(その2)テツトは迷っていた。 爺ちゃんと一緒じゃないから迷ってしまったんだ。 半分ベソをかきながらテツトは歩いていた。 あんなに一人で入るんじゃないと言われてたのに。 でもここは爺ちゃんのつくった迷路じゃなかった。 そこはテツトが生まれた家だった。 その家の北側にある庭だった。 北には椿を植えるといいのよ、と母さんがたくさん椿を植えた庭だった。 その中の一本の幹のところの土がやけにこんもりと高くなっている。 あ~そうだった。とテツトは思い出した。 ここにおもちゃをよく隠して怒られた。 今でもまだあるかもしれない。 テツトは掘り返した。 なにが出てくるかな? 夢中で掘り返すとなにかが小さな指先に触れた。 それが何か早くみたくてテツトは一生懸命土を振り払う。 そしてそこにあったのは。 兄さんの顔だった。 土の中からテツトをみつめている。 「あ~~~~~~っ!!」 という叫び声にタカヤが跳ね起きた。 隣でテツトが汗をびっしょりかいてうなされている。 「キミ!どうしたの?ねぇ、」とタカヤが揺り起こす。 目が恐怖に見開かれている。 はぁはぁと荒い息を吐いている。 「大丈夫?」 それに対する反応がない。 だが助けを求めてるような気がしてタカヤはテツトの手を握った。 すると少し息が和らいだような気がした。 顔が少しだけタカヤのほうを向いた。 タカヤがその顔にうなづくと、テツトはほーっと小さく長い息を吐いた。 目尻から流れているのが涙だとわかってタカヤはそれを指でぬぐった。 するとテツトはそれが合図ででもあったかのようにまた目を閉じた。 ★ 庭のほうでがさこそと音がしてテツトは目を覚ました。 飛び起きて廊下に出るとタカヤが掃除をしていた。 「あ、起きた?おはよう」 「びっくりした、泥棒かと思った」 へなへなと座り込むテツトをみてタカヤは笑った。 「脅かすなよ、もー!」とテツトはふくれた。 昨夜のことを覚えているのかどうかわからない。 でも笑顔が見られてタカヤは安心した。 台所でふたりで朝食をつくった。 少し焦げたトーストと少し崩れた目玉焼きとレタスをちぎったサラダだ。 TVをつけるとニュースで「センバツ」のことを流していた。 「春のセンバツってなんかイマイチだよね。アンタが出たのは夏?」 「うん、3年のとき一回戦で負けたけど」 「ねぇ、なんで野球やめんの?」 ふいに聞かれてタカヤは詰まった。 「悪い質問だった?」 聞き方がまっすぐだったのでタカヤは話す気になった。 「肘がダメなんだ」 前から違和感があったが医者にいくのが怖かった。 監督にも内緒にしていた。 だがそんなことは気づかれるのは時間の問題だ。 監督にえらくドヤサレてタカヤは医者にいった。 「手術をすればイケルらしいんだ」 「じゃ、すればいいのに」 なにも言えない明快な答えだ。タカヤは苦笑した。 「ひょっとして怖いの?手術」 「うん、怖い」 だがほんとに怖いのは手術自体ではないとわかっていた。 まわりの期待が怖かった。 肘にメスを入れ、そこまでしてプロとしてやっていけるのかわからない。 ほんとにそれだけの覚悟はあるのかとずっと自問自答していた。 教職課程をとっているし教師になったっていい。 そんな思考回路の人間がプロの世界に入るのはおこがましい。 「そうか、ま、しょうがないなぁ本人がそう思うんなら」 あっさり言われてタカヤは少しむっとした。 じゃ、何を言ってもらいたかったのだろうとふと思った。 「ねぇ、キャッチボールしない?」とまた不意にテツトは言った。 「プロ級の球を投げるヤツの球受けてみたいんだ、どこかにグラブと ボールがあるはずだ」と言って探しにいった。 「爺ちゃんに中学のときに買ってもらったんだけど使えないことはないな」 といいながら戻ってきた。 ふたりは庭に出た。 「思いきって投げてくれよ、遠慮しないで」 「それはダメだよ、危ないから」 「いいよ、これでも中学のとき野球部だったんだ、ほら!」 とタカヤに球を投げつけた。 けっこう早いストレートだった。 それならとタカヤは投げた。決して最盛時のスピードはない。キレだってない。 でもこんな球でも、テツトは「おーすごい!」と言ってはしゃいだ。 「今度はカーブ、カーブ!」 テツトは座ってグラブを構えた。 タカヤはどうせこれで肘が壊れたってかまわないと思って思い切り投げた。 「わ~曲がるよすごいなぁ」まるで子供のようにテツトは喜ぶ。 「今度はオレの受けてくれる?」 と言って交代した。 テツトは投球モーションだけはプロ並みの格好をつけて投げ下ろした。 「なんだよ、今のしょぼい球は」タカヤは意地悪くいった。 「スライダーだよ、いいだろ?」 「ぜんぜんダメ」とタカヤは言下にいった。 「オマエ握りからやり直さないとダメだな」 初めてタカヤはテツトをオマエと呼んだ。 「そっか、まぁいいや。ありがとう楽しかったよ」とにっこり笑った。 「うん、オレも」 楽しかった。久しぶりにタカヤは素直にそう思った。 自分は投げるのがやっぱり好きなのだ。 それにしてもとタカヤは思う。 昨夜のあの悪夢はなんだったのだろう。 たまたまあの夜怖い夢をみたのだろうか。 タカヤはテツトのあの恐怖に見開いた目を忘れることができない。 それからあの涙も。 よけいなことかもしれないと思いながらテツトは言った。 「オマエ、ここで一人でいないほうがいいと思う」 テツトはその言葉に一瞬だが顔が歪んだような気がした。 「ねぇ、いっしょにツーリングしないか?」 その言葉にテツトははっとした。 いっしょに?オレといっしょに? コイツはオレのそばにいてくれるのか。 この家は好きだった。懐かしく暖かいところだ。 でもひとりぼっちだ。 それなら、と言おうとしたとき、チャイムが鳴った。 「誰かきた」とテツトは玄関に行き、受話器をとった。 来訪者が誰かわかると、さっきまでとはまるで違う表情で オレ、やっぱりいけないと答えた。 受話器のとなりにいろいろなボタンがあり、そのうちのひとつを押すと 遠くからなにやら機械音のような音が聞こえた。正門が開く音だ。 タカヤはただびっくりした。 正門から玄関まで歩いてくるのは春先だというのに暗い色のくたびれた コートを着た、なんだか風采のあがらない中年男だった。 「お客さん?じゃ、ボクはこれで、、」とタカヤは言った。 ほんとはこのままの状態で別れたくなかったのだが。 「警察の人間なんだ」とテツトは言った。 「え?」 「オレ、殺人の容疑がかかってるようなんだ」 世間話でもするようにテツトは言う。 「殺人?」タカヤはその言葉の意味を調べるためあたまのなかの辞書を 猛スピードでめくっている。その音がテツトには聞こえるようだった。 「驚いた?」テツトはいたずらっぽく言った。 「あの、、」タカヤには答えられない。・ 悪い冗談のように聞こえた。 「あの、おっさん直接クチに出してはいわないけどこうやってオレの様子を 伺いにくるんだ。今日はなんて探りを入れてくるかな?どう?聞いてみない? 面白いかもしれないぜ」テツトはタカヤを挑発しているようだ。 「ボクがいっしょにいてもいいんならいるよ」と答えた。 面白いとはおもわなかった。 これで少しでもコイツのことがわかるならと思ったのだ。 ただの偶然の出会いだった。でもそれでは片付けられないものをタカヤは感じていた。 ここでコイツを見放してはいけない。 それは何故か確信に近かった。 つづく |