すべてが完璧、新国立劇場「ルチア」
前回「ゲネプロ観劇記」をアップした、新国立劇場の新制作「ルチア」。2日目と3日目の公演に行ってきました。 5回公演もあと2回を残すところになりましたが、絶賛の声があふれています。とにかく、「すべてが揃った」公演なのです。歌手、指揮者、演出…これほど全方向にバランスがよく、すべてのレベルが高い公演は、国内で行われるオペラ公演のなかでもまれなのではないでしょうか。有名歌手だけが売りになるのでもなく(今回は「有名歌手」が勢ぞろいしていますが)、豪華な舞台だけが前面に押し出されるわけでもない。会場であったある知人が、「こんなのが日本で聴けるのだったら、もう海外に行かなくてもいいわね〜」 と興奮していましたが、彼女はもともと声楽家で、リタイアした今は、毎年、ザルツブルクだペーザロだと海外でオペラを見歩いている筋金入りのファン。ベルカントのいい公演もたーくさん聴いています。その彼女が言うのだから、と納得してしまいました。 ゲネプロ観劇記にも書きましたが、今回の公演は、新国立劇場発信の新制作。指揮のビザンティによれば、演出家のグリンダと十分に意見交換ができ、自分の意見も尊重してもらえて大変よかった、とのこと。指揮と演出に齟齬がないことは、舞台からも伝わります(両者の関係が冷ややかだったのだろうな、と感じられる公演もあるので)。残念ながら初日は見ていないので、演出家への客席の反応は見られませんでしたが…。指揮者だけではありません。歌手や合唱の面々からも、この新制作に出られて幸せ、という「チームワーク」が伝わってきます。それにつられて客席もどんどん反応する、といういいスパイラル。生の公演の醍醐味です。 「ロマン派」の幻想性やスコットランドの陰鬱な風景(ロマン派の風景画の雰囲気満点!)を取り入れた演出は、ただ美しいだけではなく、細かい工夫もいっぱいあります。逢いびきの場面や兄との対決の場面で男装をしていたルチア(逢いびきの場では人目を忍ぶ変装かもしれませんが、兄との対決の場面でもそうなのは、男勝り?という設定でしょうか)が、政略結婚を受け入れた途端、その服を脱がされて花嫁衣装を着せられたり(見る方はちょっとドッキリ)。政略結婚の場に出てくるルチアのベールが黒だったり。幕切れではエドガルドはその場では自殺せず、ルチアの遺体を模した人形を抱き上げて海辺の断崖の上にかけあがるとか(これから2人で身投げ?)…狂乱の場で殺した花婿の首を、彼が前の場面で使っていた槍の先に刺して出てくるのは、ちょっと?でしたが(いくら発狂していても、やわな女性のルチアが男性の首を切り落とせるものでしょうか?それだけ男勝り?)。 音楽の美しさを最優先させた場面もあり、第2幕幕切れの結婚式のシーンの有名な六重唱では、それまできちんと演技をしていたソリストが客席に向かって静止し、昔ながらの?オペラ公演のように直立して歌っていましたが、演技的な公演の合間にふとあのような場面が混じると、この部分が「六重唱」であることがよくわかり、大変印象的でした。この演出家は音楽をよくわかっているのだな、と思ったのです。あの六重唱は「ルチア」のハイライトなので、それを視覚化してくれんだ、と。音楽好きとしては、やってくれましたね、という気分。激しい場面の間のつかの間の天国的な音楽が目に見えました。 ゲネプロではやや抑え気味(当たり前ですね)に歌っていたルチア役のペレチャッコ=マリオッティ。本番では声の魅力がより花開いていました。繊細な表情、コケットリー、「女性」らしい香り…さまざまな色合いに恵まれた声が自在に舞います。「狂乱の場」で使われるグラスハーモニカは、当初ドニゼッティが考えたもので、ただ初演のときはフルートになってしまったといういわくつきの楽器ですが、そのはかない、幻想的な表情は「狂乱」という異常なシチュエーションにぴったり。ドニゼッティの劇的感覚を思い知らされました。ビザンティの話では、初演のときにグラスハーモニカが使われなかったのは、グラスハーモニカ奏者がその前の公演のギャラをもらっていなかったため、へそを曲げてキャンセルしてしまったのだとか!?奏者が逃げた、という話はきいたことがありますが、そういうわけだったのか。。。 ペレチャッコを聴いたのは3回目、前回はマドリッドでヌッチと共演した「リゴレット」でしたが、純情ひとすじのジルダより、女の香りも十二分なルチア役のほうが、少なくとも今のペレチャッコには合っているようです。今、世界屈指の「ルチア」役でしょう。 エドガルド役のイスマエル・ジョルディも、今この役にぴったりだと思います。繊細な声は、恋をしている傷つきやすい青年にどんぴしゃり。幕切れのアリアでは、失恋の痛手で受けた傷が口をあけたような悲痛な情感がこめられて、心を揺さぶられました。ルチアと一緒に死のう、と歌う大詰めでは、思わず目頭が熱くなってしまったほど。この歌で泣けた、という経験はあまりなく、我ながら驚きでした。役に没入できる才能がある希少な歌手です。昨年4月にフェニーチェの「椿姫」ではじめてきいたのですが、その時も今回のような印象を持ちました。今、エドガルド役を世界中で歌っているようです。 エンリーコ役のアルトゥール・ルチンスキーの堂々たる声も、客席をしびれさせていました。ベルカント的というよりなんでもできる声だと思いますが、非常に力のある歌手だと思います。 そしてすべてを束ねるビザンティの指揮もほんとうに素晴らしかった。エレガントで音楽的、細かいところまで音楽をつくり、歌手をよく聴き、でも主導権を握るところでは彼らを乗せながら思い切って巻き込んでいく。第2幕フィナーレの六重唱からのコンチェルタートはまさにそう。記者会見で、「解釈を押し付けるのではなく、歌手と一緒に作り上げていくことが大事」と語っていましたが、その言葉の通り、押し付けがましさがまったくなく、自然で流麗な音楽の流れをつくりあげ、ここぞというところでは説得力をもって巻き込んでいく。だから安心して音楽に身を委ねられます。歌手の立場からもそうなのではないでしょうか。 さて、このような公演が実現したことの背景には、いつも言ったり書いたりしていることですが、世界のオペラ界でのベルカントオペラの充実があると思います。もちろん今回の歌手、指揮者はとてもいいキャスティングなのですが、このレベルの歌手は他にもいないわけではない。指揮者も同様です。2年前に行ったナポリのサンカルロ劇場の「チェネレントラ」でも、ウィーンに出ているようなベルカント歌手たちが出ていてびっくりしましたが(マルフィやミロノフ)、歌手や指揮者の層が厚いので、超一流劇場でなくともかなり満足度が高い公演が期待できるのがベルカントの分野なのです。新国立劇場はこれまでその波に乗れていなかったのですが(2006年の「チェネレントラ」は素晴らしかったですが、なぜか1回きりで再演なし)、ようやく、という感じです。なにしろ開場20周年を迎えるのに、ベッリーニを1作もやっていないのですから。「ノルマ」ですらもまだなのです!歌手がいないといいますが、デヴィーアだだって新国が呼べば出るでしょう。でも新国が声をかけないうちに日生劇場と藤原にさらわれて?しまいました。テオドッシュウだってアグレスタだって新国が声をかければ喜んでくると思います。新国の常連のファンティーニもノルマは得意です。「ノルマ」は集客が難しい、などという声もありましたが、キャスティングにもよるでしょうが、その心配はないのでは。二回!も制作した「アラベッラ」より、演目的にはずっとポピュラーで人気があるのではないでしょうか。 ロッシーニといえば「セビリア」ばかり、ドニゼッティといえば「愛の妙薬」ばかりというのが今までの新国でしたが、もうそろそろ変わりどきです。これからベルカントをどんどんやってほしい。歌手も指揮者もいくらでもいます。 もうひとつ、「ベルカント」で思い出したのですが、今までの公演を振り返って残念なのは、ヴェルディのいくつかの作品、とくにベルカントの時期に属する初期〜中期の作品の演出です。ショッピングモールの「ナブッコ 」(ヴィック演出)を、またみたいというひとはそう多くないのでは。読み替え置き換えはいいのですが、「主役が誰なのか最後の方になるまでわからなかった」(「ナブッコ」を初めてみたある音楽ファンの方の意見)というのは成功したプロダクションとはいえないでしょう。やたら暗かった「トロヴァトーレ」も同様です。ミュンヘンのゲルトナープラッツの劇場の演出家を連れてきた新制作でしたが、なぜこのひとが「トロヴァトーレ」の演出をするのか、まったく必然性がわからないままでした。この間二期会でやった、マリアーニ演出のフェニーチェのプロダクションのほうが、幻想的な作品の雰囲気にあってよほどステキでした。「トロヴァトーレ」という作品は演出がなかなか難しいと思うので(先日ライブビューイングで見た、ロイヤルオペラの演出もかなりミゼラブルでした。作品の本質を理解していないのでは)、慎重にやる必要があります。作品のよさを伝える舞台を作るのは、「ルチア」よりよほど難しいでしょう。あの作品のイタリア歌舞伎的な美学がわからないと。読み替えなどもそれがわかってやるならいいのですが。。。 偏見かも先入観かもしれないし、最終的にはもちろん演出家個人によりますが、イタリアもの、とくに「トロヴァトーレ」のようなきわめてイタリア的な作品の場合は、やはりイタリア系、ラテン系の演出家のほうがセンスがいい場合が多いです。新国立劇場は日本の劇場なのだから、よほど実績がある演出家なら別ですが、そうでなければあえてドイツ系の演出家にイタリアものを頼む必然性はないように思います。 「ルチア」公演はあと2回です。お見逃しなく。 http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/9_007959.html