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加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

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August 11, 2015
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 バッハがあれば、生きていける。

 震災の年の暮れに、オランダ・バッハ協会の「ロ短調ミサ曲」を聴いたとき、「バッハがあれば、生きていける」という言葉がすらりと浮かんだのですが、以後バッハの名演に出会うたび、この感覚を実感します。

  先月28日、バッハの命日に聴いた「ロ短調ミサ曲」でも、同じ感覚を味わいました。

 演奏団体は「バッハコレギウムジャパン」。ちょっと前ですが、2013年に創設者で指揮者の鈴木雅明氏とともにサントリー音楽賞を受賞した、記念のコンサートという位置付けです。会場はもちろんサントリーホールでしたが、いまや世界的なバッハの演奏団体であるBCJの「ロ短調」、それもバッハの命日(ご存知の方も少なくなかったかと推測します)、超満員の一夜でした。

 BCJの「ロ短調」といえば、しばらく前にレコード・アカデミー賞に輝いたCDも有名ですが、当夜の演奏は、BCJがいっそう深化していることを確認できた名演でした。冒頭の「キリエ」が、確信をもって、けれどしなやかに音楽の内部から湧き出るように響いた瞬間、まず涙。BCJの合唱の特徴であるディクションの明瞭さ、響きの明確さ明るさ柔らかさに加え、なにかに背中を押されているような確信が加わって、説得力があるのです。ことばに、人間味があるというか。テクストはラテン語のミサ曲ですから、典型的な礼拝の言葉ではあるのですが。

 その説得力は、演奏のほとんどの時間で感じられました。合唱の柔軟さ、クリアな美しさ、しなやかなダイナミズムが生かされた「サンクトゥス」は真価発揮の名唱。オーケストラの簡明さとの対比が印象的でした。 

 そして最後の「ドナノビスパーチェム」の、天上へ引き上げられるような、静かな高揚感。

 (宗教(=礼拝)作品の経験がどうしてもおぼつかない日本ゆえ、拍手がすぐに出てしまうのが、唯一残念なところではありました)

  このような演奏を通じて出会うバッハの音楽は、とても力強く(といってもさりげなく強いのですが)、心を支えてくれる音楽です。心の底を支えてくれるというか。確信に満ちている。人生を超えたものを信じること。それが、音楽に反映されているのです。それを信じることで、乗り越えられるものがある。ひょっとしたらそれを「神」というのかもしれない。

 そう思っていた矢先、今年6月のバッハの旅に参加くださった方が、旅の感想を送ってくださいました。そのしめくくりの部分に、同じようなことが書かれていたのです。(以下ご本人の承諾を得て引用いたします)

  「教会音楽家として、バッハは真摯に神と向き合って暮らしていた。神とは、普遍性そのものである」

 「あの時代に生きたひとが誠実であれば、常に神と向き合って、神とは何か、人とはなにか、自然界における秩序とはなにか、という普遍的問いについて考えることになるのではないか、その問いかけが、彼の音楽に現れているのだと思う」

 膝を打ちたい気分でした。その、ある意味、人間存在を超越した何者かと向き合うこと、それがバッハの音楽を強く、普遍的なものにしているのではないかと思ったのです。

 当夜のプログラムにあった鈴木雅明氏のことばもまた、バッハの音楽、とくに「ロ短調ミサ曲」の本質と普遍性をしるして頷けるものでした。フェイスブックやツイッターではシェアしましたが、改めてここに引用します。

  「ロ短調ミサ曲は、JSバッハが自らの生涯を振り返って、その最晩年にまとめあげた畢生の大作です。カトリックとプロテスタントという違いを声、否、キリスト教だけでなくすべての宗教に共通の平和への希求が、この音楽のなかに凝縮されています」

  「この慈愛に満ちたバッハ海は、私たちを育み、慰め、励まし、また争いをいさめて平和をもたららす本当に大きな力を持っているので、これからも、ますます多くの方々と共にこの宝を共有できるよう、微力を尽くしたいと思っております」

  BCJは今年、広島でも「ロ短調ミサ曲」を演奏しました。震災の年にアメリカツアーを敢行したときの演目も「ロ短調」でした。そして今回、バッハの265回目の命日にまた「ロ短調」を演奏することを、鈴木氏は「人知を超えた出来事」だと記しています。

 人知を超えたものに視線を注ぎ続けたバッハの音楽。その堅牢さを改めてふかぶかと感じるのは、国民を置き去りにした国会での乱暴な議論や、安全を置き去りにして再稼働される原発(電気は足りているのに)など、不穏な空気に心が軋むこの夏だということもあるかもしれない、と思うのです。






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最終更新日  August 11, 2015 11:58:14 AM


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