カテゴリ:哲学
どうやら間に合いませんでしたね・・・ 23日はちょっと忙しくて更新できませんでしたが、まあとにかく書いていきたいと思います。 ここでは再三というかこれからも何度も触れることになるでしょうが今回も相対性の視点から考察したいと思います。 私は今まで完璧(究極)はこの世界にありえないと思っていました。しかし、ちょっと思い当たったことがあったのです。 もしかしたらありえないのは完璧(究極)ではなく完全なのではないか?と・・・ これを読まれて?と思われた方もいることでしょう(というか大半の方がそうだと思います。完璧(究極)と完全って同じものじゃないのか?と・・・ しかし、私はこの両者が違うものなんじゃないかと思いいたったんです。というのは言葉が違うなら概念も何かしら分けることが出来るのでは?と思ったのです。 ここでもう一つ完璧(究極)と類似(と思われる)概念を出しましょう。それは絶対です。 絶対とは相対の逆の意味と一般的には解釈されているのですが、私はもしかしたら違うのではないかと思ったんです。 相対とは、ある事象の相反する2つのものを同時にいう時に使える概念であって絶対というのは相対で言われる自称のどちらか一方しか表さない概念なのではないかと・・・ つまり、絶対というものを完全と一致させてしまったが故にそれがありえないという結論になっていたんだという考えになりました。 完璧(究極)=絶対 のであれば、完全とはなんでしょうか? 完全・・・私の解釈では、それはどの角度から見てもそうとしか見ることが出来ないもののことです。(ここでいう角度にはあらゆる科学的分野等も含まれます) このように考えるとやはり、完全はどうもありそうにありません。 では完璧(究極)はありえるのでしょうか?(上で述べた通りここでは絶対も同義語として話します) 温度という概念でそこには辿りつけないとは言われていますが絶対零度という概念があります。これは温度にすると-273℃科学的に到達できないとはいえ設定されてはいます。つまり概念としては存在できているのです。 では完全性を検証してみましょう。 例えば真空を例にしてみます。 完全な真空はありえるのでしょうか?ある宇宙論的な本にこう書いてありました。 「この宇宙空間には真空に限りなく近い場所はあるが、それでも完全な真空はありえない」 さて、それでもまだ納得が出来ない方もいらっしゃるでしょう。 だってそんなの一つの完全があり得ないと言われているものを例にとっただけかもしれませんからね・・・ ではここで相対的概念の出番です。 そうですね、ここでは善悪を例に取りましょう。 完全な善(悪)は存在するのでしょうか? 小学校の時に道徳の授業で習ったような人に親切にというような考え方や、環境を大切にという考え方を実行している人がいるとします。 おそらく、それは善という感覚に見られるのでしょう(一般的には) しかし、価値観の強制は出来ません。例えば根っからのヒール(悪者)がいたとします。その人の価値観からすれば人を蹴落としてなんぼ、環境を汚してなんぼという考えが成り立つ、だとすると、先ほど例に上げた人の行為はこちら側の人からすれば悪そのものです。 ・・・うん、やはりどの角度から見てもおなじに見える完全性は存在しなさそうです。 今回の記事はこんなところでしょうか、完全を目指す必要がないという言葉に安堵を覚える方もいらっしゃいます。 それは当たり前のことだったのです。何故なら概念的な意味でさえそれは存在しえそうにないからです。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014/10/24 12:57:32 AM
コメント(0) | コメントを書く |
|