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今月に入って、仙台の自宅のライフラインもすべて復活し ガソリンも普通に入れられるようになったということで ようやく旦那様もボランティア活動に参加してきました 私も調べてみて初めて知ったのですが 個人のボランティアを受け入れている市町村って けっこう少なかったり 女性はお断りされるケースもあるようです 私の友人は一人でボランティアセンターに登録に行ったら 治安の面で女性は危険なので・・・と断られたそうです また、仙台市泉区では登録者が多数いるにも関わらず 仙台市ではあまり人出が必要ではないようで 派遣先待ちをしている人がたくさんいて 友人は帰ってきてしまったそうです 少し調べて、石巻のボランティアセンターは 個人の受付をしているということだったので 旦那様は石巻に向かうことにしました 旦那様が最初に行った石巻では いくら来てもらっても人手が足りないという状況だったそうです また、車で来てもらえると移動なんかが楽になるから助かると言われたそうです 男性7~8人ひと組になって 1件のお宅に派遣されてお手伝いをするそうなのですが この日は、幸いにも津波の被害にからは免れたものの もう自宅には住めなくなったおばあちゃんのお宅の荷物を 運び出すという仕事だったそうです チームのメンバーは旦那様以外は県外から来た方で 外国人の方もいたそうです けっこう和気あいあいと作業を進めたようで 色々話なんかしながらだったみたいで そのなかの一人は、自分の車に寝泊まりして 1か月ボランティアをするという方もいらっしゃったそうです 本当にありがたい話です 翌日は実際に津波に襲われたお宅の 浸水した家財道具を運び出すという仕事でした こちらも男性10人での仕事だったそうですが 水につかった布団や家電 その他色々運び出すわけですが とにかく重いし、これが自分の家だったらやりきれないな…と思ったそうです 半日働いても、まだまだ片付くという状況ではなかったようで こういったお宅の作業がまだ100件残されていたら 男性10人×100件で1000人の力が必要なわけです 個人のボランティアの必要性を強く感じました 1人の力で出来ることはほんの小さなことだけど 1人1人が集まって大きな力になるんですよね! まだまだ各地でボランティアの力を必要としていると思います もし興味がある方がいらっしゃったら ぜひこちらに問い合わせてみてください 石巻ボランティアセンター 問い合わせ番号 0225-23-6011・6022 直接現地に行ってもいいみたいなのですが 一度連絡することをお勧めします ちなみに、GWも旦那様は石巻へ向かうそうです 頑張れ、旦那!
3日ぶりのお風呂 本当にありがたかった これくらいの我慢だけでお風呂に入れたキムコ☆はそうとう恵まれていると思います でも、顔も洗えていなかったキムコ☆のほっぺは 赤く湿疹が出てしまっていて 姪っ子に「どうしてキムコ☆ちゃんはほっぺ赤いの?」と突っ込まれました。。。 久しぶりの温かい部屋での温かいご飯 すごく美味しかった 兄弟の優しさに本当に感謝しました そして、初めてゆっくりとテレビを見て 想像以上の震災と被害の大きさに言葉を失いました そして、ただただ涙が出てきました 被災地の方がどういう状況なのか一番知りたいと思うのに 実際被災地ではテレビも見れないし 欲しい情報がなかなか得ることができないのです 津波被害にあった方は特にそうでしょう メディア、特にテレビの限界に虚しさを覚えました テレビ局の、特に報道部員の使命感はテレビ局で働いていたのでよくわかっているつもりです 昼夜休みなく現実を伝えるために身を粉にして頑張っているはずです でも、一番伝えたい人に伝えられない現実… どうしようもないのかもしれないけどすごく虚しくなってしまいました この日の夜、地震後ようやく眠ることが出来た気がします。。。 そして、自宅周辺ではまず電気が復旧したと友人がメールで教えてくれました 震災4日目から山形の避難生活が始まりました 山形は食べ物も無いものはないけど、ある程度何でも手に入りました でも、ガソリンだけは不足していました ガソリンを入れるための何百メートルもの車の列 兄はガソリンを入れるために朝の4時に起きて スタンドに並んでも入れられないと嘆いていました でも、これは買占めではないんです 東北地方は生活するために車が欠かせないのです 兄も車で30分以上かかる職場に通っていますが 公共の交通機関が無いのでしょうがないのです そして、3人の子供を保育園に送り迎えもしなければいけない ガソリンが無いと、何もできなくなってしまうのです 被災地に優先的にガソリンを…これはあたりまえ でも、自分たちも生活の為にはガソリンを得なければいけませんでした このガソリン騒動は10日位続いてようやく落ち着いたそうです キムコ☆と息子は、すぐにでも実家に帰るつもりでしたが なかなか復旧しないJRと計画停電の影響で 思いもよらず1週間も山形にお世話になることになりました 共働きで子供3人を育てている兄夫婦ですが そんな中なのにいやな顔一つせずにキムコ☆達を迎えてくれた兄夫婦には 本当に言葉ではいい表せないほど感謝しています おにいちゃん、ありがとう!!!!!! キムコ☆の実家青森へ帰るには 高速がまだ不通だったので 山形から庄内地方の鶴岡までバスで移動して 電車で秋田市へ また電車を乗り換えて秋田から青森というルートしかありませんでした 大きな荷物と息子を抱えて 妊婦のキムコ☆が移動するのは無理だと 両親が山形まで迎えに来てくれることになりました まぁ、両親が居てくれたほうが色々楽かな?位に考えていましたが 実際移動してみると両親が来てくれて本当に助かりました この、バスと電車を使った大移動 なんと9時間半もの時間がかかったんです!! 2歳の子供には我慢できるはずもありません。。。 最初のバス移動は眠ってくれたのでおとなしくしていたのですが その後はもう大人3人がぐったりする位の暴れっぷり… 最終的にキムコ☆が乗り物酔いしてしまって使い物にならなくなってしまい 両親が息子を見てくれてようやく長旅が終わりました キムコ☆は被災はしたものの親兄弟に助けられて 幸いにも不自由なく生活することが出来ました でも、仕事のある旦那様は仙台に戻り 水もガスも無い中で生活をしていました(先ほどガスが復旧したと連絡ありました!) それでも、まだ家もあって家族も無事でというのは幸せなんだと思います 沿岸の地域の被災者の方 福島原発の付近の被災者の方 まだまだ日本中の、世界中のみなさんの支援が必要な方々がたくさんいます 家族や、住む家、思い出の品もすべて失う…想像してもしきれないくらい悲しいことです でも、未来に向かって頑張ろうという思いを抱いている方ばかりだと思います そのために、今私たちに出来ることが何かあると思います 寄付をする ボランティアに参加する 節電、節水をする 出来ることでいいんです 何か一つ始めて、それを継続していきましょう!!! 歌手のサカモトサトルさんが 「エコって選挙と似ている。自分の一票じゃ何も変わらないって思うかもしれないけど、その一票が集まって世の中を変える。エコも同じ。一人の心がけが大きな力になる」 みたいなことを言っていました そうですよね みんなが節電をすることで計画停電も回避できるんだ! 今回の震災は、大きな傷を東北、日本にもたらしました でも、東北は必ず復興します! だって、東北魂があるから!!! 必ずあの美しい海岸風景が戻ってくると信じています そのためにキムコ☆が出来ることは何でもしたいともいます 今は妊娠中ということもあり自分の足で何も出来ないのはすごくもどかしい でも、自分に出来ることがあると信じて小さなことでも 取り組んでいこうと思います 復興までの長い道のりになるかもしれないけれど 報道が少なくなったとしても 助けを求めるたくさんの人たちがいることを忘れないでください!! 最後に、被災地で懸命に働いていらっしゃる 自衛官のみなさん 警察官のみなさん 消防署のみなさん アメリカはじめ世界各国からの支援隊のみなさん ボランティアの皆さん 各地で支援を呼び掛けてくれているみなさん 本当にありがとうございます 皆さんへは感謝しても感謝しきれません!!
2時間並んでもお水も手に入らないっていうのはけっこう衝撃でした 今まで映像でしか見たことのない水を求める列に自分がいても まだなんかピンとこないところもありましたが… その後、自宅に戻ったところ 近所の方が町内会の集まりの話を教えてくれたのですが 電気もガスも水道も復旧の目処が立っていない 近所でガス漏れ、水道管の破裂があるからだいぶ時間がかかるだろうということでした そして、避難所となっている小学校は 自宅に住めない状況になっている人以外は来ないでくれ というか解放しないので自宅に戻れということでした それだけキムコ☆の住む地域は被害が少ないのかもしれないけど 一人暮らしの老人が多い地区なのにひどい対応だと憤慨してしまいました その後、電力のお仕事をしている友人が 電気の復旧は2~3日と連絡をくれました 自宅では、とりあえず明るいうちに食べ物を作ることにして 玄関前でキャンプセットを広げて炊き出しを始めました 残り少なかったもののホワイトガソリンがあったので コンロを出してきて 家の冷蔵庫にあったものをとにかく何でも入れて 野菜スープを作りました そんなことをしていると向かいのお宅の奥さんが ストーブで炊いたというお鍋いっぱいのお米を持ってきてくれました 自分たちは息子の家に行くから食べてと言って 温かいご飯をキムコ達におすそ分けしてくれたのです すごくありがたかったです 普段すごく親密な付き合いをしているわけではないのに 人の優しさに感謝させられました そして、わりと近所に住む旦那との共通の先輩が様子を見に来てくれました 先輩のマンションは壁が剥がれ落ちて 自分の高級車!も被害を受けた上にもう住めないと管理人に言われたとのこと 他の階では火災も起こったということでした せっかくなので今日はうちで一緒にご飯を食べようと 夜にもう一度来てもらうことにしました 家を片付けたり料理をしている間も 息子はいつもとは考えられないくらいいい子にしてくれていて 旦那におんぶされたらすぐに寝てしまいました 子供なりに緊張して疲れていたのでしょう でも、余震がくると「ぐらぐらこわいぃぃぃ」と大泣きしていましたが。。。 先輩がまた家に来て やっぱり宴会がはじまりました(笑) いつ余震が来ても逃げられるように玄関での食事 でも、キャンプみたいな感じであまり緊張感ないなぁと思いながらの食事でしたが 先輩も来てくれて、息子もいつも通りの調子でいてくれて すごく和んだ時間を過ごすことが出来ました その時にも話になったのですが この日が全然電話がつながらなくなってました ずっと圏外なんです 昨日は割とつながったのに今日は全くダメでした 水が手に入らないのでなるべく使わないように 食器にラップを張って 洗い物をしなくていいようにしたり 前に何かの地震特番で見た情報がけっこう役に立ちました しかし、水一つ手に入れるだけであの列・・・先が思いやられました というか、これからの生活どうなるのか想像もつきませんでした 解散してから、とにかくもう暗いし寒いし 余震がだいぶ減ったのでベッドで寝ることにしました でも、洋服を着たままで靴をベッドサイドに準備して。。。 車の中よりは眠れた感じはしましたが 余震のたびに目が覚めて神経が過敏になってしまっている感じでした 震災3日目の朝、明るくなってきたときにようやくメールが入ってきた 25件の受信メールでした そのうちの10件位が義理の姉からのもので 「山形は停電回復したから避難しておいで」 というものでした 家を建てるときに、ガスは震災があったら2~3週間使えなくなるっていうのは 聞いていたので この先すぐに水が出たとしてもガスが使えないとキツイなと思い 義姉のお言葉に甘えることにしました また、福島原発の話も出てきて 放射線被害から少しでも離れたほうがいいのではないかと 旦那とも相談してキムコ☆と息子は仙台を離れる決心をしました 山形では何日かお世話になって日本海側を経由して実家に帰ろうとも考えながら。。。 数日分の衣類や何かをまとめて外に出てみると 隣のお医者さんに大丈夫かと声をかけられました そして、山形に避難すると伝えました そうすると、うちの娘の友人を山形まで送って欲しいと頼まれました その友人の女の子は、地震当日に秋田から仙台に飲みに来て被災したということでした 山形まではお父様が迎えに来るということだったので 一緒に行くことになりました 車での道中、女の子が医学部の学生さんであることを教えてもらい 学校で習ったという放射線の影響の話を聞いていました 漠然と放射線はヤバいという知識はあっても 何がどうヤバいのかはわからないキムコ☆に 色々教えてくれたのですが勉強していると余計に怖いのでしょうね 「少しでも早く福島から離れたところに行ったほうがいい」 と一生懸命訴えていました いつもは1時間位で着く山形への道のりですが 山形へ避難したり食料やガソリンを求めて行く車で大渋滞で 3時間以上かかってしまいました 無事に女の子とご家族が合流してから とにかくキムコ達もガソリンを入れに向かいました 仙台はスタンドはほとんどやっていなくて 緊急車両のみの給油というのばかりだったけど 山形はすごい列は出来ているものの ガソリンは入れられるようでした 高速は閉鎖されているので 高速前のスタンドなら空いているんじゃないかと行ってみると もう売り切れだと言われてしまいました でも、きっとどこに行っても並ぶか同じことを言われると思い 「仙台から来たんです!もう、ここで入れられないと本当に困ってしまうんです」 と涙ながらに訴えると、特別ですよ。。。なんて並ばせてくれました ごり押し成功!!! とりあえず20Lしか入れられないけどだいぶ助かりました それから兄の家に行って、3日ぶりにお風呂に入れました 今考えればたったの3日間 それだけでもお風呂に入れない トイレのお水も流せない 手も顔も洗えない 水のない生活の不便さ、水のありがたみを痛感しました 続く。。。
余震がしばしばありましたが、車の中に息子と二人でいました 前に中越地震の時の報道でガソリンが入れられないっていう話が あったのを思い出して とりあえずエンジン掛けないで車の中でラジオを聴いていたら なにやらただの地震ではなさそうだとようやく理解しました 津波が次々押し寄せて 沿岸の町がひどい被害を受けていると・・・ 沿岸。。。さっき私が行こうとしていたイベント会場は 海の目と鼻の先・・・ぞっとしました もしあのまま行っていたら私も津波の被害に? でも、まだラジオの情報だけでは信じられませんでした それから夕方にかけて雪が降ってきました きっと電気もガスも水道もダメだろうと思い 家には戻らず車で過ごす覚悟をしました そして、寒くなってきたので車のエンジンをかけて テレビを見てみたらマグニチュード8.8の地震(当日報道) 10メートルの津波が押し寄せたということを映像で見せられて ただただ驚くだけで まさか自分がそんな被災地の中にいるなんてぴんときませんでした でも、実際に私が行こうとしていたイベント会場が津波に襲われている映像や 家が次々に流される映像を見て ただただ涙が流れてきました 夕方6時過ぎに旦那から電話がきて 会社からもう自宅に帰れるけれど 帰宅手段がないということで車で迎えに行きました 停電しているので信号もだめ 場所によっては道路の陥没や水道管の破裂がありました でも、何とか普段は15分の道のりを1時間以上かけて旦那を迎えに行きました 旦那に会えたときは本当に安心しました そして、旦那が地震の時に仕事の打ち合わせで高層ビルにいたことを知りましたが 最近出来たばかりのビルだったので揺れもそんなにひどくなかったと教えてくれました この日、泊まりで那須にゴルフに出かける予定だった旦那 夕方に出発するはずだったけど この地震でもちろん中止になりました 朝から出発していたら しばらく会えなくなっていたかもしれないですね でも、無事に家族が合流できました 旦那がそばに居てくれるだけですごく安心しました 自宅に帰る途中に、避難所になっている近所の小学校に寄りましたが 体育館からあふれるほど人が集まってきていました キムコ☆の住むあたりは津波の被害もないし 火災や自宅が倒壊したというところは聞きませんでしたが 住民の判断で、各自集まったようです キムコ☆家族は小学校に行くくらいなら 車の中で過ごすことを選びました 家の中で過ごしてもいいのでしょうが 暗い中でまた地震が来たら逃げるのが怖いし 何より余震のあの家の中で鳴るミシミシという音が キムコ☆が怖くてたまりませんでした 車の中でパンと牛乳を晩御飯に食べ みんなで眠りました やっぱりこの日の夜は何度も大きな余震があり 車もかなり揺れていました そして、あまり眠れませんでした。。。 明るくなってから 車から出て改めて家の中を確認してみると 家の中はもうぐじゃぐじゃでした とりあえず旦那と手分けして家の中を片付けながら 家の被害を確認してみると 建物自体の被害は玄関のタイルが剥がれ落ちたくらいでした これは住友不動産お見事というか きちんと家を建ててもらえて良かったと思いました 改めて近所を確認すると昔ながらの玉石の外壁のお宅はすべて崩れ落ちていたり 壁が落ちているお宅や 道路が盛り上がっている場所もかなりあって 車が通れそうもないような道路もたくさんありました 家の片付けもひと段落してから 旦那が会社に行かなきゃいけないということで みんなで車で旦那の会社付近まで行きました 中心街は人通りがかなり少ないこと以外は普通に見えましたが やっぱりところどころ被災の跡がみてとれました そして行列がいろんなところにありました 水や食材を求めて大行列が出来ていました そんな中で、1件だけ牛タンの炊き出しをしている店がありました きっと電気が止まっているから 食材が腐るくらいなら…ということかもしれないけど 食べるものもなくて困っている人に いち早く炊き出しをしているその店の姿勢にすごく感動しました 絶対に復興して、出産後落ち着いたら食べに行くぜ!と 心の中で誓いました キムコ☆は息子と二人で街を散策していましたが 比較的人の少ない列を見つけたので買い出しをしました これからいつまで続くかわからない状況だし 帰るときに買っておこう そう思って、水やカップラーメンを購入することができました 列に並んでいるときに後ろのお兄さんが子連れのキムコ☆に 「子供が一緒だと大変ですね」と声をかけてくれました そのお兄さんは大学生でしたが 実家が震度7だった栗原で両親と連絡がとれないから 今からどうにかして実家に向かうということでした キムコ☆には「気をつけてね」ということしかできませんでした 仕事先から戻った旦那と合流して 我が家はアウトドアグッズだけは豊富だから とりあえず炭か薪を買いに行こうとホームセンターに向かいました その途中に給水所を見つけたので 水を確保するためにキムコ☆が給水所に並んで旦那がホームセンターに向かいました 給水所は大行列でキムコ☆は2時間並んでもほとんど前に進みません けっこううんざりしてたら 旦那が来て結局旦那も何も買えずじまいだと言われました 水だけは・・・と思ったところに 友人から実家の水が出るから貰いにおいでと連絡がきました 無駄に2時間過ごしたけど 友達の実家であっさり水GETでした 続く。。。
ずいぶん放置していました、ブログ。。。 この一年は育児サークルを立ち上げたりして そちらの活動が忙しくて個人のブログのことはすっかり忘れていました そんなこんなしているうちにもう一人妊娠中だったりで 毎日忙しくしていました そんなキムコ☆の平凡な生活も 3月11日の東日本大震災で急変しました その日は、妊娠してからまた再発した 股関節痛の治療の為に整体に午前中に行っていました 整体が終わって、まっすぐ帰るのも何だな~と思って テレビで見た、海辺のイベント会場でやっている 全国のうまいものお取り寄せみたいなイベントに行こうと 車を走らせていました でも、しばらくすると息子が車で寝ちゃったんです 午前中に寝てしまうなんてめったにないから 珍しいなぁと思いながら 寝てしまったならお家でゆっくり寝せてあげようと Uターンしてお家にかえりました キムコ☆は時間もあるので お昼ごはんを済ませて息子のご飯の準備をして少しぽーっとしてたら 2時頃息子が泣いて起きました 今日は昼寝が早かったから一日長くなるな。。。なんて思いながら 息子は納豆巻きをこれでもか!って言うくらい食べて デザートにヨーグルトを欲しがりました 冷蔵庫からヨーグルトを出してさあ食べようと思ったら 携帯から聞いたことのない音が鳴りました 緊急地震速報でした 内容まで確認できなかったけど、地震の文字を見て 何かやばいと思ってダイニングの机の下に潜りました あっという間でした 揺れが始まったら家の中がガタガタ音を出してあらゆるものが落ちてきます キッチンの上に吊るしていたワイングラスはあらゆる方向に飛んでいき 観葉植物が落ちて土が散らばり ワインのボトルがドカドカ落ちてきます 息子をかばいながら机の下で「大丈夫だから、大丈夫だから」と叫ぶのが精いっぱいでしたが まったくおさまらない揺れに、私も悲鳴を上げて 息子も怖い怖いと大泣きしていました でも、息子は最終的に「ヨーグルトぉぉぉぉ」って泣いてました 地震はどれくらい続いたのでしょう 3分?5分?10分? 震度は??? とにかくテレビを・・・と思ったらもう電気はすべてダメでした 家の中は見たことのないひどい状況 でも、また余震が来たらまずいと思い 私は息子とお腹のベビを守らなきゃいけないと思って とにかく今やるべきことを考えました ガラスが危ないから靴を履かせなきゃいけない 息子に動かないように言って靴を取りにいきました そして、お財布と通帳、携帯と充電器、車のカギをカバンに入れて 外を覗いてみると お隣の病院の患者さんが駐車場に避難していたので 息子二人でいるよりも安心だと思いまぜてもらいました 看護婦さんが妊婦であるキムコ☆を気遣ってくれました 外にいる間も何度も余震があります その度に息子と抱き合って大丈夫大丈夫って繰り返しました そして、少し気持も落ち着いてきたところで 駐車場の患者さんも解散になったので 息子に「ママ、食べ物とかお水準備するから車で待てる?」 と聞いたら素直に「うん」と言ってくれたので 少し不安だったけど車に息子を残してすぐに車で逃げられるように準備をしました 水、食料品、毛布、ホッカイロ、懐中電灯、旦那の着替え、ろうそく マッチ、電池・・・ いつか起こると言われていた宮城県沖地震をいつも想定して生活していたので パニックはパニックだったけど なんとか短時間で準備することができました これで、なにかあっても車ですぐに逃げられる そう思いました しばらく車の中で息子と抱き合っていましたが 旦那から無事とのメールが届き 私たちも無事だとすぐにメールを送りました そして、きっと心配しているだろう両親にメールを送りました その後も、安否確認のメールが全国各地の友人から届きました みんな、心配してくれてありがとう 私の携帯は不思議とよくつながる携帯だったみたいで 地震発生当日のうちに旦那とも両親とも話が出来ました 続く。。。
週末から実家に帰省しましたが 初日にぽにょおが嘔吐 翌朝から下痢で 病院に連れていったところ ウィルス性腸炎とのこと 布団から洋服まで汚れ物沢山で 母には夜中に洗い物させちゃい申し訳なかったです そしたら翌日はキムコ☆が移りました 久しぶりにグロッキーで起きてられなくなって 母に息子を預けて寝込んでました キムコ☆もぽにょおもようやく元気を取り戻したら ぽにょお、額を怪我して救急病院へ たいした怪我じゃなくて 病院行く程ではなかったのかもしれないけど、 母もキムコ☆もパニックだったので 何だか実家帰って毎日病院行ってます… 明日は何事もありません様に
先日の3連休に 千葉のマザー牧場に行ってきました
車を1時間も走らせれば 牧場もあるし牛くらいならすぐに見つかる東北に住んでいて わざわざなぜマザー牧場なのかは 深く考えずに 菜の花が見ごろでイチゴ狩りが出来るという理由で 恐れ多くも連休に首都圏へ行ってしまいました 渋滞は覚悟していたけど 朝の7時に家を出たのに マザー牧場着いたの午後3時!! そして閉園5時って。。。 とりあえず急いでシープショー見に行って やたらと「ガイジンパワー」と言う羊飼いのおじさんのショーを見て かろうじて羊と戯れ 放牧されている動物を少しだけ見れました アルパカは大人気で大人も子供も集まってきていました
アルパカは機嫌悪いとつばをかけてくるから注意とのことでした 可愛い顔して・・・なんか笑えました
あっという間に2時間過ぎてしまい アクアラインを目指したらやっぱりこれまた渋滞。。。 もう渋滞にうんざりだったので 木更津で食事してから帰ることにして ぐるなびで適当にお店調べて夕食済ませて さあ、アクアラインへ!と思ったら なんと、アクアライン閉鎖!!! こんなことってあるんですね(涙) 結局東京湾ぐるっと回ってだんな様の実家に行きました
数年前に同じ3連休に伊豆に行ったときも 笑えないくらい渋滞してた 3月の連休は首都圏行くの止めよう。。。
去年のクリスマスにだんな様にそば打ちセットをプレゼントしました そばが大好きなだんな様は いつか自分でもそば打ちしたいなぁ~って言っていて それならば作ってもらおうじゃないの!!と どーんと買ってみました 実際プレゼントしたときはだんな様は中身を見て 喜ぶって言うより苦笑いしてたけど^^;
それから我が家では そば打ちセットを使ったうどん打ちがブームです! (そばじゃないんかい!!って感じですね~)
いやいや、そばって何だか難しそうだし そば粉もけっこう高いから お安い小麦粉で手っ取り早く出来そうな うどん作りからまずスタートしたんです
ネットで作り方を調べて 小麦粉・強力粉・塩・水を混ぜて コネコネしてちょっと寝かして 足でフミフミして棒で伸ばして切ったら はい!簡単にうどんの完成です!!
簡単に作れるのに 手打ちうどん、侮れないです マジ美味しいです
キムコ☆ハウスの近くにお住まいの方 そのうち、キムコ☆ハウスの玄関に 『うどん始めました』 ってのぼりが出たら勇気を出してピンポンしてください(笑)
3月だというのに今日は午後から雪が降っていて すでに10センチ以上積もっています 毎年そうだけど すんごく暖かくなってそろそろ春かなって思う頃に また大雪が降るからなんだか損した気分になります ぽにょおは雪がうれしいみたいで 雪を指差して『あか、あか!』ってずっと言っていました 『アレ』って言いたいのかな?! 雪で喜ぶのは犬と子供だけだっていうのは 今も昔も変わらずですね
先月ぽにょおの1歳の誕生日でした 目をこしこし擦りながら眠すぎてテンションがおかしくなるぽにょおを なんとも愛しいと思いながら誕生日の夜は過ぎていきました
誕生日プレゼントはだんな様と相談して無しにしようと言っていましたが 急にキムコ☆、ぽにょおに1歳の記念にプレゼントを渡したくなりました そこで、何を思い立ったか急に人形を作ろうと決心したのです そう、突然の決心でした 別に裁縫が得意なわけではないのですが 決心してから1ヵ月半、ようやく完成しました! キムコ☆の汗と涙の結晶『コッシー人形』です
NHK教育の『みいつけた』のメインキャラの一人なんですが キムコ☆が大好きなんです 昨日の夜完成したから リビングに置いておいて朝になったらぽにょおに見せてあげようと思ったら おきてくるなりコッシーを見つけて 『はぁぁぁ~~~』と叫びながら指を刺して突進していったわが息子 可愛いやつだ!! しばらくするとぽいっと捨てられてましたが 喜んでくれたみたいなので作った甲斐がありました きっと最初で最後の手作りプレゼント、大事にしてください^^
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