた。 受付嬢は頷き、受話器を取った。短い会話の後、拓人は受付嬢に奥まった隅にあるエレベータへ案内された。エレベータで最上階まで上がり、臙脂色の絨毯を敷き詰めた廊下の先に、その部屋はあった。重厚な木製の扉、金色のプレートには”社長室”と刻まれていた。 (絶対に、逢うんだ) 高校の制服に鞄を持った拓人は胸を張った。すんなりと通された事を奇異に思う余裕は、緊張しきった拓人にはなかった。 ノックもせず、拓人は中に入った。そうでもしなければ、扉の前で永久に立っていそうな気がした。柔らかな光に満ちた空間、奥には大きな机があり、一人の男がいた。只者ではない事が一目で解った。男は視線を落とし、机の上の書類らしきものを見ていた。拓人はつかつかと机の前へと歩いていった。男が顔を上げた。端正な顔立ち、赤味がかった豊かな髪が知性漂う額にたれる様子も美しい。上等なスーツの広い肩に、威厳と人を包み込む優しさと頼もしさが同居している。男は朱雀であった。朱雀は深く豊かな声で尋ねた。 「キミは誰だね?」 「俺は・・社長、貴方の息子だ」 朱雀は椅子に深くかけ直し、指を折って数えた。 「私には息子が三人いる。一人は前の妻の息子、一人は甥、そしてもう一人」 朱雀は目の前の少年に微笑みかけた。 「キミは、そのどれとも違うようだ」 一瞬、少年は怯んだ。だが朱雀を睨み返すと叫んだ。 「貴方は、俺と母さんを捨てたんだ」 朱雀は微笑を湛えたままだった。 「キミとキミの母親の名前を、教えてくれないかね?」 「俺は三島拓人、母さんは三島清美」 朱雀はじっと少年を見た。 少年の周囲を面白そうに歩き回る青い姿があった。干瀬である。この異界の住人の姿は少年には見えない。干瀬はぴょんと飛び上がり、朱雀の机に着地した。しゃがみこんだまま、干瀬はじろじろと少年を見た。 「こいつ、食べてもいいか?」 少年には干瀬の声も聴こえない。朱雀は首を左右に振った。 「もう少し、話を聞こうか」 干瀬への朱雀の言葉を、少年は自分への返事と受け取った。 「思い出したか?」 「キミの母親は、キミに私と何処で出会ったと言ったのかね?」 「母さんは高級クラブのホステスだ。社長が一杯来る」 「ふむ」 「貴方は客の一人だと言った」 「何故、私が父親だと?」 「母さんには解ったって、俺の父親は貴方だと」 干瀬は机の上で目をぐるぐると回転させた。 「”ほすてす”とは、何だ?」 朱雀は干瀬の質問を無視した。こういう扱いに干瀬は慣れていた。干瀬の事が見えない他人がいる時はいつもそうであったから。干瀬は気にする風もなく、再び少年の側に行き、顔を覗き込んだり、鼻をひくつかせたりし始めた。 朱雀は机上のコンソールに手を伸ばした。 「高橋君、車の手配を頼む。すぐに出かける」 女性の声が応じた。 「はい、直ちに手配致します」 少年は身構えた。 「逃げるのか?」 「いや、ゆっくり話せる場所へ行こう」 朱雀は干瀬に言った。 「留守番を頼む」 拓人はそれもコンソールへの言葉だと思った。 「承知」 朱雀は立ち上がった。 二人が出て行くと、干瀬はさっそく朱雀の広い机の上に伸び々々と寝そべった。 (続く) |一覧| |
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