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加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

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July 8, 2015
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  イタリアでオペラの旅をする楽しさ。それは、町ごとに異なる雰囲気を持つ劇場をめぐる楽しみでもあります。 
 イタリアの劇場は、だいたい18−19世紀に作られたものが多いのですが、社交場の役割も果たしていたため、その手の伝統的な劇場はとにかく美しい。音がいいとされる馬てい形で、赤いびろうどや金の装飾がふんだんに使われ、天井画にも意匠がこらされた劇場内部も美しいですし、ホワイエもそれぞれ趣があります。大理石のところが多いですが、広さやデザインはまちまち。そして、そこに集うひとたちを眺めるのも楽しい。地方へ行けば行くほど、劇場が社交場の機能を残していて、新しい演目の初日などはまさに地元の名士?がかなりオシャレしてきたりするので、それを目撃するのもワクワクします。
 
 今回のツアーでは、オペラファンだけではない知名度を誇るスカラ座とヴェローナ音楽祭以外は、典型的なイタリアの地方劇場をめぐりました。イタリアの北東端に位置するトリエステのヴェルディ劇場と、南イタリアはナポリのサンカルロ歌劇場です。
 前者はややこぶりの、後者はスカラ座なみの大劇場。美しさはそれぞれで、トリエステはちょっとシックな感じ、ナポリはかなりきんきらきんでゴージャス。背景にはそれぞれの歴史があり、ずっとハプスブルク家の港町だったトリエステと、「両シチリア王国」の首都として、スペイン系のブルボン王朝が支配していたナポリの違いがあります。さらに、ナポリといえばミラノの前の時代のイタリアオペラの中心地。それは、劇場が豪華で当たり前かもしれません。
 そんな風に、劇場から町の歴史や文化が見える。それが、イタリアの劇場めぐりの楽しさのひとつです。
 
 とはいえ、肝心のものが公演であることは、もちろんです。
 今回はトリエステで「ファルスタッフ」、ナポリでは「チェネレントラ」を観劇しました。サイトなどでチェックしたかぎりではキャストもまずまずで、まあ期待できると予想したのですが。
 
 トリエステはちょっと残念な結果に。歌手陣でよかったのはアリーチェ役のエヴァ・メイで、確実な技巧と澄んだ声で安定していたのですが、全体的にいい時の彼女より押し出しが弱く、好調ではなかったよう。問題はファルスタッフ役のイタリアのバリトン。ヴェリズモのような歌い方で、声をはりあげるばかりで単調一本槍。この役に求められる細かい演技やスタイリッシュさがまったく見られず、とても残念でした。それなりに名前は通っている歌手ではあるのですが、この役には向きそうもありません。まあ、役柄として難しいこともあると思いますが。。。
 バーリの劇場のプロダクションをレンタルした演出(マリアーノ・ブーダン)は、台本作者のボーイトが参考にした、シェイクスピアの「ヘンリー4世」のエッセンスをかなり取り入れ、同作では皇太子のヘンリーが舞台に登場したり、最後はファルスタッフを見捨て(ファルスタッフはなんと死んでしまう)、ヘンリー5世として即位するシーンまでを見せるという趣向。やりたいことはわかるのですが、うーん、それが、「人生はみな冗談」といって笑い飛ばすファルスタッフの結末にふさわしい演出かといわれれば疑問は残りました。
 
 対照的に、サンカルロ劇場の「チェネレントラ」は満足のいく公演でした。今回見た中では、総合的に一番満足できたと思います。
 
 満足できたポイントは、やはり歌手。ヒロインのチェネレントラは、今ロッシーニ歌いとして売り出し中のセレーナ・マルフィ。王子のドン・ラミロは、もう10年以上ロッシーニ歌いとして世界中で活躍しているマキシム・ミロノフ(なのに1981年生まれ!と若いです)。それ以外にもダンディーニ役のシモーネ・アルベルギーニ、マニフィコ役のカルロ・レポーレなど、世界で活躍しているロッシーニ歌手たちが勢ぞろい。これだけのメンバーなら、ウィーンの国立歌劇場にでていて「チェネレントラ」を歌ってもおかしくありません。それが、こう言ってはなんですが、イタリアの地方劇場であるナポリに出ているわけです。ロッシーニはやはり、それだけいい歌手が多いのだと改めて思わされました。昨夏、久しぶりにペーザロのロッシーニフェスティバルに出かけ、どの公演も(新人を含め)歌手のレベルが高いので驚嘆させられ、ああこういうところからどんどん歌手が出てくるのだから、いいロッシーニ歌手が多いわけだと痛感しましたが、それをまたまた目撃した結果となりました。
 マルフィはコントラルトの色合いが色濃い、濃密な声が魅力的。ミロノフは典型的なレッジェーロ(軽く柔らかい声)のテノールで、柔軟性にとんだ美しい声。技量も完璧に近かった。声量はそれほどではありませんが、ロッシーニ歌いとしては問題ないと思います。他の歌手たちもそれぞれ芸風があって、楽しませてくれました。
 
 1937年生まれのベテラン指揮者、ガブリエレ・フェッロの指揮も、ロッシーニの軽快さと、それぞれの「歌」の魅力を伝えてくれる好ましいもの。とりたてて自己主張が強いわけではありませんが、屋台骨のように堅実な音楽は、安心して身をゆだねて楽しめます。
  ポール・カランの演出は、チェネレントラ=マニフィコ、の屋敷は伝統的に、ドン・ラミロのお城はちょっとモダンに幾何学的に、と対照的な装置で目を奪い、幕間の休憩時間には、ダンサー?たちがこの劇場ならではの広いホワイエで曲芸を披露し、そのまま舞台上へ移動して開演まで芸を演じ続けるというおまけまでついて、ロッシーニの音楽同様、楽しませてくれました。
 
 とにもかくにも、ロッシーニの公演は、どこで聴いてもあまりハズレがありません。歌手の層が厚い、ということに尽きると思います。ペーザロを震源地に、若い歌手がどんどん出てくる。ヴェルディ歌手にも、そういうフェスティバルなり、あるいはペーザロの芸術監督である指揮者、ゼッダさんのような指導者がいればな、と毎度ながら思うのです。生地ブッセートの「ヴェルディの声」コンクールというのはありますが、今ひとつですね。。。中心的存在だったカルロ・ベルゴンツィ氏も亡くなってしまいましたし。  
 
 層が厚いということは、もちろんレベルが高くなるわけで。トップクラスの歌手たちを見ても、ヴェルディとロッシーニの差は歴然としています。たとえばメトのライブビューイングを見てもわかりますが、メトでロッシーニの「湖上の美人」が上演されるとなると、フローレス、ディドナート、オズボーン、バルチェッローナという面々が出てくる。どの歌手も、50年前のロッシーニ演奏にはいなかった高いレベルの歌手たちです。対して、たとえば「仮面舞踏会」が上演されるとなると、テノールはアルバレスでした。これが2、30年前なら、全盛期のドミンゴやパヴァロッティが出てきたわけで、アルバレスは好きな歌手ですが、それは全盛期のドミンゴやパヴァロッティと比べると格は違うのではないでしょうか。 
  
 このような現状なので、(ヴェルディが好きなのにもかかわらず)ロッシーニを聴いたほうが満足感が高くなってしまうのは、仕方がありません。
  
 終演後の食事は、歌手たちもよく訪れるという郷土料理のレストランへ。壁を埋め尽くすモノクロのブロマイドに見下ろされながらいただいた、だしがいっぱいきいた、という感じのシーフードスパゲッティは、日本人の舌にぴったりのお味でした。
  
 
 
 






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最終更新日  July 8, 2015 01:28:31 PM


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