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ヴェルディのいい公演をなるべく観る、ということを、旅の理由のひとつにしている私ですが、その「ヴェルディのいい公演」の今年最後が、チューリッヒ歌劇場の「オテロ」でした。今シーズンの新制作のうちのひとつです。 チューリッヒ歌劇場は大好きなオペラハウスです。上演の質が高く(しばらく前のブログで書いたように、前総裁ペライラの力です)、劇場がこぶりで雰囲気がよく、聴衆の集中力も高いからです。いい公演があれば来たくなる劇場なのですが、チューリッヒという町が面白くないのが欠点といえば欠点。 パリのバスチーユは、その点対照的かもしれません。町は素晴らしいけれど、劇場が風情がない(音響はいいですが)。大きすぎるし、観客のマナーもちょっと。先日見た「運命の力」では咳払いがひどくて(上演中も!)参りました。イタリアなみ、いやそれ以上かも知れません。 とはいえ、実を言うと、今回の「オテロ」、ものすごく期待していた、わけではなかったのですが。 オテロ役のクーラをはじめ、これがヤーゴ初挑戦というハンプソン、そしてこの5月にウィーンで聴いた「シモン・ボッカネグラ」がいまひとつだったチェドリンス、どの歌手も、どうしても聴きたい、という感じでもなかったですし、イタリア出身ながらドイツ色の濃い指揮をするガッティも、そうそそられるわけではなかったのです。ふだんは「イタリアぽい演奏が好き」と騒いでいるものですから。 けれど決断したのは、「オテロ」という作品は、ヴェルディの前半期のベルカント的な作品とは違って、音楽的にも(もちろん演出の面でも)さまざまな解釈が可能だから、ひとつの方向でそろえば面白いのではないか、と思ったからでした。 昨日の夕方、ソフィアから飛行機を乗りついでチューリヒへ。1年半ぶりくらいでしょうか、夜につきましたがソフィアよりかなり暖かい感じです。今日の公演はマチネでしたが、快晴でほんとに暖かく、コートの下は薄着でOKでした。 ホテルから徒歩10分あまり、劇場前の広場ではクリスマスマーケットが店開き。劇場は湖のほとりに建っていて、開演前や休憩時間にバルコニーから湖を望めるのもポイントが高いです。 席は前から3番目。ピットは目の前。これが、ここのよさです。音楽にオペラに、思い切り浸れるる贅沢さ。平土間は15列くらいしかありませんから、どこににいたって満喫できます。歌手も楽だろうな、と思うのです。 開演前、この公演のために造られただろう黒い緞帳には「唇」が大写しになっていました 。何かしかけがありそう、と思ったのは自然なことで、なかなかに凝った演出(グレアム・ヴィック)。時代を現代におきかえ、設定は中東あたりの戦場、オテロは(ヴェネツィアの旗のもとに行動していますが)、イラク戦争の将軍のよう。当然黒人なのですが、加えてムスリム!という設定なので、二重のコンプレックスに苛まれている、というわけ。開幕の合唱では、合唱団が服に染み付いた黒い塗料をしきりに拭おうとし、最後はそれを燃やす、というパフォーマンスがありました。「ニグロ」がどれほど忌み嫌われているか、というデモンストレーションだと思います。 まあ、ところどころやりすぎの感じもしましたが、筋は通っていました。わかりやすい。現代の観客には伝わりやすい設定だと思います(ヴェルディが見たら嫌だというでしょうが)。ヴィックはたしか、ムーティ時代のスカラ座で「オテロ」を演出していて、日本にも持ってきたしDVDにもなっていますが、あれはいたって普通だったので(ムーティの希望なのでしょう)、劇場と共演者が変わればこうも変わるものかと興味深かった。 歌手もみな熱演でした。タイトルロールのクーラは、内面に問題を抱えたオテロを熱演。熱気のある劇的な声は、このような役にやはり向いています。ただ波が激しいので、自分のなかではどうしても、という気になれない歌手なのですが、本気を出せばやはりなかなか素晴らしい、ということを認識しました。今時他にオテロを歌える歌手というと、ガルージンやアントネンコくらいしか思い当たりませんが、とくに後者はまだ若いですから、やはりクーラにがんばって欲しいものです。 ヤーゴに初挑戦というハンプソン、野卑な小悪党、という演出のイメージ?にはちょっとなじみませんが、やはりうまいです。全盛期は過ぎたかも、とも思いますが、安定しているし、表現の幅は広い。そして声も、やはり魅力的ではあります。イタリアものが彼に合っているとは必ずしも思いませんが、これだけ聴かせ、見せてくれる歌手はそういません。 そしてチェドリンス。調子はどうかと心配していたのですが、それが杞憂になった熱演でした。声が前より細くなったので(ずいぶん痩せましたので)、5月に聴いたウィーンより、チューリッヒのほうがサイズ的に向いていることもあるのではないかと思いますが、澄んだ、女性的な声で、緊張感を持ってていねいに歌い、聴衆をひきつけていました。とくに、舞台に何もなく、ウェディングドレスをまとって歌う4幕の「柳の歌~アヴェ・マリア」は素晴らしい表現力だった。ちょっと現代的で、たおやかなデスデモナ。これくらい聴かせてくれたら何も言えません。 そして最後にガッティの指揮。これもまた素晴らしかった。ドイツ的かと覚悟していたのですが、やはりバレンボイムとは違います。引き締まった緊張感、オケのパートの美しさ(カンタービレも!)、ドラマをなぞる音楽作りの自然さ。音楽のなかに引き込んでおきながら、そこに音楽があることを忘れ、ドラマに集中して、気づいたら音楽が鳴っている。円熟、とはこのことでしょう。やはり名前が出るだけのことはあります。 聴衆も引きつけられてすばらしい集中力、舞台と一体化する歓びを味わいました。終演後はスタンディングオベーション(ここでは珍しい)になり、カーテンコールに応える歌手たちも嬉しそう。とくに熱演のクーラは、ほんとに感極まっている感じでした。実は今日は、11月のオペラ公演の最終日(次の「オテロ」は1月ですから、まあ一演目のとりあえずの最終日のようなものです。ラッキーでした)。クーラは今月はここで「トゥーランドット」にも出ていたようで、大役を2つもこなして、今日で一区切りということで全精力をつぎ込んだのかもしれません。そう思ったら、文句なしです。 高揚して劇場を出たら、夕暮れに湖が輝いていました。これだから、オペラはやめられないのです。
CDばかり聴いていても、土曜深夜の衛星放送ばかり見ていても、やはりオペラの本当の魅力には隔靴掻痒かもですね(笑)
身近にいつもリアルなオペラのある暮らしの浩子先生が羨ましいです。 新国立にすら一回も行かずじまいで今年は終わろうとしています。チューリッヒのオテロの記事を読んでいたら一刻も早く劇場に行ってみたくなりました。 高揚に和するかのような夕暮れに輝く湖もステキですね。素敵な記事ありがとうございました。(November 30, 2011 00:33:41)
マリコケルモナコさん
いつもご愛読、コメントありがとうございます。 >CDばかり聴いていても、土曜深夜の衛星放送ばかり見ていても、やはりオペラの本当の魅力には隔靴掻痒かもですね(笑) >身近にいつもリアルなオペラのある暮らしの浩子先生が羨ましいです。 >新国立にすら一回も行かずじまいで今年は終わろうとしています。チューリッヒのオテロの記事を読んでいたら一刻も早く劇場に行ってみたくなりました。 やはり生の熱気にかなうものはないです。 チューリッヒもおすすめの劇場ですよ。 加藤浩子 (December 2, 2011 00:40:27)
たまにしか覗かないので、遅がけのコメントをご容赦下さい。
この11月27日、「オテロ」の後の、トーンハレでのコンサートにはいらっしゃらなかったのでしょうか?イヤーゴ役を終えたハンプソンも客席に姿を見せていました。 27日夜のコンサートは、26日と同プログラムでした。しかし、二晩続けて聴くことで、指揮者のこれまでの業績を深い敬意とともに思い起こし、純粋な鑑賞感を熟成するためにも、敢えて「オテロ」はパスしました。そして、今のところこの指揮者唯一のヴェルディオペラ上演である、ここでの「アイーダ」も思い出し(その中の主役級二人が鬼籍に入ったことも感慨深いものがあります)、一日も長い元気な活動を祈ったのでした。(February 7, 2012 09:01:40) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |
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