その7(9/7UP)(その7) あのひょろひょろっとした電信柱みたいな後ろ姿が小さな定食屋に入っていく。 手にはなにやら紙切れのようなものを持っているのがちらっと見えた。 ここで晩メシでも食うのかと思ったらすぐ出てきた。 なんだかがっかりしたような顔をしている。 小さくため息をつきながらその紙きれに目をおとすと気を取り直したようにまたその先の店に入っていった。 なにしてるんだ、アイツ。 署名運動でもしてるのか? オレは今タカヤが入っていった定食屋の暖簾をくぐった。 「いらっしゃい!」と店のオバサンの威勢のいい声が響いた。 「今夜はねぇ、さばの味噌煮にひじき、、、」 「あ~~っと、悪いけど客じゃないんだ」 「あらま、それじゃとっとと帰っとくれ」 新手の押し売りかなんかだと思ったんだろう。オバサンの顔は険悪になった。 「今さぁ、ここに学生ふうの男が入ってきただろ、ひょろっとした。すぐ出てったけどさぁ。なんの用事だった?」 オバサンは不審そうにオレの頭のてっぺんからつま先までねめつけた。 こういう場合、この後のセリフはだいたい見当がつくが、今回はオレの想像がはずれた。 「あらやだ!アンタそっくりじゃないの。ねぇねぇ!あんたぁ!ちょっとちょっと」と主人を呼んだ。 オレは思わぬ展開にあっけにとられた。 オレがなにに似てるっていうんだ。 厨房からのっそり現れたオヤジもオレの顔を見て 「ほんとだ。アンタ、今の学生さんの友達かい?」と言った。 オレは頭の中を整理する必要に迫られた。 しばらくぽかんとしていると 「あのコ心配してたよ~。早くみつけないと危ないとか言って。あんた、何かしたのかい?」 「似顔絵まで描いてさ、ここらへんの店一件一件あたってるみたいだぞ。あんまり友達に心配かけんな。 早く行ってやれ、まだそのへんに居るだろう」オヤジも言う。 呆然としているオレの尻を定食屋のオバサンはほらほら!と叩いた。 その勢いにオレは暖簾から放り出された。 アイツ、なにやってるんだ。あのバカ。 タカヤは50メートルばかり先の古びた喫茶店から出てきた。 うなだれている。 いつからこんなことをしているのだろう。 こんなことしてるヒマがあったら、勉強しろ。 オレが置いていった金で本でも買え、ぶち破られた襖を直して、大家に頼んで裸電球を蛍光灯に代えてもらえ、あの湿ったせんべい布団を ふかふかのヤツにしろ、台所もきれいにしろ、カーテンもいい加減に代えろ。 いや、もうそうしてるかもしれない。 あの部屋も変わったかもしれない。 オレがいなくなったぶんだけ小奇麗になってるかもしれない。 ガールフレンドが掃除にきてるかもしれない。 オレの形跡なんてアトカタもなくなっているかもしれない。。 と思っていた。 こんなタカヤの姿を見るまでは。 だが、今アイツはオレのすぐ目の前にいておそらくオレの似顔絵が描いてあるだろう紙切れをみつめてため息をついている。 声をかけようか、一瞬そう思った。 その時それが伝わったかのようにタカヤが振り向いた。 タカヤのクチが「あ!」 というカタチに開いた。 ☆ 「オマエ、今までなにしてたんだ、探したんだぞ、ばかやろう黙っていなくなりやがって」 「悪かったな、でもああいう消え方、かっこいいだろ」 「うるせ~!」 タカヤの拳がオレの腹にどすっと食い込む。もちろん手加減している。顔は笑っている。 「大家のおやじさんも心配してたんだ。帰ろうテツト」 タカヤはオレの手を掴みぐいぐいと引っ張っていく。 「痛ぇじゃねぇかよ」といいながらもオレは抵抗しない。 ちょっと照れくさいがタカヤの手に引っ張られるままオレはあの下宿への道を帰るのだ。 タカヤのクチが「あ」から違うカタチに変形するまでたっぷり1秒間、オレはそんなことを考えていた。 そして秒針が次の目盛りをさしたとき、オレは背中を向けて駆け出していた。 後ろからタカヤの声がする。 「テツトーーーーーッ!」 オレはその声から逃れるように狭い路地に駆け込んだ。 ☆ 昼間でも薄暗い、どぶ板が続くこんな迷路のような路地はタカヤは入ったことはないだろう。 もうオレを見失ったはずだ。 一息ついて、オレはまるでどぶねずみみたいだな、と笑った。 あのとき一瞬でもいっしょに帰ろうかと思ったのは真実(ほんとう)だ。 いや、あれは冬の夕暮れ時がかけた魔法のせいだ。 あの定食屋のオバハンの顔とその店から流れる懐かしい匂いのせいだ。 なんだ、センチメンタルな野郎だな。 オレは頭を振ってそれを振りきった。 決着をつけないといけないことがある。 神崎が退院したのならまっすぐにオレのところに来るはずだ。 まさかタカヤをどうにかしようということはないだろう。 オレに体もプライドもグチャグチャにされたのだ、笑いものにされたのだ。 あの自尊心と自信の塊のようなヤツが無様に転がされたのだ。 まだ息をするのも苦痛を伴う体を押してまで病院を出たという、その怒りと憎しみにはわざわざ遠回りする余裕などないはずだ。 オレに会いたけりゃ真夜中にいつものあの半分朽ちたような映画館にいるぞ。 もうそんなことはとっくに知ってるはずだろう。 まっすぐオレのところに来い、神崎。 ☆ タカヤは荒く息を弾ませ、顔を真っ赤にして管理人室に飛びこんできた。 「テツトを見たんです。おやじさん、あの界隈なら詳しいだろ?おやじさんのルートでなんとか探し出してください」 一気にそれだけいうとまたはぁはぁと息を吐いた。 そして、どうしてオレの顔を見てすぐ逃げたんだろうと悲しそうな顔で言った。 「危ないことをしてるんだろうか。アイツバカだから人のことで災難をかぶってるに違いない。アイツ、自分からやっかいなことを 買って出るとこがあるから」 そういいながら無意識のうちに手に持っている紙切れをくしゃくしゃにしている。 タカヤの手からそれを取って見て驚いた。 ヘタクソなしかし特徴はよく掴んでいるテツトの似顔絵だ。 わたしは唸った。 どう言おうか。 テツトはひとから見たら呆れるほどの意地を通そうとしていることを。 裏の世界の噂ではテツトはかなり危ない状況らしい。 わたしが手を回せばなんとか匿ってくれるヤツがみつかるかもしれないが、テツトは断るに違いない。 わたしにはその気持が痛いほどわかる。 しかし、タカヤにはわからないだろう。 「居場所が違うのだ」 わたしは言いたかった。 「テツトには自分が決めた居場所と譲れない意地と自分なりの正義がある。たとえそれがどんなに無茶でバカなことであろうとも誰にも止められないのだ」 だが結局その言葉は出ず「わかったなんとかしよう」と言った。 わたしは自分のその八方美人さに嫌気がさしたがタカヤにもうテツトのことを構うなと言っても聞き入れないだろう。 そのまっすぐさは痛々しいほどだ。そしてテツトに負けず頑固なヤツだ。 「そのかわり勝手なことをするな。アンタがあぶないことになったらわたしがテツトにあわせる顔がない」 タカヤはこっくりと頷いた。 つづく |