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どうせもいいカタツムリみたいな私ですけれど
立ち寄っていただいてありがとうございます。 新年度おめでとうございます。 私以外の皆さんには輝く時期の始まりであってほしいと思います。 私には… あまりにも変化の激しい世の中ではありますけれど 変化こそチャンスととらえ、前向きに生きて行きたいと 日々、願っております。 もっとも、これ以上、「怒られてナンボ」, 「懲罰上等」といった人生を 送るのは疲れました。 誰か殺して、終わりになるのなら、誰か殺そう・・・ 自分を始末して、終わりになるのなら、外れ籤を捨てるように 高層ビルの上から自分を放り出そう・・・ それでこのWeblogも、おしまい。 ボロボロ人生、あえなく終わり、全て、それで、バイバーイ。
テーマ:★つ・ぶ・や・き★
カテゴリ:事件事故評論
駒大苫小牧の野球部長が、部員を二十回以上殴打していました。またか、というところです。でも運動部での精神教育はよくある話です。昔は死んでも事故で済んでいましたから、隔世の感がある人も少なくはないでしょう。
この野球部長、謝罪したそうですが、どうせまた殴るでしょう。強い者が弱い者を殴る、あるいは制裁するのは、人間社会の常です。私は小学校時代からずっとサンドバッグでしたから、人間とは(窮極的には)弱者を殺して生きる存在だと考えています。 ―ただ、手を下した側が下された側に謝罪することは、現実の運動部ではまずありません。逆に「殴って強くしてやったのだ」と二倍、三倍の焼きを覚悟せねばなりますまい。悪送球やサインミスからの出走でデッドボールを食らった人間を、そのまま保健室に連れ込んで焼きを入れたり、地元で一番下手な病院に搬送して「死ぬのを待っていた」監督がいたぐらいですから、二十発程度殴って顔が腫れ上がったくらいでは謝ってももらえないのが普通です。 ニュースを知った大半の運動部員は、被害者のほうを羨むか、憎みこそすれ同情はしないでしょう。なぜなら自分たちが日常受けている程度の暴力で、うまいぐあいにマスコミの同情を誘い、そのうえ母校の顔にドロを塗ったのですから。 この野球部員、恐らく何らかの理由で退学するでしょう。それで、人があまりやりたがらない仕事を何年かしたあと他校で復学するか大検を受けるか、それが「ちくり屋」の一般的な人生です。他人の、何分の一かの価値しか持たせてもらえません。責任回避で教会破門された私がそうだったように。 さて、学校での暴力は通常、表ざたになりません。かつて私も番長にさんざ殴られ、入院したことがありますが、そのときでさえ持って行った診断書を破られて終わりでした。人間の命なんて、そんなものです。力のある人間が徹底して「弱虫を潰す」という姿勢を示せば、いじめ殺人での初犯ぐらいもみ消せます。もちろん監督が少年を木刀で殴り殺したとしても同じでしょう。少年法改正前までは、体育祭の騎馬戦や棒倒しで誰を怪我させるか、夏休み明けに不良同士で相談があり、なんと体育祭当日に何も知らない生徒が病院送りにされてしまうといったこともありました。これさえも形ばかりの処分で済んでいました。今ではもう少し突っ込んだ調査がされるでしょうが、事故だと言い張れば、たとえ人が障害になっても無罪放免になるのが学校内での暴力沙汰の顛末でした。私も、何もしていないのに告げ口をしたとして三十発以上拳骨を頂戴したことがありますが、私が休学しただけでした。人間なんて、立場の強い人間が手を下せば死んでも犬と変わりません。そんなものですよ、世の中は。 今では違うのでしょうね。本当に今の学生さんは恵まれています。いじめに遭っても外部団体が助けてくれるし、進路問題にしても高校一年の段階から体験実習があって、適応できないということがなるべく無くなるように配慮されている。私たちから見れば本当に天国の住人です。それでも殴られたぐらいで愚痴をこぼすのですね。 密告をするような運動部員は、いっそのこと誣告罪で少年刑務所に行けばいいのです。そうすれば看守の精神注入棒で殴られて、脳震盪になって、悪巧みをする知能も失せることでしょう。あるいは自分がいかに愚かな行為をしたかということに思い至って、房の中で首をつって死ぬでしょう。そうすることで密告というもっとも卑劣な行為をした罪は購われるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.08.25 23:04:35
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