3307003 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
March 3, 2015
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類

 「暗黒時代」

 しばらく前ですが、例によってヴェルディのオペラについて調べていて、20世紀後半に出された「オペラとドラマ」を論じたある本で、バロック時代からベルカントまでのオペラをそういうタイトルの章でくくっていたのに遭遇し、驚くと同時に納得したことがあります。

 つまり、ドラマ性に欠けた、歌唱至上主義のオペラは劣る、という考えですね。 オペラはドラマであり、その方向に向かって「進化してきた」という進化論。(その頂点にあるのはワーグナー)

 そのような進化論はずいぶん長い間、オペラ史や音楽史を支配してきたように思いますが、そろそろ賞味期限切れになりつつあることは事実でしょう。ドラマ至上主義は19世紀ロマン派以降の見方。それ以前の時代にはそれ以前の美学があり、その美学に忠実になればすばらしい世界を体験することができる。

 その一番分かりやすい例が、(古楽の復活の延長線上に出てきた)バロックやベルカントオペラの復活だと思います。この時代が「暗黒時代」と認識されていた数十年前、今のような高い水準のバロックやベルカントオオペラを体験することは不可能でしたから。

 そのおそらく現代最高の上演のひとつを、体験してきました。

 神奈川県立音楽堂主催、ファビオ・ビオンディと彼の創設した古楽オーケストラ、エウローパ・ガランテによるヴィヴァルディ「メッセニアの神託」です。 

 (ある評論家の方がフェイスブックに、 「メッセニアの神託」の翌日、ソヒエフ指揮のトゥルーズ・キャピトル管弦楽団を聴いてきた感想を、1737初演のバロックオペラと、(後者のメインプログラムである)リムスキー=コルサコフの「シェラザード」、両者の間の150年の落差と演奏団体の落差、これを同時に体験できるのは30年前では考えられなかったと書いていらっしゃいましたが、まったくその通りだと思います)

 ご存知の方も多いと思いますが、ビオンディはイタリア・バロック界の旗手的な存在。1990年に創設した「エウローパ・ガランテ」とのヴィヴァルディ「四季」のディスクは世界的な大ヒットになりました。ヴェニス・バロック・オーケストラ、イル・ジャルデイーノ・アルモニコ、ラ・ヴェネクシアーナなど数あるイタリアの古楽団体のなかでも、ヴァイオリンの名手ビオンディが率いるこの団体、爽快さ痛快さでは群を抜いているように思います。何よりビオンディのヴァイオリンがほんとうに凄い!疾走する快感。まさに現代のヴィヴァルディではないでしょうか。

 今回の演目「メッセニアの神託」は、上演後スコアが消失し(1度きりの上演が原則で、残すことなど考えられていなかった当時としてはごく普通のことですが)たため、「幻のオペラ」とされていた作品。しかも、他人の作品を流用する「パスティッチョ」の形だったので、ますます実態がわからない作品でした。それをビオンディは、「近年発見された印刷台本」(プログラムの小畑恒夫氏の解説より)などをもとに、当時の演奏習慣や周辺の演奏家たちの研究を加味して「復元」したのです。

 もちろん、100パーセント確実な復元ではないけれど、もともとがパスティッチョなのですから問題はありません。それより何より、当時のヴィヴァルディのオペラの概要が体験できるというのが本当に興味深いことなのですから。

 そういえばヴィヴァルディはオペラ作曲家としても大活躍だった訳で、ビオンディがますますヴィヴァルディとだぶってきました。 

 (前にあげた「ドラマ」重視のオペラの美学では、作者自身のオリジナルな「作品」であることも重要ですから、このような形態のオペラは作品以前、ということになるでしょうか。それはそれで一理はありますが)

  それはそれは、めくるめく体験でした。

 同時代の、やはりヴェネツィアで活躍していたじゃコメッリの「メロペ」というオペラから多くを転用しているというこの作品、形式はお決まりの、バロック時代のオペラ・セリア(イタリアの伝統的な神話伝説オペラ)です。ひたすらアリアとレチタティーヴォの連結で、 最後に予定調和のハッピーエンドを全員が歌う。典型的な番号オペラ。アリアも、ぎくしゃくした「怒りのアリア」など定番のものが多い。何を楽しむって、歌手の歌合戦を楽しむ。そして変幻自在のスリリングなオーケストラに耽溺する。それにつきます。物語はよくわからないのですが、それでいいのだと思います。わからなくても楽しめるから。乱暴にいえば、それで楽しめるのが最高のバロック・オペラなんじゃないでしょうか。

 楽しめるかどうか。それは歌手と指揮者と演奏団体次第です(楽譜には最低限のことしか書かれていないのが当時の習慣でしたから)。今回、それがみな驚嘆すべき高水準でした。(ああ、2006年の同じ団体の「バヤゼット」を見逃したのがほんとうに悔しい)

 まずは雄弁なヴァイオリン。時にめまぐるしく疾走し、時にアリアで歌われる感情に寄り添い、煽り立て、時にレチタティーヴォに悲痛なまた歓びの色を付け加える。まさに七変化です。

 18世紀は、楽器でいえばヴァイオリンの世紀(ストラディヴァリの時代)。その時代、オペラが大流行していたのは興味深いことで、一本の旋律でさまざま表現するヴァイオリンと「声」は共通していると常々思っているのですが、今回、改めてそのことを痛感しました。(逆に、19世紀はピアノの世紀。そしてオーケストラの世紀)。声とヴァイオリンがとけあい競い合う、その快感。テオルボを加えた通奏低音もうまかった。

 とはいえ、目立ったのは歌手陣でしょう。メッゾソプラノ6人とテノール1人!という、それこそ19世紀ロマン派以降のドラマ重視のオペラでは考えられない布陣。(要するに登場人物のキャラと声域は関係ないのです)。それが、みんなうまいのです。6人のなかで世界的に有名で、日本でもおなじみといえば主役のエピディーテを歌ったヴィヴィカ・ジュノー(バロックオペラ以外でも、藤原で「チェネレントラ」とか出てました)くらいだと思うのですが、みんなほんとうにすばらしかった。

 とくにすごかったのが、トラシメーデを歌ったユリア・レージネヴァ。会場で会った知人の話によるとまだ25歳!という樺太生まれ!の歌手だそうですが、第2幕と第3幕の超絶技巧のアリアで客席を圧倒。アジリタが泉から沸くように自然に出てくるのが凄い!声量もあり、デュナーミクも自由自在です。バルトリ以来の大器ではないでしょうか。客席は唖然。そして歌い終わると待ちきれない、という感じで大喝采が爆発していました。

 女王メロペ役のマリアンヌ・キーランドの堂々とした威厳、姫君エルミーラ役のマリーナ・デ・リゾの豊潤で女性らしい美声、敵役でもあるアナッサンドロを歌ったマルティナ・ベッリの潤いのあるけれど凛とした声と、みなそれぞれ技術が確かな上に個性がある。すごいことです。今、古楽系の歌手(と演奏家)の水準は本当に高いと思うのですが、改めて実感しました。2012年にザルツブルクで観たバルトリ主演の「ジューリオ・チェーザレ」(こちらはメゾならぬカウンターテノール4人) もすごかったですが、その水準にかなり迫っていたと思います。

 マルチタレント顔負けの活躍を展開しているカウンターテノール、弥勒忠史氏の演出は、能舞台を参考にしたという洗練されたもの。石庭をイメージしたというシンプルな舞台、能装束とミヤケイッセイをブレンドしたような衣装、幕切れの金銀の紙吹雪、どれも印象的で、音楽を十分に引き立てるものでした。

 19世紀ロマン派のドラマ的オペラとは正反対の美学でつくられたヴィヴァルディの世界。それを高いレベルで再現したビオンディと歌手たちに、そして企画して下さった主催者に、心からの賛辞を捧げたいと思います。 

 






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  March 3, 2015 11:08:26 PM


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

プロフィール

CasaHIRO

CasaHIRO

フリーページ

コメント新着

バックナンバー

April , 2024

© Rakuten Group, Inc.