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加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

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March 22, 2016
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 あれも書きたい、これも書きたいと思いつつ、いつもながらほぼ20日くらい、まともにブログを書かずにきてしまいました。

 最近はフェイスブックを使うことが多いので、そちらで手短につぶやいて終わりにしてしまうことも多く、ちょっと反省しています。

 とはいえ、覚書に近いものとはいえ、ちゃんと文章にしておきたいな、と思うテーマもあります。

 今月の新国立劇場の2本のオペラ、新制作の「イエヌーファ」と、再演ですが「サロメ」、とても充実していました。

 まず「サロメ」から。2000年のエファーディンクのプロダクションの6回目!の再演。新国立劇場の定番レパートリーです。しごく伝統的で安心して?見られるもの。最後のサロメの処刑で、慕っていたナラボートにサロメのせいで死なれてしまった小姓が、復讐のため?殺し手に加わるところは見ものです。

 エヴァ・ヨハンソン、ハインツ・ツェドニク、アラン・タイタスと大物が揃った20004年の公演なども素晴らしかったですが、聴いた中では今回が、音楽的に最高でした。

 まず何と言っても歌手が粒ぞろい。タイトルロールは、今や旬のドラマティック・ソプラノであるカミッラ・ニールンド。 新国立劇場では「ばらの騎士」の元帥夫人を歌ったことがあり、その時もよかったのですが、今回はほんとうに完璧に近いのではないかと思わされました。しなやかでよく伸びる声は完璧に音符をとらえて危なげなく、デュナーミクも自在。ディクションも子音を強調しすぎずなめらかで、声には少女らしい純な美しさと、妖女性が滲み出る危うさが同居します。ナラボートを誘惑する猫撫で声の巧みさといったら!「ヨカナーンの首が欲しい」のひとことにこめられた陶酔の妖艶なことといったら!これ以上のサロメは、聴いたことがありません。おまけに美人!

 もうひとり完璧だった歌手をあげろと言われたら、ヘロデ役のクリスティアン・フランツでしょうか。フランツといえば天下のヘルデンテノール、それがヘロデとはなんとも贅沢。新国のジークフリートですものねえ。けれどこのひと、美声はもちろんですが、性格表現もうまいのです。ヘロデの狂気、危うさ、それをかっちりと歌(=言葉)で表現してくれる。ひとつの音に宿る表現力が半端ではありません。彼は「オテロ」などイタリアものも歌いますが(必ずしもあっているとは思いませんが)、そこで培われた瞬発的な表現力が、ドイツもののこの手の性格的な役柄でも生きてくるのではないかと想像されました。

  ヘロディアスのハンナ・シュヴァルツは、ピンチヒッターでの登場ですが、(ちょうど「イエヌーファ」を歌っていたので出られたらしい)前回2011年の公演の時もこの役をやっていますし、何と言っても大ベテランですから余裕です。まあ、さすがに、歌い盛りのフランツと夫婦役となると、ちょっと年のいった声だなあ、と感じてしまうのはしかたのないところでしょう。

 ヨハナーン役のグリア・グリムスレイ。2メートルはあろうかという長身、堂々たる声のバスバリトン。これまた、聴きごたえのある聖者でした。

 そしてやはり要は指揮。ダン・エッティンガーの指揮は、やはり新国のこの演目では個人的にベストでした(あくまで個人的に、です)。何が魅力的かといえば、スコアの細かなところまで精密に表現してくれて、とても絵画的なのです。いろいろな動機が重なり合うところなど、音楽が絵になって立ち上がってくる、そんな感触を受けました。とりわけ、第3場の大詰めで、サロメがヨハナーンにキスを求めて抱きつき、ヨハナーンが拒絶するところ、サロメの陶酔がヨハナーンにも伝わっているような解釈が聴けたのが興味深かった。ヨハナーンは実はサロメに惹かれている、とはよく言われますが、今回はそれを実感できたのです。そうやって見直してみると、いかにこのオペラがスキャンダラスだったかが理解できます。聖書に由来する物語、それも聖者が、性的欲望のために殺されてしまうというスキャンダラスな変化形。しかもその聖者自身が、欲望を抱いてしまうとしたら?えらいことです。そのスキャンダラス性を、美しいなかにも改めて感じさせてくれた今回の「サロメ」の音楽だったのでした。 そう、美にこめられた狂気。

 「イエヌーファ」 。新国初のヤナーチェク・オペラ。ベルリン・ドイツ・オペラのプロダクションレンタル。話題になりましたし、あちこちでいろんな方がいろんなことを書かれていますし、今更ここで私などが何か書くのもおこがましいように思いますが、素朴な感想で恐縮ですが、やはりとてもいい公演でした。

 ヤナーチェクはドイツやフランスなどを中心にヨーロッパではメジャーなオペラ作曲家の仲間入りをしていますが、日本ではまだまだ。彼の3作目のオペラで、成功を収めた「イエヌーファ」(なぜかオペラ作曲家は3作目のオペラで成功するケースが多いようです。ワーグナーしかり、ヴェルディしかり、プッチーニしかり。「サロメ」もシュトラウスの3作目のオペラです)は、なかでも人気作で、日本でもサイトウキネン(見過ごしました。残念)、二期会などで上演されました。

 寒村で起こった婚前交渉と嬰児殺しの物語は、ちょうど同時代(「イエヌーファ」の初演は1904年。「カヴァレリア」は1890年)のイタリアのヴェリズモ・オペラのようです。けれどヴェリズモを代表する2作に救いがないのに対し、「イエヌーファ」の結末には救いがあり、観客は希望の感触を持ち帰れます。他のヤナーチェク・オペラにくらべてわかりやすいストーリーで、初めて見るひとでも楽しめる作品と言えるでしょう。

 私が生で見た公演は二期会のもの。ベルリンのコミッシェオパーのプロダクションで(デッカー演出)、ドイツ語上演でしたが、とてもよかった。四方を壁で囲まれたシンプルな舞台ですが、最後は舞台奥の壁が上がって闇が出現し、そこへイエヌーファとラツァが消えていく。暗いようですが将来へ向かう2人の勇気が感じられ、カタルシスがありました。阪哲朗さんの指揮も精緻で躍動感があり、感動的な体験でした。

 今回も、それに劣らず、いえ、まあ、歌手はそれは国際的なひとを呼んでいるわけなので、音楽的な水準はいっそう高い舞台を楽しむことができました。

 まずはトマーシュ・ハヌス指揮の東京交響楽団。ヤナーチェク独特の、発話旋律とも呼ばれる、オスティナートのような同じ音型の繰り返しを、驚くような自然さ、柔らかさで奏でていきます。この個性的な音の作り〜あの有名な「シンフォニエッタ」を思わせる瞬間も〜が、実は言葉の響きととてもあっているのだと、今回原語上演に接して(繰り返しですが二期会の公演はドイツ語上演だったので)初めて知りました。言葉がわからないこちらにそれを感じさせてくれたのは、ヤナーチェクのオペラに通暁した同国人ハヌシュ、そしてヤナーチェクのオペラを演奏会形式で何度かとりあげた東響(「マクロプロス事件」など)の力が大きかったのではないでしょうか。この音楽はとても人間的な音楽であり、人間のあらゆる感情が託されている音楽だ。ハヌシュはそう確信しているように感じられたのです。

 歌手陣は、ベルリンのプロダクション初演時のキャストがほとんどだということで、総じてレベルの高い演唱。イエヌーファ役、ミヒャエラ・カウネの純な女性らしさ(第2幕で子供の無事を祈るシーンの美しかったこと!)、彼女に愛を捧げるラツァ役、ヴィル・ハルトマンの人間的な温かみに満ちた声、ブリヤ家の女主人役、ハンナ・シュヴァルツの、いかにも「家」の重鎮らしい貫禄のある声と演技…、とはいえやはり圧巻だったのは、おそらく本来の主役であるコステルニチカを演じたジェニファー・ラーモアでした。ラーモアといえば、90年代にはロッシーニのヒロインとして、チャーミングで軽やかな歌を得意としていたひと。それが、義理の娘の将来を思うばかりに、思い余って赤子を殺してしまうコステルニチカで、鋭い、迫真の演唱を披露するとは。。。彼女が演じたコステルニチカは、人にはいえない悲しみを経験してきて、その傷を生真面目な表情で覆い隠している、切れば血がにじむ人物なのでした。

 クリストフ ・ロイの演出は、舞台上に白い壁で囲まれた箱=部屋のような閉鎖的な空間を作り、設定を現代にずらして、普遍的な物語にしたことが第一の特色でしょうか。まあ、物語自体は今でも可能性がある話だし、普遍的にするのに異論はありません。後ろの壁には窓のような空間があり、時には壁がしまわれて草原や雪原のような外の風景が顔を出したりします。冒頭、嬰児殺しをしてしまうコステルニチカが獄中でできごとを回想するシーンから始まるのも異色といえば異色でしょうか。演劇的な動きはかなり細かく、とくに村人たちをあらわす合唱団の動きは過剰なくらい迫力がありました。最後は壁が開いて、イエヌーファとラツァの2人が、壁の向こう側の闇のなかに去っていくのですが、これはデッカー演出と似たエンディングですが、空間が狭い分、今回のほうがやや息苦しく感じられました。

 とはいえ、「イエヌーファ」の終わり方は、繰り返しですが一種の救いがあり、少なくとも私は、浄化されたような気持ちになれます。

 さて、今月のこの2本、実は両方とも「家族」の物語といえると思います。「サロメ」は性的なテーマが強調されることが多いですが、家族崩壊の物語としても読めますし (兄の妻を手に入れた弟は、妻の連れ子であるサロメに色目を使う)、「イエヌーファ」に家族の物語という側面があることも明らかです。コステルニチカは女癖と酒癖の悪い夫に悩まされ、夫が亡くなった後は、その夫の子供であるイエヌーファを育てるために心血を注いでいたのでした。彼女は、崩壊しかかった家族を、なんとか立て直そうとしていたのです。結局彼女の力では家族を立て直すことはできず、逆に嬰児殺しを通じてますます危機を招いてしまったけれど、イエヌーファとラツァという次の世代が、新しい家族を築く希望は持つことができました。

 オペラはとかく「恋」が前面に押し出されがちです。けれど「家族」の物語もまた、時代を超えて普遍的であり、オペラを理解する上で重要なテーマのひとつだといえましょう。「ドン・カルロ」だって「カヴァレリア」だって「蝶々夫人」だって「道化師」だって、問題を抱えた「家族」の物語でもあります。今回見た2つの演目は、連続して見たこともあり、両者が持つ「家族」の物語という側面を、強く意識することができました。

 それにしても新国立劇場のドイツ(系?)オペラのキャストは贅沢です。願わくばイタリア・オペラもそれ並みにしていただけると嬉しいのですが。「サロメ」にニールンドを呼べるなら、「オテロ」にフリットリやクンデを呼んでもいいのでは?そしてヤナーチェクを取り上げたなら、これも1本もやっていないベッリーニもぜひ!今やキャリアの集大成としてこの役をあちこちで歌っているデヴィーア、または若手ならアグレスタあたりで「ノルマ」なんていかがでしょう?指揮はマウリツィオ・ベニーニあたりで。。。

 






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最終更新日  March 23, 2016 05:10:59 PM


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